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86の約束  作者: 仙道 神明


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Lap 7「交差するふたり」

──それから数ヶ月。


 悟の人生は、想像もしていなかったスピードで変わっていった。


 クラシックカーフェスティバルでの衝撃的なデビュー戦をきっかけに、「ガレージ風馬」は本格的にレース活動へと舵を切り、チーム名を「風馬レーシング」とした。


 小規模ながらも確かな技術を武器に、チューニングカーを開発。

 古川の人脈と信頼を背景に、ショップ名を冠するマシンが各地の草レースに姿を現す。


 その中でも、初勝利を挙げた悟のAE86は“風馬の看板”として注目され始めていた。

 それに合わせるように、悟は別のマシン──ロードスターや旧車ベースのナローマシンなどにも乗り込み、全てのレースで勝利を飾る。


一方で──

 プロドライバーの早矢もまた、活動拠点を風馬レーシングに正式移籍。

 2台体制としての活動が始まったが、サポート体制の都合上、1つのレースには基本的にどちらか1人しか出場できないスタイルが続いていた。

 お互いにピットクルーとして支え合いながら、それぞれのステージで勝利を重ねていく


──そんな関係だった。


 最初はたまたま同じショップにいた他人。

でも今では、戦友のようで、少しだけそれ以上のような……

 そんな、曖昧で心地よい距離感が、そこにあった。


 ある日、午後のガレージは静かだった。

工具の音も、エンジンの唸りも、今日は少しだけ控えめだ。


 悟はピット裏のベンチに腰掛けて、缶コーヒーを口に運ぶ。ちょうどトラックで戻ってきた早矢が、それを見つけて駆け寄ってきた。


「お疲れさまです、悟さん。今日も手伝ってくれてありがとうございます」


「ああ。……ていうか、なんで敬語なんだ? もう何ヶ月付き合ってると思ってんだ」


「え? 付き合ってるんですか?」


「……いや、そういう意味じゃなくてだな」


 早矢がくすっと笑う。悟は缶コーヒーの残りを飲み干して、苦笑いを返した。


「最近、すっごく思うんです」


 早矢がぽつりと、空を見上げて言った。


「何を?」


「……本物のレースって、やっぱり、人間が出るんだなって。怖さも、喜びも、悔しさも」


「ゲームじゃ味わえないやつ、だな」


「はい。悟さんの言ったとおりです」


 いつの間にか、早矢は隣に腰を下ろしていた。肩が触れるほどではないけれど、それでも近い。悟の鼓動がわずかに跳ねる。


「悟さんって……なんだか不思議な人です」


「また急に何を」


「だって、50歳で、いきなりレース始めて、いきなり勝って。しかも全然威張らない」


「威張るほどのもんでもないだろ、俺なんか」


「……そういうとこが、好きです」


 風の音が、止まった気がした。


 悟は何も言えなかった。早矢の横顔をちらりと見ると、彼女はどこか照れくさそうに唇を噛んでいた。


「ごめんなさい、変なこと言って」


「……いや」


 悟はもう一度、口を開きかけて、それを飲み込んだ。


──これは、まだ“好き”とは言えない。

でもたしかに何かが、始まっている。


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