豹変令嬢ですが、ちょっとよろしくて? ノブレス・オブリージュだゴルァ!
丘を駆け抜ける馬の足音が響く。
葉の隙間から光が差し込んで、斑模様ができている。さわやかな風が吹き渡ると葉ずれの音が聞こえて、だんだんと速度を落としはじめた馬の足元の木漏れ日が揺れた。
馬上にいた令嬢エリシアが厩舎の前でそろりと降りると、従者のルーがあわてて下馬して駆け寄った。
「すみません、エリシア様」
「あら? どうしてルーが謝るの?」
「馬から降りられる際は、私がエスコートすべきです」
「いいのよ。私が降りたいときに降ります」
令嬢エリシアは金色の絹糸のような髪をふわりと振って、従者からタオルを受け取った。汗を拭きながら帽子を脱ぎ、ムチを馬番に渡す。
「風が気持ちよくて、とてもいい早駆けだったわ! 馬の手入れをよろしくね」
にこやかにそう言い残して屋敷に戻るエリシアを、ルーは小走りに追いかけた。
「エリシア様、次のご予定ですが……」
ルーの声がけに小さく笑い声をあげながら、エリシアは庭に面したガラス戸を開いた。生まれたときから慣れてはいるが、貴族教育というのはときに窮屈だ。
「休憩でしょう? 着替えて息をつく時間が必要ですもの」
「はい。今、お着替えをメイドに用意させます」
靴音を規則的に響かせてじゅうたんを歩くエリシアに、メイドたちが近づいてきた。
メイドたちは手際よく、次々とエリシアの身支度を整える。すっかり着替えたエリシアは、サイドテーブルに置かれたティーソーサーを手に取る。
「ルーも喉が乾いたでしょう。支度が済んだら、お飲みなさいね」
「はい。エリシア様」
カップを口元に運んで紅茶を飲むと、エリシアは長いまつ毛を伏せ、ため息を一つついた。
先日、領地の視察中に護衛のルーともども誘拐された。雨にうたれて震えているルーを、賊の一人が足蹴にしたとき……エリシアの目の前に小さな稲妻が走った。
気が付けば、エリシアの記憶にない言葉を叫んでいた。角材を持って賊を相手に大立ち回りをし、自力で脱出していた。
そのとき、令嬢エリシアは自分が異世界に転生したことを悟った。
ティーカップを置く手がわずかにためらう。ティーソーサーがことりと音を立てた。
──まさか、自分の前世がヤンキーだったなんて……。
これまで貴族令嬢として生きてきたエリシアには、当然角材を振り回した経験などない。
本当に自分がやったのだろうかと何度も疑ったが、ささくれだった角材の感触はあまりに生々しく、今でもありありと思い出せてしまう。
何度目かのため息が出たところで、従者のルーが声をかけた。
「エリシアお嬢様、ご気分がすぐれませんか? でしたら、お散歩はいかがでしょう? お付き合いいたしますよ」
「そうね……。気晴らしにはちょうどいいわ。今着替えたばかりで悪いけれど、お忍びで街を歩けるような格好にしていただける?」
メイドたちは一瞬きょとんとしてから、かしこまりましたと支度をはじめた。
***
昼下がりの街の大通りは、活気に満ちている。エリシアはまぶしさに目を細めて、楽しそうにはしゃぐ子供たちや、市場の喧騒、手押し車に乗せた積荷が行き交う様子をながめた。
エリシアは普段よりもほんの少し短いスカートの裾を気にしながら、街を歩く。ふくらはぎが見えるのが気になって仕方がない。
「ルー、いらっしゃい」
半歩下がって歩いていた従者のルーの腕をとると、エリシアはそっと耳打ちをした。
「お忍びなのだから、並んで歩くこと。……いいわね?」
「はい。エリシア様」
「エリー」
「……エリー様」
「もう! ルーったら!」
屈託ない笑い声をエリシアがあげたとき、人波にどんとぶつかった。
「きゃっ、ごめんなさい。……大丈夫?」
大通りを駆け抜けていく子供の後ろ姿にエリシアが尋ねる。口元に添えられた手を見て、ルーが目の色を変えた。
「エリー様、ブレスレット! ……追いかけます!」
右に左にと人波をくぐり抜けていく子供を追って、ルーが走り出す。
「あら? わたくしのブレスレットが……」
エリシアはきょとんとして、少し軽くなった手首のまわりをまじまじと見つめた。
***
人波のなかでルーがときどき見えなくなるのに気付いて、はぐれないように後を追ったエリシアだったが、すでに遅かった。
エリシアは無意識で持ち上げていたスカートの裾を下ろして、辺りを見渡してみる。大通りから一本入った脇道まではなんとか追いつけたが、その先でルーを見失ってしまった。
街の人々の悲鳴が、ひゃあっと上がる。悲鳴の聞こえた方に顔を向けると、ルーの叫び声が聞こえた。
「賊め!」
「こんなところで武器を抜くなよ! 危ないだろ!」
ようやく追いついたエリシアが駆け寄る。レイピアを構えたルーと、柄の悪い男がいる。先ほどぶつかった子供が、柄の悪い男の後ろにさっと隠れた。
「ブレスレットを返してもらおう!」
「コイツが俺に売ったんだ! だからこれはもう、俺のもんだ!」
「盗品でもか!」
「保安官に突き出すなら、コイツだろ! 俺だって、盗品をつかまされた被害者なんだぜ!」
そう叫ぶと、男は後ろに隠れていた子供をルーに向かって突き飛ばした。子供が路地裏に積まれた木箱にぶつかる。フタが外れて、なかの果物がいくつか見えた。子供だけでなく木箱まで突き飛ばして、男は一目散に建物に逃げ込んだ。間髪入れずにルーが追う。
石畳の上に転がったリンゴを、子供たちがかき集めている。エリシアはぎゅっと胸元で手を握りしめてから、ルーを追って建物に入った。目の奥で小さな火花がぱちぱちと弾けていた。
***
チキンスープの匂いが鼻先をかすめていき、むわっとした湯気が立ちのぼった。厨房のようだ。
「賊め! ブレスレットを返せ!」
ルーの剣幕に、料理人たちがあわてて逃げていく。先ほどの男に向かって、ルーがレイピアを突き出す。男はあわてて厨房にあったまな板を構えた。まな板に乗っていた切りかけのカブが転がり落ちる。
ルーの深い踏み込みとともに、まな板にレイピアが突き刺さる。剣のしなる不気味な音が響いた。
「くっ……抜けない!」
ルーがレイピアを引き抜こうとするが、せまい厨房では身動きが取りづらいようだ。
エリシアの背後からそっと厨房をのぞいていた子供たちに、男は叫んだ。
「おい! そこのトマトを、この物騒な女に投げつけろ!」
子供たちがびくりと身体をすくませて、おそるおそるトマトに手を伸ばす。エリシアの目に、パチっと小さな稲妻が走った。
腕を伸ばして子供たちを制する。
「おめぇよぉ……。ガキになんちゅうこと教えてんだよ。ああん?」
ピンと伸びていたエリシアの背筋は曲がり、重心が片足に寄る。斜め下から鋭い視線を飛ばしたエリシアに、男が振り返った。
男がルーを突き飛ばして、エリシアに襲いかかる。男の口元は歪んでいる。
どうせ女だとなめたことを考えているなと、エリシアは男をにらみつけた。手近にあった鍋の取っ手をつかみ、男の手を弾く。
男は舌打ちをして、もう一度エリシアに拳を向けた。
「エリシア様! 危ない!」
ルーが背後から男につかみかかろうとしたとき、甲高い音が厨房にこだました。
「いっ……てぇ!」
「ルー。子供たちを避難させろ」
鍋を殴った男が手を引っ込めて、金属製の小手のパーツを動かす。拳の上で、金属が鈍く光っている。怒りに任せてまっすぐにくり出された拳を、エリシアは鍋で受け止めつづけた。厨房にガンガンと、ひっきりなしに音が響く。
「『子供たちを避難させろ』……だって? 防戦一方だなぁ! 口だけじゃないか!」
子供たちを避難させながら、ルーが唇を噛み締めている。正義感の強い従者が怒りに震えているのを見て、エリシアは舌打ちをした。
「笑えねぇモノマネだなぁ、オイ。サルの方がうめぇわ」
男の顔がさあっと赤く染まる。鼻息を荒げて、男が渾身の一撃をエリシアにくり出した。
「正しいことはな! 力があってこそだ! 力がなきゃ、意味なんてない!」
男の拳が、ついに鍋を突き破った。ルーが「エリシア様!」と悲痛な叫びをあげるのと、男が満足げに鼻を鳴らしたのは、ほぼ同時だった。
不穏な空気のなかで、エリシアはニヤリと頬をつりあげて笑った。
「鍋に穴が空いたぞ!」
「……いいパンチ持ってるじゃねぇか! おかげで武器の完成だ!」
エリシアの言葉に、誰もが耳を疑った。男は鍋に腕を突き入れたまま、たじろいでいる。エリシアは構えていた鍋をぐんとひねって、柱に思い切りぶつけた。
拳で突き破られた鍋は、今やギザギザとした歯で、男の腕に噛みついていた。
「ノブレス・オブリージュだゴルァァァ!」
痛みで絶叫する男の口に、エリシアが猛烈な勢いで鍋のフタをねじ込んだ。
「ヒッ!」
横で見ていたルーが思わず悲鳴をあげて、子供たちの目を覆う。
鍋を突き破った腕をぎこちなく動かしてフタを取り出そうとする男の前で、エリシアはスカートを押さえつつヤンキー座りをした。
「トドメだ!」
エリシアが足元に敷かれていたキッチンマットを手前に引くと、男はバランスを崩して後ろに倒れ込んだ。
ごわんと鐘を打ち損ねたような鈍い音がして、男は動かなくなった。男の口から転がり出たフタが石畳の床に落ちて、くわんくわんと音を立てながら回った。
「よっしゃ! ゴングだ! 試合終了だな!」
エリシアはすっくと立ち上がる。気絶した男を足で横に転がして食堂へと向かい、どっかりと席についた。
先ほど逃げ出した料理人たちが、肉料理をエリシアの前に運んでくる。
ルーはおそるおそるエリシアのあとを追って、席に着いた。
「お嬢様……どこであんな技を覚えられたのですか?」
「あ? なんか、カンフーアクション映画っぽいかなって」
肉を頬張りながらエリシアが答えたとき、保安官がやってきた。
***
エリシアがすっかり肉料理を食べ終わったころ、子供たちがおそるおそるやってきて、ブレスレットをエリシアに返した。
テーブルの上にフォークを置くエリシアに、子供たちはびくりと身をすくめておびえている。
「ご……ごめんなさい」
「おう! もうすんなよ!」
エリシアの言葉を聞いて、ルーが強張った表情を解き、微笑んだ。エリシアの身体から、ふっと力が抜ける。
「あら?」
口の周りがほんの少しべたついている。
──また、やってしまった……。前世のクセが出てしまった。
エリシアはほんの少しうつむいてレースのついたハンカチを出すと、口元をそっと拭った。
おびえる子供たちの頬に、泥がついている。エリシアが指でそっと泥を拭うと、垢がよれた。
よく見れば、子供たちの髪の毛はボサボサで、服には穴が空いている。手足も骨張っていて、痩せ細っていた。悪人に盗みをさせられるほど貧しいのだと気付いたエリシアは、ブレスレットを差し出す子供たちにそっと微笑んだ。
「それ、あなたたちに差し上げるわ」
子供たちが目を見はるなか、エリシアは悠々と立ち上がると、店主の前に立った。
「ご主人、とてもいいお味でしたわ。今度、館の人にも話しておきます。もしよろしければ、この子たちに食堂を手伝わせてあげて」
恐々とうなずく店主にそう言い残すと、エリシアは貴族の履くかかとの高い靴を鳴らして、店をあとにした。会計を済ませたルーが、小走りに駆け寄る。
「エリシア様!」
「エリー」
「……エリー様」
「もう……。せめて、並んで歩きなさいね」
遠くで、子供たちが手を振っている。うつむいて服の裾を握りしめていた子供が、小さく胸の前で手を振った。
<おわり>




