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第四話『陰の名前 下』

第四話『陰の名前 下』










 その瞬間、辺りは異様な静けさに包み込まれた。その静けさに、まさか間違えた……?と僕の背中には冷や汗が伝う。

 しかし、それは杞憂だった様で。瞬きをした次の瞬間、刀を突き刺したその黒い影からはブワッと妖の身体の様な黒い靄が物凄い勢いで溢れ出てきた。

 栓を失ったかのようにどんどん溢れ出る靄に比例して影はどんどん小さく収縮していく。やがて全ての靄が出尽くす頃には、影はもうすっかりなくなり、靄は宙を舞って……。


 そして、空気に溶けて完全に消えてしまった。



 

「これで、終わったの……?」


 地面に刀を突き刺したまま、僕はぼーっと空を見上げて呟いた。


 「お疲れ〜」


 呑気な狼君の声と共に、2人は座り込んだまま動けない僕の元へと駆け寄ってくる。


 「ちゃんと出来たじゃん、回道」


 そう言って弥子君は僕の肩に腕を回して、傷だらけで動けない僕を支えながら起こしてくれる。


 「僕、ちゃんと祓えたの……?」

 「バッチリだよ、全部自分で出来てたじゃん」


 僕を見て優しく笑った弥子君に僕はやっと肩の荷がおりる。張り詰めていた緊張の糸が解け、ドッと疲れが押し寄せた。


 「2人が教えてくれた、妖の…、心の目の話を思い出したんだ。妖の目は弱点だっていう話……。それで、さっき妖が自分の影を隠そうとしたのを思い出して、気が付いたんだ」


 「だから、2人のお陰だよ」と、僕がそう言うと2人は顔を見合せて、それからまた僕の方をみて笑った。


 「それでも自分で考えて祓ったのは回道なんだから、もっと自分に自信持ちなよ」


 そう言った弥子君の言葉に僕は何だか照れくさい様な気持ちになって、赤く染まったであろう顔を誤魔化す為に2人から視線を逸らして無理矢理話を変えた。


 「そういえば奥墨さん、何処に行ったんだろう?」

 「あー、そうだな」


 「あの人自由だからな」と言った狼君は気怠げに一つ欠伸をした。

 僕は辺りを見渡そうとぐるりと首を動かした



 その時____



 

 背後に得体の知れない、ゾッとした気配を感じた。



 僕と同じく2人もそれを感じ取ったのかさっきまでの雰囲気は消え去り、強張った顔で後ろを振り向いた。僕も一拍遅れて、震えてカチカチと鳴る歯を噛み締めながら後ろを振り向いた。


 そこには人型の影が一つ、ゆらりとこちらを見据えて立っていた。僕達と全く同じシルエットで人間の様であるものの、それは文字通りの影で、真っ黒な全身は顔まで黒く塗り潰されていて、その中で不気味に揺らめく目だけが光っていた。

 その見た目は人間とさして変わらないけれど、その影の纏う異様な雰囲気が、その正体が妖であるという事を告げていた。


 「それを祓ったのはお前か」


 さっき祓った妖とは違って人型の妖はスラスラと言葉を話した。自分の意思で言葉を組み立て、形成し、こちらに問い掛けてきたのだ。僕が祓った妖とは明らかに格が違うと肌で感じる。全身の震えが止まらない。

 

 竜胆先生に教えてもらった階級をこの妖の特徴に当てはめていくと、この妖の階級は恐らく____


 「S級か」


 僕の言葉を代弁するように狼君が静かに言った。その言葉と共に2人は素早く前に立ち、僕を守るように覆い隠した。


 「多分奥墨さんの御役目はコイツだな」

 「その奥墨さんが見当たらないんだけど……どうする?祓う?」


 震えるほど恐ろしい妖がすぐそこに居るというのに、2人はさして気にも留めず言葉を交わしている。

 その次の瞬間、ゾワッと全身の鳥肌が立つ。僕が後ろを振り向くよりも速く、その影は僕の後ろへと移動していた。


 「お前に聞いている」


 その声と共に辺り一面を覆い尽くす程の黒い風が僕目掛けて凄まじい速度で迫ってきた。避ける暇も与えないその強烈な速度に、僕は咄嗟に腕で受け身の体勢をとってぎゅっと目を瞑る。


 ドゴォンッッと何かがぶつかる様な音が響き渡り、地面が大きく揺れた。しかし僕の体にはいつまで経っても何の衝撃もやって来ない。そっと目を開けて周囲を見渡すと、パラパラと瓦礫や硝子の破片が宙を舞い、地面は無惨にも抉り取られ、辺りの建物は崩壊していた。だかしかし、僕達の立っているこの場所だけが地面が抉られる事もなく無事だった。

 それもその筈。僕の前にはつい先程まで前に立っていた狼君の背中があったからだ。狼君はその握り締めた拳を解きながら、「チッ、汚れた」と自身の制服を見て不機嫌そうに呟いた。どうやら彼は、その拳を振りかぶって正面からあの突風を消し飛ばしたらしい。そのお陰で、僕達の立っている場所だけは無傷で済んでいたのだ。

 その圧倒的すぎる力に呆気にとられていると、狼君は人型の妖に話しかけた。


 「お前、言葉は話せる癖に待ても出来ねぇのか?」


 口角を上げ、妖を挑発するかの様に狼君は妖しく笑みを零した。狼君の言葉に妖はぴたりと動きを止める。そんな妖の様子に、狼君は「馬鹿正直」と、さらに目を細めた。真っ黒な影で塗り潰さたその顔は、何も見えていないのに、怒りの感情がひしひしと伝わってきた。


 「邪魔をするな」


 そう一言呟いた妖の目は、真っ直ぐに狼君の姿を捉えていた。

 

 すると突如、地面がガタガタと大きく揺れ始める。それと同時に強い風が妖の元へと集まり始め、周囲に散乱した瓦礫や硝子の破片なんかがその風に乗って妖の元へと集まっている。何が起こるんだ……?と妖の頭上を見て気付く。

 

 何だ、あれは…………黒い、竜巻____?


 沢山の瓦礫や硝子の破片を含んで、大きく、そして凄まじい勢いで吹き荒れる竜巻。その大きさはこの辺り一帯をすっぽりと覆い隠してしまう程で。

 あんなものを食らったら簡単に全てが塵にされてしまう。しかもあんなに大きな竜巻、さすがの狼君や弥子君でもこの辺り一帯全てを守りきる事なんて、絶対に出来ない。


 

 ……どうしよう、逃げ場がないッ


 

 そんな僕の気持ちも虚しく、妖はその巨大な竜巻を迷うこと無く僕達の方へと勢い良く押しつけた。










 



 


 

 その時____



 

 「____陰術(いんじゅつ)投影(とうえい)』」



 その声と共に、突如僕達の目の前は大きな大きな黒い陰でいっぱいになった。その大きな陰はまるでブラックホールの様に、一瞬で妖の巨大な竜巻を全て飲み込むと、次の瞬間、妖に向かってその竜巻を跳ね返した。

 有り得ない速度で自分の放った攻撃を跳ね返された妖は、避ける事も叶わず自分の黒い竜巻に巻き込まれてしまった。



 

 何だ……?何が起こったんだ?



 


 一変する状況に、僕は到底理解が追い付かない。竜巻を跳ね返した大きな陰はどこかに吸い込まれるように、跡形もなく消えて無くなってしまった。


 「悪ィな、遅れちまった」


 背後で聞こえた聞き馴染みのある声に振り返ると、そこには番傘を差した真っ黒な陰がゆらゆらと揺れる陽炎の様に立っていた。


 「お、奥墨さん……」


 桁違いの妖の力に、すっかり怯えてしまっていた僕は震える唇で彼の名前を紡いだ。どうやら先程妖の攻撃を跳ね返したあの大きな陰は、奥墨さんの能力によるものらしかった。

 奥墨さんはのんびりとした足取りで僕達の元まで歩いてくると、ちらりと僕を見て「ちゃんと祓えたんだな」と優しく僕の頭を軽く撫でた。その優しい手つきに酷く安心した僕は漸く震えが止まる。


 「2人にも手間かけたな」


 僕の頭から手を離した奥墨さんは、狼君と弥子君にそう声をかけ、僕と同じ様に2人の頭にも軽くポンと手を置いた。僕と同い歳なのにいつも大人びて見える2人が、こうして奥墨さんにされるがまま頭を撫でられている姿を見ると、なんだかいつもより幼く年相応の子供に見えた。

 

 そして奥墨さんは僕達を通り過ぎて前に立った。


 「やっぱ自分の攻撃食らったぐらいじゃ消えねェか」


 そう言って笑う奥墨さんにつられて、僕も彼の視線を追うように前を見た。そこには自分の起こした竜巻に飲み込まれた筈の影の妖が、その竜巻を消し飛ばして影の如くゆらりと立ち尽くしていた。

 奥墨さんの能力によって自分の攻撃を跳ね返された妖は完全に機嫌を損ねたらしく、怒りせいかその身体は燃え上がる炎のように揺らめいていた。対する奥墨さんは妖とは対照的に妖しい笑みを浮かべていて、全くと言っていいほど真逆の様子だった。


 妖と奥墨さんは数秒の間お互いをじっと睨み合った後、同時に地面を蹴って動き出した。その反動で辺りには土煙が舞う。目で追うのもやっとなその素早い速度に、僕は思わず釘付けになる。

 妖は自分の身体にあの黒い靄を纏わせながら、手の平からも同様に黒い靄を出して奥墨さんに放つ。しかし奥墨さんは、その広げた番傘を武器のように器用に使って、まるで影の如くひらりと靄を躱していた。そんな、瞬きひとつも許さないようなその闘いに、僕は思わず釘付けになる。


 「すごい……」

 「あの人自分を隠すのが上手ぇからさ、普段の感じじゃ全然強そうには見えねンだけど……まじで、めっちゃ強ぇんだよ」


 感嘆の声を漏らす僕の横で、狼君は奥墨さんを見つめてやや興奮気味にそう言った。狼君の言葉に普段の奥墨さんの様子を思い出していると、そんな僕をみて弥子君が笑って付け加えた。


 「影みたいにふらふらしてて自由過ぎる所が(たま)(きず)なんだけどね」

 「あぁ……」


 確かにそうかも……と、今日知り合ったばかりの僕でも奥墨さんの自由さには納得してしまった。

 

 そんな話をしていると、突然ドゴォンッと大きな音が鳴り響いて地面を大きく揺らした。その揺れに体勢を崩した僕は地面に尻もちを付きながら、土煙の舞うその場所に釘付けになった。

 どうやらその衝撃音の正体は、奥墨さんが妖を地面に叩き付けた音の様だった。地面に叩き付けられた妖の真上には、先程の妖の攻撃を跳ね返したブラックホールの様な大きな陰が空中で揺れていた。おそらく妖は、またあのブラックホールの様な陰によって攻撃を跳ね返され、自分の攻撃で地面に叩きつけられたのだろう。

 やがてその陰は小さく収縮していき、空中に溶け込むようにして消えていった。


 


 あれは……、影____?


 


 「お前、随分と人殺してンな……。顔まで黒く塗り潰されてらァ」


 瓦礫を押し退けて、地面から起き上がる妖の影を見詰めながら奥墨さんはそう呟いた。妖の背後からさす太陽が、立ち上がった妖の影を真っ直ぐに奥墨さんの元へと差し出していた。


 「……何だ、お前は」


 真っ黒な顔の妖の表情は見えないけれど、その声から嫌悪を感じる。妖の伸びた影は真っ直ぐ奥墨さんの元へと変わらず伸びていた。

 嫌悪を隠せない妖の言葉に、奥墨さんは番傘の下でニヒルな笑みを浮かべて言う。


 「俺ァお前と同じ、黒い影だよ」


 すると、薄い笑みと共に妖を真っ直ぐに見据えながらそう答えた奥墨さんの姿が突然フッと消える。文字通り、あの真っ黒な姿が全員の視界から消えたのだ。


 その時ちょうど雲が太陽を隠して、世界は一段色を落とした。

 突然視界から煙の様に消えた奥墨さんに辺りを見渡す妖と同じ様に、僕も困惑しながらキョロキョロとその姿を探すが何処にも見当たらない。


 そうこうしている間にも、時間が流れて風に乗って雲が流され、隠れていた太陽が顔を出した。現れた太陽が光を放って世界を明るく染めると、比例して僕達の影は大きく背を伸ばした。




 

 ________影?




 

 僕はハッとして地面を凝視した。辺り一帯の地面を注意深く見ていると、見つけた。影になるものなんて何処にも無い筈なのに、ゆらゆらと地面で揺れ動いているその人影。見た事のあるシルエットのその人影は、未だ消えたままの奥墨さんの姿を探している妖の背後を静かに捕らえていた。



 

 ____あの影は、奥墨さんだ。



 

 僕がそう思ったと同時に、その影から音ひとつ立てずに奥墨さんは現れた。まるで妖の影になるみたいに。

 奥墨さんは妖の影を踏んで、その上に立った。まったく気配を感じさせずに現れた奥墨さんに、妖はまだ気付かない。


 番傘の下、口元に弧を描いた奥墨さんが右手で何やら印を結び、そして静かに喉を鳴らした。






 


 「影術(えいじゅつ)影踏(かげふ)み』」






 

 その声と共に、奥墨さんが踏んでいる妖の影を中心にして、何やら円上の紋様が浮かび上がった。奥墨さんの声にすぐさま後ろを振り向いた妖であったが、それは誰がどう見ても手遅れだった。



 

 ____それはあっという間だった



 

 その紋様が黒い光を放ちながらバチバチと火花を散らす様な音を鳴らすと、突然妖は甲高い奇声を発してもがき苦しみ始めた。すると影でない妖の身体にも紋様と同じような黒い光が現れ、次の瞬間には爆散するようにしてその身体は消し炭にされた。


 「き、消えた……?」


 瞬きもせずに見ていた筈なのに到底理解が追い付かない。あれほど恐ろしかったはずの妖が、影ひとつも残さずに消されてしまった。文字通り、煙の様に跡形もなく消えてしまったのだ。







 

 

 バサッと、奥墨さんが番傘を閉じた音に意識が戻される。音のした方へと視線をやると、御役目を終えた奥墨さんが立っていて、番傘を閉じた事で奥墨さんの顔が良く見えた。あんなに恐ろしい妖を祓ったっていうのに、当の本人は全くそんなものを感じさせない、いつものへらへらとした胡散臭い笑みで僕達の元へと戻ってきた。


 「おう、待たせたな」

 「お疲れ様です、やっぱり奥墨さんの能力いつ見ても凄いですね」

 「お前らに言われたかねェよ」


 労いの言葉をかけた弥子君に奥墨さんは可笑しそうに笑った。そして僕の方へとふと視線を移して、


 「あんなオドオドしてた癖に、ちゃんと祓えてたじゃねェか。全部見てたぜ」


 そう言ってわしゃわしゃと僕の頭を撫でた。奥墨さんは人の頭を撫でるのが癖なのだろうか。慣れないその温度に頬がじんわりと熱を持った。


 「何処行ってたんスか」

 「見晴らしの良いとこ探しててな、上から見てた」


 問い掛けた狼君に奥墨さんは遠くに見える背の高いビルを指差して答えた。どうやら僕達と別れた後、あの高いビルの上からこの辺りを見渡していたらしい。


 「回道が祓った妖はさっきのヤツのほんの一部分だな。上から見てたが、この辺り一帯にでけェ陰が出来てた」

 「あ、あれが一部分……」

 「まァ、アレはS級つってもほぼA級だな」

 「え!?」


 僕がボロボロになってやっとの思いで祓った妖が、実はあのS級のほんの一部分でしかなかった事実に頬をひくつらせていると、奥墨さんはそんな衝撃的な事を言う。

 あれがほぼA級に近いだなんて……。青ざめる僕を横目に、奥墨さんは「闘い方が動物的すぎたな、脳が育ってねェや」なんて訳の分からないことを言っている。そんな奥墨さんに僕は失礼ながらも、何言ってんだこの人……と思ってしまった。


 「それにしても、奥墨さん……どうやってあんなに早く、妖の目が分かったんですか?」


 ふと気になった疑問を、奥墨さんに投げ掛けた。


 「目?」

 「はい。僕、影が目だなんて全然気付かなくて、時間かかっちゃいました」

 「へェ、アイツの目って影だったのか」

 「え……?」

 「……あ?」


 まるで話の噛み合わない奥墨さんに首を傾げると、奥墨さんも同じように首を傾げた。


 「あの妖の目が影だって気付いたから、影を狙って祓ったんですよね……?」

 「いや?俺ァ目なんぞ気にした事ァねェよ。なァ?高専寺」

 「そーすね」

 「えぇ……」


 何言ってんだと言わんばかりに、奥墨さんと狼君は顔を見合せた。そんな2人の様子に、僕はギギっと効果音がつきそうな程戸惑いながら、「どういう事……?」と弥子君に助けを求めて首を回した。


 「妖の祓い方も人それぞれでね、目を潰さないと祓えないのは確かなんだけど……。

 狼や奥墨さんみたいに、目を探すのが面倒臭いって考える人達は、その目ごと、妖の存在そのものを跡形もなく消し炭にするやり方で祓うんだよ」

 「そんな無茶な……」


 困惑する僕に「でも、そうやって跡形もなく消しちゃうと目だって潰した事になるでしょ?」と、弥子君は言う。それはそうだけど、それにしても何とも力任せな祓い方だな……と率直に思った。


 「妖の祓い方は大きく分けて2つあって。狼や奥墨さんみたいに、目なんか探さずに存在そのものを跡形もなく消し炭にして祓う方法と、その存在の中から目だけを潰してピンポイントに祓う方法に分けられる。

 なんでこうして2つの祓い方に分かれるかは、まあ、何となく分かるでしょ?」

 「あぁ……うん」


 そう言って弥子君は笑いながら狼君と奥墨さんを指差した。どう考えても、ちまちま妖の目の場所を探すようには見えない2人の姿を見て僕は納得する。


 「弥子君は、たぶん僕と同じように祓うよね?」

 「うん、勿論。無駄な能力は使いたくないからね」

 「……そ、そうだね」


 祓い方は同じだけどその理由は恐らく僕と全然違うものだな。

 僕は密かにそう思ったけれど、にこりと笑いかけた弥子君に、わざわざそれを口にする事はせず、同じように笑って返した。

 

 そうしていつもの癖で、流れるように地面を見詰めていると自分の影が目に入った。


 「あ……。そういえば、妖の攻撃を跳ね返したあの大きな影は、奥墨さんの能力ですか?」

 「おう。あらァ俺の能力、陰影術(いんえいじゅつ)でェ」

 「陰影術?」


 何だかよく分からないけど、凄そうな名前の異能力だということはわかる。奥墨さんはいつもの様に番傘で肩をトントンと叩きながら言う。


 「影を操って術を組む、それが陰影術だ」

 「か、かっこいいぃ……!」


 そんな僕を見て奥墨さんは満足気に笑う。


 「ちなみに攻撃を跳ね返した術は『投影』」

 「投影……!」

 「妖を祓った術が『影踏み』」

 「影踏み……!」


 「か、かっこいい……」と尊敬の眼差しで見つめる僕を見て、奥墨さんは「お前可愛い奴だな」とまたもや頭を優しく撫でてくれる。


 「それにしても今日の影、いつもと少し違ってませんでした?」


 ふと思い出したかの様に弥子君が言った。その言葉に「ああ……」と何か思い出した奥墨さんは続けた。


 「創一郎に頼んでな、傘の構造イジってもらったんでィ」


 そう言って、肩を叩いていた番傘を僕達に見せた。


 あ。そういえば、あの時____








 

 ――


 「奥墨さん、行かないんですか?」


 伝書鳩が運んで来た御役目により、僕と奥墨さんが共に御役目へと向かうことになったあの時__。


 御役目の為、鐘鋳君のいる第7研究室を後にしようと、僕は狼君と弥子君に引き摺られる様にして部屋を出ようとするも、一緒の御役目だというのに奥墨さんは部屋を出ようとはしなかった。

 その様子に、僕は何だ?と疑問符を浮かべていると、僕の声を代弁するように弥子君が問い掛けた。鐘鋳君の元から去ろうとしない奥墨さんは、ちらりと此方を振り向くとヘラヘラと笑って言った。


 「先行っててくンな。俺ァ創一郎に頼み事してから行かァ」

 「は?嫌ですけど。さっさと御役目に行って下さい」


 信じられない程不機嫌そうに言った鐘鋳君は、これでもかと顔を歪めた。そんな鐘鋳君の頭を慣れた様子でくしゃくしゃと撫で回しながら「んな事言わずに頼まァ」と、さして気にする様子もなく奥墨さんは笑った。


 「すぐ追いつかァ」

 「了解です」


 「ほら、行くよ回道」とこちらに手を振った奥墨さんに背を向けると弥子君は僕に声をかけた。その声に押されるようにして僕達は第7研究室を後にしたのだ。



 

 ――




 


 

 そういえばここに来る前、奥墨さんは鐘鋳君とそんなやり取りをしていたな……と思い出した。あの時の頼み事というのがこれだったのだろう。


 「()を調節したくてな、中身をちとイジった」


 鐘鋳君に構造を少しいじってもらったという番傘を見詰めて奥墨さんは言う。そう言われて見ると確かに初めて見た時より何か変わったような……?

 

 この番傘って祓具だったんだ……と観察するように番傘を見ていると、


 


「あつッッ」




 

 突然左腕がズクンッと重くなり、それと同時にジュワッと熱が広がる様な痛みが左腕に広がった。何の前触れもなく走ったその痛みに、僕は反射的に痛む腕を強く抑え付けた。じゅくじゅくと熱を持ちながら痛むその左腕に、何だ……?と困惑していると、そんな僕の声に3人が振り返る。


 「あ、忘れてた。狼、御水(おみず)持ってきて」

 「おー」


 弥子君は素早く僕の腕に触れて狼君に声をかける。そして弥子君がそっと僕のシャツを捲り上げると__


 「ヒッ……な、なに……これ」


 露わになった自分の腕に僕は小さく悲鳴を漏らした。

 そこには身慣れた自分の腕ではなく、血管が飛び出そうなほどビキビキと浮き上がって、皮膚が赤黒く変色してしまった腕があった。何よりも恐ろしかったのは、注意深く見ていないと見逃してしまいそうなほど僅かにだが、それが僕の身体を侵食するように徐々に広がっている事だった。しかも、なんだかその腕から体力が吸い取られていくように身体はどんどん重くなっていく。


 「なんでェ觸ってたのか?その感じじゃ禊までは要らねェみたいだが……」

 「妖に干渉した時にちょっと……。一応水持って来てて良かったスわ」


 僕の腕を覗き込むように見た奥墨さんがなんて事ないように言うと、狼君がペットボトルに入った水を弥子君に手渡しながら答えた。


 「ど、どうしよう!これ、広がってる……なにこれッ」

 「落ち着いて回道、これくらいだったら大丈夫だから」


 見た事もない状態の腕に慌てふためき動揺する僕に、弥子君が落ち着かせるように声をかけた。そして弥子君は狼君が持ってきたペットボトルの蓋を開けて、なんの躊躇いもなくその水らしき透明な液体を僕の腕へとバシャバシャと満遍なくかけた。

 

 「冷たッ」と体の芯から冷えるような冷水を浴びて肩が跳ねる。一体何をしてるんだ、と自分の腕を見ると水をかけられた腕は熱が引くようにじわじわと元通りの皮膚を取り戻していた。

 瞬く間の出来事に僕の理解は到底追い付かない。


 「これは……」

 「これがさっき言った()()って事だよ」


 さっき?と何時の事だろうと先程までの記憶を探る。そういえば妖に呑まれそうになった僕を助けてくれた時、2人が觸るだとか、戻って来れないだとか、そんな事を言ってたような……と思い当たる節を見付ける。そんな僕の心情が顔に出ていたのか、弥子君は話を続けた。


 「妖に共感すると穢れをもらうって言ったでしょ?回道はさっき妖に共感しちゃったからね。穢れをもらってたんだよ。そうすると、こうなる」


 そう言って弥子君はすっかり元通りに戻った僕の腕を指差した。


 「今のが、穢れ?」

 「そ。穢れは基本痛みも無く静かに身体を蝕んでくからな、中々気付かねぇんだよ」

 「え、でも今、すごく熱くなって……」

 「あー、穢れは血管に沿って侵食してくんだけど、たまたま神経に掠ったんだろな。神経が觸ると一気に身体が自覚する」


 「だから急にきただろ?」と、狼君は自分の腕をトントンと指しながら僕に言った。狼君の言った様に、確かに急に腕が攻撃されたかの様に痛んだ。


 「まあそうは言っても、俺達觸った事ないからどんな感じなのかなんて詳しく説明出来ないんだけどね」

 「基本觸っちまったらお終いだしなァ」

 「えっ」


 弥子君に続いてさらりと怖い事をいう奥墨さんの方をバッと振り向く。そんな僕を見て奥墨さんは「そんなビビんなさんな」と可笑しそうに笑うが、僕は全然笑えない。


 「觸っても基本気付かねェからな。気付いた時にはもう身体中が穢れで觸られちまってるから、御水じゃ清めきれねェんだよ」

 「御水ってこの水のことですか?」

 「おう」


 僕は自分の腕にかかった水をみて問い掛ける。ペットボトルに入ったただの水にしか見えないけれど、どうやらこれが御水というものらしい。


 「そりゃただの水じゃなくてな、穢れを落として清める事が出来る水なんでェ。神社の手水舎なんかが良い例だな」


 そう言われて、神社に行くと最初に手を清める場所である手水舎を思い浮かべる。僕がさっきしてもらったのは恐らくあれと同じ事なのだろう。


 「ただ、御水で清められンのは軽度の穢れだけだからな……、全身にまで広がると穢れはもう精神と干渉しちまってるから清めンのは格段に難しくなる。そうなると禊じゃなきゃ清めらンねェ」

 「その、さっきから言ってる禊って言うのは……?」


 先程から何度か耳にするその「禊」という言葉が気になっていた。その言葉の意味から何となく想像は出来るが、きっとそう簡単な事ではないのだろう。ゴクリと固唾を飲んで言葉を待つ僕に、弥子君は静かに話し始めた。


 「禊って言うのは、そうやって精神にまで觸ってしまった者の穢れを清めるために、7日7晩を使ってその身を清める(みそぎ)と呼ばれる術だよ。

 ……ただ、この禊の術は精神にかなりの負荷がかかる術だから、殆どの人間はその負荷に7日7晩も耐えられずに精神が崩壊する」

 「精神が崩壊するって……」


 言葉を繰り返した僕に、弥子君はゾッとする程綺麗で妖艶な笑みを浮かべる。


 「廃人になるってことだよ____」

 「っ」


 その言葉に声に鳴らない悲鳴が出る。だって、それってつまり、助からないって事だ。


 「ま、そもそも禊にまでいく前に(さわり)に精神が呑まれて(けがれ)になっちまうから、禊が出来る奴なんて殆どいねぇから安心しろよ」


 そう言って弥子君にもたれ掛かるように腕を組みながら僕を見た狼君はニカッと眩しい笑顔を向けた。そんな笑顔で言われても何のフォローにもなってないし、余計怖いんだけど……と青ざめる僕を無視して、目の前では「狼、重い」なんて文句を言われながらも弥子君と狼君はやはり仲良さげなやり取りをしていた。


 「てかさっきの回道だって、結構危なかったんだよ?」

 「へ?」


 グイッと狼君の体を押し退けた弥子君が僕の顔を覗き込みながら「ちゃんと分かってる?」と再度問いかけてくる。そんな弥子君に全く言葉の意図が読めない僕は素っ頓狂な声を上げた。


 「あの時の回道、かなり妖と共感し合ってたし、切り離すのがもうちょっとでも遅れてたら、精神にまで穢れをもらうとこだったんだよ」

 「え!!?」


 「そうなの!?」と驚いて声をあげれば、弥子君はやれやれと言いたげな目を向けてきた。


 「觸に精神が呑まれて穢になるっていうのは、妖と似たものになるって事なんだからね。

 俺達能力者はこの血のおかげで妖を生むことはないけど、觸に呑まれるとその血は妖と交ざって穢れたものになる。そうなると、もうこっち側……人間に戻れなくなるよ」


 声を落として射抜くように僕を見てそう言った弥子君の言葉に、背中がひんやりと冷たくなる。もしもあの時、2人が助けてくれていなかったらと思うとゾクリと震えた。

 そんなに僕は危ない状況だったのか……と、自分の不甲斐なさに僕はやはり落ち込んでしまう。


 「ま、今回の事で身を持って知っただろうから、次からはちゃんと一線引くんだよ」


 目に見えて肩を落とした僕に、弥子君は眉を下げて少し困った様に笑った。「そんな落ち込まないでよ」と優しく慰める様に頭を撫でられて、思わずじわりと涙が込み上げてきた。


 「……ぐすっ」

 「えっ泣くの!?」


 込み上げてきた涙を止めることが出来ずに、重力に従ってボロボロと溢れさせた。滲む視界に珍しく焦った様な顔の弥子君が映る。弥子君はおろおろと「これじゃ俺が泣かしたみたいじゃん……」と僕に目線を合わせてまた一つ頭を撫でた。

 そんな僕の元へ狼君や奥墨さんもやってきて、僕は3人に囲まれながら涙を拭った。


 「お前結構泣き虫だよな」

 「おーおー泣いとけ泣いとけ」

 「ちょっと見てないでどうにかしてよ」


 涙を流す僕を必死に慰め続ける弥子君を見て、狼君と奥墨さんは揶揄うように笑っている。いつも余裕そうで器用に何でもこなして見せる弥子君とは違って、今の彼は不器用に何とか僕を慰めようとしている。

 

 僕を囲んでわちゃわちゃと騒ぐ3人を見ていると、頬が何やら涙ではない何かで濡らされた。


 「ぐすっ……雨?」


 頬に付いた雫を拭うとそれは透明な水の様で、雨でも降り始めるのだろうかとぼやけた視界で空を見上げる。空には見た事のある鳥数十羽が羽ばたいていた。

 霧吹きをかけているかのような細かな粒子の雫はどうやらこの辺り一帯に降り注いでいる様だった。すると風に乗ってふわりと、なにか甘いようなとても良い匂いが鼻を掠めた。それらをどうやら狼君達も感じた様で、僕と同じく空を見上げて呟いた。


 「御清めか」

 「御清めって……?」


 ぐすぐすと鼻を啜りながら問い掛けた僕に狼君が答えてくれる。


 「御役目が終わるとその辺り一帯に「御清め」っつー儀式が行われんだよ。

 お前の腕にかけたのと同じ、穢れを清める御水を伝書鳩が運んできて、御香を焚きながらその辺り一帯の穢れを取り除く」

 「これが、御清め……」


 空を見上げると何処から現れたのか、パタパタと羽を鳴らしながら数十羽の伝書鳩がその真っ白な羽を広げて羽ばたいている。

 空気の中に含まれる細かな御水が優しく僕らに降り注ぐ。甘い御香を(かぐわ)せながら傷付いた身体を労わってくれるように。


 「……御清めの1番の目的は、妖を視ちまった人間の記憶からその記憶を消す事だ。忘却の術がかかった御香が、人間の妖に関する記憶を忘れさせる」

 「なんで、そんな事を……」


 淡々と言葉を紡ぐ狼君に問い掛ける。

 

 忘れさせるなんて、なんでそんな事を……。

 

 「…………知らぬが仏ってゆーだろ?識らなくてもいい事っつーのは少なからず存在するからな。

 今まで何も識らずに生きてこれたんなら、これからも、識らずに生きンのが幸せなんだよ」


 そう言った狼君の顔は影に隠れてよく見えなくて、それがどこか無性に儚かった。まるで触るとすぐに弾けて消えてしまう泡のように。

 

 ____ねえ、狼君は今、一体どんな顔をしているの?


 そんな想いを乗せるように僕は「……狼君?」と、そっと彼の名前を呼んだ。名前を呼ばれた狼君が此方を向いて、やっとその顔が見えた。そして彼はいつも通りの笑みを浮かべてニカッと笑った。


 「ちなみにこれ御水だからさ、俺等も少しの穢れなら清められるぜ」

 「えっ、じゃあ僕、この御清めで清められたんじゃ……」

 「いや、お前のは重すぎ。御清めまで待ってらんなかったワ」

 「ンな事いってお前さん等、回道の觸忘れてたじゃねェか」


 ………………。


 「え?」

 「あ、ちょっと奥墨さん余計な事を…」


 さらりと爆弾発言をした奥墨さんに弥子君が慌てて口止めしようとするが、当の本人は何ら悪びれる様子もなく、「なんでェ、ほんとの事じゃねェか」なんて言う。そしてそれは僕の耳にもしっかりと届いてしまった。


 「わ、忘れてたって……」

 「わりぃわりぃ、すっかり忘れてたんだワ」


 と、全然悪いと思って無さそうな清々しい笑顔で狼君は言った。そんな狼君の姿に弥子君は額を抑えて深い溜息を吐いた。


 「あ、そうだ回道。りんどーにはこの事内緒にしといてくんね?バレたらうるせぇからさ」

 「こんだけ荒らしちゃったらもう、うるさいのは変わんないと思うけどね」

 「お前等なかなか派手にやったなァ」

 「いやトドメ刺したの奥墨さんスけどね」

 「俺まだこの前の始末書残ってるんだけど……」


 各々わちゃわちゃと騒ぎ立てる3人の様子を眺める。


 今の3人は、どう見たって能力を持たない普通の人間と同じ、ただの人間にしか見えなくて。僕にはそれが、なんだか可笑しかった。



 

 

 僕がこんな奇妙な世界を識らなければ、絶対に交わる事は無かったであろうこの3人との出会いに、この出会いは運命みたいだなと少々クサい事を思った。



 


 さっきまで涙が溢れて止まらなかったのに、いつの間にか涙なんてものは引っ込んでいた。

 未だにぎゃーぎゃーと騒ぎ立てる3人の様子に、僕は自然と口角が上がる。そして________、


 「ふっ、あはははは!」


 僕は声を上げて笑った。

 

 大きな口を開けて笑うのなんて、記憶を無くして以来初めてで僕自身も少し驚いた。

 

 泣いているかと思いきや今度は声を上げて笑い始めた僕に、3人は揃って驚いたような顔をした。目に溜まった涙を人差し指で拭いながら笑う僕に、3人はほっとした様な顔をして優しく微笑んだ。


「泣いたり笑ったり忙しい奴だな」


 狼君は一言そう言って優しく僕の頭を小突いた。奥墨さんは僕の肩にポンと優しく手を置いて微笑んで、弥子君は正面から僕の頭を撫でて笑った。


 

 3人の瞳には確かに、笑顔の僕が映っていた。








 「それじゃ、御役目も無事に終えた事だし帰ろうか」

 「腹減った〜なんか食ってかね?」

 「お、いいねィ」


 3人はぞろぞろと帰路につき始める。日は傾き、空は徐々にオレンジ色に染まりつつあった。

 そんな3人に、まだこの場所でやる事が残っている僕は「あ、ちょっと待って」と声をかけた。

 3人が不思議そうに僕を振り返った時、後ろの建物から小さく物音が聞こえてきた。音のする方へと皆が視線を向けると、周りの建物が崩壊している中で不自然にも唯一無事だった建物から、あの少年が小さく顔を覗かせていた。


 「お、お兄さん……」


 建物から出ないように言った僕の言いつけを守って、少年はずっと建物の中に隠れていたのだろう。辺りがいつも通りの静けさを取り戻した事で、恐る恐る顔を出した様だった。


 辺り一帯の建物が崩壊している中、彼のいる建物だけが唯一無事だった。僕はその事に疑問を覚えたけれど、すぐに弥子君の能力を思い出して納得した。S級の妖の攻撃を防いだ時、防御力に特化している弥子君が能力を使わなかった理由__、それはずっとこの少年のいる建物を守っていてくれたからだった。

 ちらりと弥子君の方を見ると、僕の思いに気付いているのかいないのか、弥子君はひらひらと手を振って笑った。

 

 僕は少年の元へと急いで駆け寄った。


 「ごめんね!声をかけるの遅くなっちゃって……もう大丈夫だよ」


 そう言って少年の目線に合わせて膝を折ると、少年はほっとしたように胸をなでおろした。


 「…あの、ごめんなさい。僕が踏切に入っちゃったせいで、助けようとしてくれたお兄さんまで竜巻に巻き込まれちゃって……」

 「え……」

 「僕、その……なんだか踏切でぼーっとしてたみたいで……ふらふらしちゃって、それで……」


 心底申し訳なさそうに謝る少年の言葉がどんどん尻すぼみになる。そんな少年の言葉は僕の記憶と明らかに相違していて違和感を覚える。

 おかしい……、だってこの少年には妖が見えていたはずだ。大体この竜巻はただの竜巻じゃない、妖の攻撃によるものだ。それなのに一体、どうして……。


 「君、覚えてないの?この竜巻は____」

 「回道」


 「妖によるものなんだよ」、そう続けようとした僕の言葉を遮って、狼君が僕の肩に手を置いて言葉を止めた。その顔はまるでそれ以上は言うなと言っている様で僕も言葉を止めた。


 「言っただろ、御清めによって妖に関する記憶は消えてんだ。此奴のなかでは竜巻に巻き込まれたって事で記憶されてんだよ」

 「あ……」


 耳元に口を寄せ、少年には聞こえないように言った狼君の言葉にハッとする。そうだ、さっきの御清めでこの少年は妖に関する記憶が消えてるんだ。

 途中で言葉を止めた僕に、少年はキョトンとした顔で言葉の続きを待っている。そんな少年に僕は慌てて訂正した。


 「…お兄さん?」

 「なっ、なんでもないよ!君が無事で良かった」


 そう言って誤魔化すように笑うと、少年もどこかぎこちなく笑って見せた。酷く濁ったその目は、僕達の視界から逃げるように、「えっと……じゃあ、僕はこれで……」と再度お礼を告げて早足にこの場を去ろうと後ず去る。

 そんな彼に、僕はたまらず声を掛けた。

 

 「ッちゃんと見えてたから!!」


 思っていたよりも大きな声を出した僕に、目の前の彼はもちろん狼君達も驚いた顔をした。何を言ってるんだと言わんばかりの顔をしている狼君達をよそに、少年は溢れんばかりに目を見開いて「……ぇ」と小さな声を漏らした。


 「僕は自分の意思で君を助けたんだ!踏切で待つ君の姿が、今にも消えそうだったから……」


 陰にのまれて、妖の根源に触れた時聞こえた声。その声のどれもが僕に突き刺さった。その声があまりにも僕にそっくりだったから。だから、僕は強く惹き込まれた。


 

 でもそれは、きっと彼も同じだった。



 

 「君が、全部を諦めた顔をしていたから」


 僕の言葉に少年は驚愕した表情を浮かべた。それはまるで、ずっと隠してきた秘密を他人に暴かれてしまったかのように。

 

 僕は立ち尽くしたまま動けないでいる少年の元へと足を動かした。彼の前に立つと、その小さな体はゆっくりと僕を見上げた。


 「な、んで……」

 「僕も、影だから」


 少年が息を飲んだのがわかった。僕は少年の濁った瞳をただ真っ直ぐに見つめた。そして数秒の間、僕達はただただ無言で見つめ合い続けた。

 

 「…………ぼくは、」


 数秒間の沈黙の後、少年はゆっくりと口を開いた。


 「僕は、影なんです……出来の良い兄の影に隠れて生きる、影」


 下を向いたせいで、前髪が彼の目を覆い隠した。僕達だけの空間に彼の声だけが静かに音を放つ。


 「不満なんてものは、ありませんでした。いじめとか、そんなものもなくて……家庭環境だって普通です」


 初めて彼を見た時、どうしてか、彼の顔がよく見えなかった。それはまるで地面に映し出された影のようで。僕はそんな彼が酷く気がかりだった。


 「……ただ、それだけなんです」


 沢山人がいた中で、彼だけがあの妖に惹き込まれた理由。


 

 それは________


 

 「誰にも、僕は見えていないんです。学校でも、家でも……、どこに行ったって僕は()()()()()()()()で、僕は僕になれない……」


 彼も()だったからだ。


 誰かの影になって生きる、そんな影だった。誰かの放った光で浮かび上がって、彼自身の顔は、きっと誰も見ようとしなかった。


 「そういえばそんな奴もいたなって……、そうやってみんな僕を忘れていく。僕が居なくなったって、きっと気付かない。みんなの毎日は何も変わらない……ただそこに、僕という存在だけが消えてなくなるだけ」


 彼の言葉が痛いほど突き刺さる。これから彼が言おうしている言葉を、僕は容易く想像出来てしまうんだ。


 「……誰の記憶にも残らないのなら、何で……、何で僕は此処にいるの………っ」


 おそらく彼の奥底に眠る、消えたいという感情が妖に強く魅せられたのだろう。その隙間に妖は入り込んで、彼を唆し死に誘い込んだ。そうやって誘い込まれた彼は、生と死の境界線を簡単に超えてしまう。

 

 あの影の妖は、そうやってこの踏切を通る人間を何人も自殺へと誘い込んだのだろう。弱い部分に憑け込まれた人間は、いとも簡単にその()を選んでしまうから。


 

 酷く震えた声が僕の鼓膜を揺らした。相変わらず濁った瞳はきっと何も映し出していないのだろう。

 願うように問い掛けられた言葉の答えを僕は持ち合わせていない。


 だから____


 「……分からない、僕にはその答えは分からないよ。僕も君と同じように自分の生きてる意味を探してる途中だから」

 「……え?」


 「お兄さんも?」とでも言いたげに彼は僕を見上げた。今にも泣き出しそうな瞳に力を入れて、堪えるように彼はそう呟いた。


 「だから聞きに来たんだ、君のこと」


 まだまだ幼い僕よりも小さな手を握る。


 

 消えてしまわないように、散ってしまわないようにと。


 そんな願いを口に出すのは、あまりにも無責任な気がしたから、せめてこの手から伝わるように、と。


 そう、勝手な願いを込めて____。


 


 「君の名前は、なんて言うの?」


 きらり、彼の瞳が水に反射して光る。濁った瞳が徐々にぼやけてその瞳に薄い水の膜を張る。


 「…………き、」


 風に掻き消されそうな程、小さな声が僕の耳に届く。一つも聞き逃すことがないように、僕はそっと耳を澄ました。


 「は、るき……、僕のっ、名前は……、齋藤(さいとう) 春輝(はるき)っ」


 堪えていた涙が遂にその瞳から溢れ落ちた。溢れた雫を追いかけるように、全ての濁りを洗い落とすように、また一つ、また一つと頬を伝って滑り落ちていく。

 彼の口から零れた「齋藤 春輝」という名前が、彼を形創って、そして彼自身に成っていく。


 「……やっと顔が見えたね、春輝君」


  子供のように涙を流す彼__春輝君の顔が見えた。それは出来の良い兄の弟でも、誰かの影でもない、ただただ自分を見つけて欲しかっただけの、春輝君の顔だった。


 僕はそんな君の名前が知りたかったんだ。

 

 子供のようにボロボロと涙を流す春輝君に、何故か僕も同じように涙が溢れた。


 「僕は回道 廻、僕も君と同じ影なんだ。……でも、そんな僕をみんなが見つけてくれたんだ。だから僕は、回道 廻になった」


 そういうと春輝君は僕の後ろにいる狼君達を見た。後ろでずっと静かに見守っててくれる狼君達が、僕を「回道 廻」として形創ってくれた。

 

 そんな風に、僕も春輝君の()を救いたいと思ったんだ。


 

「春輝君、僕にはちゃんと春輝君が見えてるよ」




 

 

"「祓」は誰かを救う御役目だ。救われた人間は自分を救ってくれた人間を確かに記憶する。

 誰かを救うことは誰かの記憶に残ることなんだよ"



 


 いつかの竜胆先生の言葉を思い出す。きっと竜胆先生の言っていた事はこういう事なのだろう。


 

 濁りが全て落ちきった瞳にはしっかりと鮮明に僕が映し出されていた。


 「……っ廻さん、見つけてくれて、ありがとうっ」


 そう言って涙を流しながら笑った春輝君の笑顔は、その名前の通り、春の陽気のように暖かくて、太陽のように優しく輝いていた。






 

 







 

 

 ――



 

 「……で?」


 学園内高等部工業科第7研究室____



 

 無事に御役目を終え、学園に戻って来た僕達はまたもや鐘鋳君のいる第7研究室を訪れていた。

 

 そして目の前で正座をして縮こまる僕を、鐘鋳君は容赦ない目付きで見下ろしていた。そんな鐘鋳君に僕は冷や汗が止まらない。


 「いや、あの……なんて言うか、その……」

 「つまりアンタは、つい数時間前に創ったばかりの祓具を刃こぼれさせた……と?」

 「……はい」


 「はぁーー」と態とらしく大きな溜息を零した鐘鋳君に背筋が伸びる。

 鐘鋳君の言った通り、僕は数時間前に創ったばかりの祓具を、感情任せに振りかぶったりしたせいで妖の攻撃をくらい、見事に刃こぼれさせてしまったのだ。


 その刃を修復してもらうため、僕達は再び鐘鋳君の元を訪ねていた。


 「そう怒りなさんな、可愛い顔が台無しだぜ」

 「奥墨さんはまじ黙ってて下さい」


 研究室内にある祓具を弄り回しながら片手間に言う奥墨さんに、鐘鋳君は額に青筋を浮かべた。


 この2人の関係性は本当に何なんだろう。自由気ままな奥墨さんが、いつも鐘鋳君に毒を吐かれている印象しかないけれど……。それも2人の仲に確かな信頼関係があるからこそなんだろうな。


 「創ったその日に修復するなんて、ほんと奥墨さんみたい……」

 「へ……?」


 ぼそぼそと愚痴を零すように言った鐘鋳君は、素っ頓狂な声をあげた僕に「いえ、なんでも」と続け、再び一つ溜息を短く零すと、僕に手を差し出してきた。


 「ほら、貸してください、修復するんで」

 「あ……うん、ありがとう」


 そう言って差し出された手の平に祓具を乗せると、鐘鋳君は左手を刃こぼれした部分にかざした。するとかざした部分が青白く光を放ち始め、ピキピキと聞いた事のある音を立てながら傷付いた刃を綺麗に修復していった。それを思わず食い入るように眺めていると、あっという間に修復は終わった。


 「はい、どうぞ」


 鐘鋳君は僕の手に綺麗に直った祓具を持たせた。手に乗せられた祓具は、刃こぼれしていたなんて考えられないほど綺麗に元通りの姿を取り戻していた。


 「今度は触れなくても直せるんだね」

 「もう形に成ってるんで、直すのに情報は必要ありません」

 「なるほど……」


 淡々と話す鐘鋳君に本当に凄い能力だなと、本日何回目かの関心を覚えた。


 「今日は色々手間かけたね。ありがとう鐘鋳、助かったよ」

 「い、いえ!そんな、手間なんか……」


 そう声をかけた弥子君に先程とは打って変わって、照れたように頬を赤らめる鐘鋳君。

 

 この2人も何なんだろう……。鐘鋳君が弥子君を尊敬していて、大好きだという事だけは確かに伝わってくる。

 

 そんな鐘鋳君に僕もおずおずと話しかけた。

 

 「あの、鐘鋳君。創ってくれたばかりの祓具、傷付けちゃってごめんね……それと、直してくれてありがとう」

 「…………いえ、別に。

 俺には危険な御役目は来ないんで……。こうやって安全な場所から、御役目を担うアンタ達をサポートするのが、俺の役目ですから」


 そう言った鐘鋳君の顔は、その事にどこか劣等感を抱いているかのように見えた。綺麗に切り揃えられた前髪が彼の目にかかって影を作る。

 僕は無意識に彼の目に影を作っている前髪に手を伸ばしていた。そっと目にかかった前髪を払って、彼の顔を覗き込んだ。


 「それじゃあ、鐘鋳君は陰の立役者だね!」

 「は……」

 「そうやって陰ながら皆を支えてるんだ。そんな鐘鋳君のお陰で僕達は闘えてて、救われる人達がいる……やっぱり鐘鋳君は凄いよ!」

 「…………」


 僕の言葉に鐘鋳君は大きく目を見開いたままピクリとも動かなくなってしまった。

 もしかして前髪を勝手に触ってしまったのが不快だったのだろうかと、僕は慌てて手を除けるも鐘鋳君は止まったまま動かない。


 「か……鐘鋳君?」

 「心配しなさんな回道、これただびっくりしてるだけだから」


 「なァ?創一郎」と、奥墨さんが鐘鋳君の頭にポンと手を置くと、それを合図に鐘鋳君は再び動きを取り戻した。


 「っな、に言ってんすか奥墨さん、アンタも。よくそんな恥ずかしい事をベラベラと……。てか、触んないでください」

 「素直じゃないねィ、嬉しい癖に」

 「アンタまじ黙っててくださいよ」


 頭に置かれた奥墨さんの手を払い除けながら、口早に鐘鋳君は言った。そこにいつものクールさや怖さは全く無く、その頬は少し赤く染まって見えた。

 そんな鐘鋳君に奥墨さんも弥子君も狼君も、そして僕も自然と笑みが溢れた。

 

 「っもう、何なんですか!直し終わったんですから、さっさと出て行ってください!!」


 ついにキレた鐘鋳君が頬を赤く染めたまま、グイグイと僕達を扉まで押しやる。その細い腕のどこにそんな力があるのやら……。

 

 「創造の邪魔です」と、僕達4人を纏めて研究室の外へと追いやった鐘鋳君は、パンパンっと数回手を払った後、足早に中へと戻ろうとする。そんな鐘鋳君に僕は慌てて口を開いた。


 「ちょっと待って鐘鋳君!」


 大きな声で呼び止めた僕に、鐘鋳君は扉にかけていた手を止めて此方を振り返った。

 まだ何かあるのか?と言わんばかりに怪訝な顔をした彼に、僕は言葉にして伝えた。


 「鐘鋳君の創る祓具、本当に使いやすかった!これがなかったら僕は妖に何も出来ずに終わってたよ。

 

 だから、その…………っありがとう創一郎君!!」


 弾かれたように創一郎君はその目を真ん丸にした。


 「……あんた距離感バグり過ぎでしょ。奥墨さんかよ、ほんと調子狂う……」

 「なんでェ創一郎、素直に嬉しいって言ってやんな」

 「黙れ」


 「おうおう、可愛いなァ創一郎」と、創一郎君の肩に手を回して絡む奥墨さんに、創一郎君は心底ウザそうに顔を歪めている。

 いつもの冷静さは何処へやら、敬語も抜け落ちた創一郎君は毒を吐きながら奥墨さんに反抗する。その2人の様子は兄と弟のじゃれ合いのようで、見ていてとても微笑ましかった。


 「げ……玄雲さんも、ありがとうございました!今日一日で、僕も識らなかった世界の事……色々識れた気がします」


 そう言った僕に玄雲さんは一瞬驚いた顔をした後、「おう、そりゃ良かったな」と優しく微笑んだ。


 「もうほんっと、さっさと帰ってください」


 心底面倒くさそうに言った創一郎君の声が僕達4人だけの世界に木霊した。







 

 

 祓具を創って、初めての御役目をして、識らなかったこの世界の事を識った。

 とても一日に起きた出来事には思えないくらい濃い一日だったけれど、そのどれもが僕にとってとても大切なものになった。







 





 

 

 一際光を放つ者が居るその後ろで、決して日の目を浴びる事のない者達がいる。

 

 誰に気付かれる事もなく、ひっそりとただ静かに努力を重ね、陰の中、その光を追いかけ続けているのだ。



 

 しかしその努力は到底その成果とは見合わない事ばかりだろう。



 

 光っているものばかりに目を惹かれるこの世界では、その真っ黒な陰が光を放つことは決してない。





 

 でも______




 

 

 そんな陰あるからこそ、光はより一層強く輝く事が出来るのだ。





 

 名前の無いその陰は一体何なのだろうか。





 


 きっと殆どの人間は、その名前を識る事はないのだろう。







 

 

 けれど、僕は識っている。




 

 

 僕にはちゃんと見えている。




 

 その陰の名前は________









 






 



 第四話「(かげ)名前(なまえ) ()」-完-

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