Lap 3 「素人の眼」
「悟、今週末ヒマか?」
いつものようにガレージ風馬で缶コーヒーを飲んでいると、店長の古川が声をかけてきた。
「早矢が出るんだよ。86のワンメイクレース。観に来いよ、チケット余ってるからよ」
「……俺が行ってもなあ」
「いいから!たまにはリアルで走るのを“見て”こいよ」
悟は渋りながらも、結局その週末、ツインリンクもてぎにいた。GR86がずらりと並ぶ。
パドックから遠巻きに、悟は早矢の走りを見ていた。
(立ち上がりが……浅い?)
(ブレーキの入りが早すぎて、次の加速につながってねぇ)
悟の目が鋭く細まる。コーナー進入時の角度、タイヤの鳴き、立ち上がりのタイミング。
グランツーリスモで何百周も走ったコース、その“感覚”が脳裏に蘇ってくる。
「……ちょっと、話してみるか」
予選が終わり、早矢は8位。
「やっぱ難しいなぁ……」と肩を落としていたそのとき、ガレージに悟がふらっと現れた。
「お疲れ。ちょっとだけ、言ってもいいか?」
「えっ、悟さん!? なんで……あ、観に来てくれてたんですか?」
「うん、まあ……古川に無理やり」
そう照れくさそうに言いながら、悟は静かに口を開いた。
「……俺が言うのも何なんだけどさ。あくまで素人目線ってことで聞いてくれよ」
「うん?」
「さっきのビクトリーコーナー……入り方、浅い。角度つけすぎて、次のストレートに繋がってない」
「……え?」
「ブレーキ、1テンポ遅らせて、インに寄せてからアクセル入れた方がトラクション乗ると思う」
「……!」
早矢の目が見開かれる。プロの現場にいても、なかなか言われたことのない指摘。でも、それは確かに“そこ”にあった。
「……ありがとうございます。やってみます!」
悟は深くうなずくと、それ以上何も言わず、静かにその場を離れた。
──午後の決勝。
スターティンググリッド8番手。早矢は深呼吸し、悟の言葉を思い出す。
(“角度”と、“立ち上がり”)
シグナルがブラックアウト!
一周、また一周──
早矢のラインが変わった。ビクトリーコーナー、予選とはまるで違う進入角度。立ち上がりで一気に加速、前のマシンをアウトからパスする。
順位がどんどん上がっていく。レース終盤、3番手争いでインを差し切る。
そのままチェッカー。
表彰台、3位──
早矢はヘルメットを脱ぎ、シャンパンを受け取る。
「……あの人のおかげだ」
彼女は人混みをかき分け、あたりを見渡す。でも──悟の姿は、どこにもなかった。
「本物のレースって面白いな……」
悟は、静かに愛車のエンジンをかけ、帰路に就いていた。30年連れ添ったAE86のハンドルが、この日だけは少し軽く感じた。




