Lap 9「始動、GTワールドチャレンジ」
「──悟、お前、GTワールドチャレンジアジアに出ろ」
古川の言葉に、ピットの空気が一瞬止まった。
「……は?」
思わず聞き返した悟に、古川はニヤリと笑いながら続ける。
「次の富士ラウンド、ジャパンカップってやつだ。車両はこの前使った、TOYOTA GR Supra GT4 Evo」
ピットの奥に置かれたそれは、ボリュームのあるボディに、空力重視のフロントリップと巨大なリアウイングを備えていた。
GT4カテゴリー専用に仕立てられたこのマシンは、3.0L直6ターボエンジンにレーシングABS、トラクションコントロール、空力パーツも市販車とは全くの別物だ。
「まあ、ウチにある“プロが乗れる車”って今はこれだけだからな。エントリーはプロアマ(Silver/Am)クラスだ。悟、お前は“アマ”枠で出ろ」
「──いやいやいや、俺なんかがこんな上のカテゴリーで……!」
悟の声に、隣で声を弾ませたのは早矢だった。
「やったーっ! 悟さん、頑張りましょうね!」
目を輝かせる彼女に、古川も嬉しそうに付け加える。
「テレビ中継も入るしな。宣伝効果もデカいぞ!」
「TV……? マジか……」
自分が映ることを想像して、悟は思わず背筋を伸ばす。だが──
「大丈夫ですって!」
早矢がパッと手を握る。
「私たちの“走り”で、魅せてやりましょう!」
その言葉に、悟はふと目を伏せた。本当に俺で、いいのか……?
だが、もう止まらない。
こうして、GTワールドチャレンジアジア・ジャパンカップ──富士ラウンドに向けた準備が、静かに、そして本格的に始まった。
──富士スピードウェイ・パドック内
白いテントの下、簡素なミーティングテーブルに古川、早矢、悟、それにエンジニア数名が集まっていた。前方のホワイトボードには、レースのスティント分けと、天候ごとのタイヤ戦略がびっしり書き込まれている。
「──基本はスプリント形式。ただし交代ありの耐久スプリントだ。今回は一時間。今日のレース1では前半を早矢、後半を悟。ピットインは30分あたりの予定」
古川がレースの流れを簡潔に説明する。
「タイヤはピレリのスリック。今日の気温なら温まりも悪くない。ただし、午後から雲が出そうだな。もし怪しい雲が来たら、早めに交換判断する」
「わかりました」と早矢が頷く。
悟は資料に目を通しながら、まだ少し表情が硬い。
「……GT3車両も混走なんだよな?」
「ええ。あちらは別クラスだけど、速度差が大きいです。特に富士はストレート長いですし──」
早矢が悟の手元にサーキット図を差し出す。
「ダンロップコーナーの先と、最終の立ち上がりでブルーフラッグが出ると思います。GT3車両はラインを選べる速度で来るので……悟さんは無理せず、“見たら譲る”。それだけで大丈夫です」
「……ああ、なるほど。挙動乱さず、安全第一で、ってやつか」
「そうです! 悟さんは車を無事にゴールまで運んでくるのが大事です!」
早矢の言葉に、思わず悟は口元を緩めた。
「……そう言われると、少しは気が楽になるな」
「でしょ?」とウィンクする早矢。
その空気に、古川が軽く咳払いしてまとめに入った。
「というわけで──
午前中のプラクティス、最初の30分は悟、次の15分は早矢。残りはドライバー交代の練習とピット作業のシミュレーションな。各自、準備しろ!」
テーブルが片づけられると同時に、ピットの奥からエンジンのスターター音が鳴り響く。
TOYOTA GR Supra GT4 Evo、その精悍なフォルムがスタートの時を待っていた。
悟は、ヘルメットを手に取りながら、静かに深呼吸をひとつ。
──いよいよ、本気のレースが始まる。




