Lap 24「決勝スタート」
翌朝、岡山の空はどんよりと重たかった。
雲が垂れ込め、今にも泣き出しそうな空。予報では午後から雨──レース展開を大きく左右し かねない不確かな空模様だった。
チーム“風馬レーシング”のパドックでは、朝から慌ただしい準備が進められていた。ピット裏ではメカニックたちが最終確認に追われ、モニターには各チームの戦略会議の気配が流れている。
そんな中、スタートまでの限られた時間を使い、パドックでは恒例のピットウォークが始まった。
色とりどりの傘をさしたファンが列をなし、各チームの前には長い行列。
レースクイーンが笑顔でポーズを取り、マシンの前では子どもたちが目を輝かせていた。
悟はサインに応じながら、照れくさそうに帽子を目深にかぶる。
「えーと、こっちにも並んでくださいね〜……あ、はいはい、サイン書きますよ」
一方、早矢の前にはさらに長い列ができていた。彼女のサインを求めるファンの多さに、スタッフが列整理に追われるほどだ。
子供や学生、カメラを構えたファン、老若男女問わず多くの人が彼女の登場を待っていた。
「ありがとうございます、応援よろしくお願いします!」
早矢は笑顔を絶やさず、一人ひとりに丁寧にサインをし、握手を交わしていた。
その表情に疲れはなかった。いや、それ以上に──どこか凛とした覚悟がにじんでいた。
そして、刻一刻とレースのスタートが迫っていた。空には再び、細かな雨粒が混じりはじめていた。
──スタート20分前。
グリッド上にマシンが整列し、各チームのスタッフが最終確認に追われる中、風馬レーシングのマシンも静かにその時を待っていた。
パラパラと細かな雨粒がバイザーを濡らす。
しかし、路面はまだドライコンディション。微妙な空模様のなか、決断の時が迫っていた。
その傍らで、古川・早矢・悟の3人が最後の作戦会議を交わしていた。
古川が口を開く。
「……悟、体調どうだ?」
悟はヘルメットを抱えながら、少し肩をすくめた。
「まあな、ここまできたら“無理すんな”って言われても聞く気はねえよ」
「だろうな」
古川が苦笑を浮かべると、すかさず早矢が口を挟んだ。
「最初のスティント、思い切って飛ばします。できるだけマージン稼いでおきますから!」
その瞳には、迷いはなかった。悟はわずかに目を細め、うなずく。
「……頼むよ。でもさ、タイヤどうする? ドライで行けなくもないけど、ちょっと怪しい空だよな」
古川が即座に答える。
「ドライで行こう。今回は早矢のスティントを長めにとるつもりだ。雨は後半に強くなるって予報だし、行けるとこまで引っ張りたい」
悟は少し考え込んだが、最後にポンと早矢の肩を軽く叩いた。
「だったら、なおさら飛ばしすぎんなよ。しっかり繋げて、いい形で俺にバトン渡してくれ」
「了解です!」
早矢がにこっと笑い、ヘルメットをかぶる。
風が少し強くなり、空がまた暗くなった。
レースは、もうすぐ始まる。
──
スタートのシグナルがブラックアウト!
早矢は、わずかに後輪を滑らせながらも、絶妙なクラッチミートで加速。ポールスタートの悠斗のアウト側をすくうように抜き去り、GT300の先頭に立った。
「よし……完璧!」
ヘルメットの中で、早矢が小さく呟く。
その後、早矢お得意の鬼ブロックを喰らわせながら、序盤は膠着状態が続く。
後続との差を一定に保ち、淡々とラップを重ねていく早矢。
だが20周目を過ぎたあたりから、GT500クラスがGT300をラップしはじめ、コースは急激に慌ただしくなる。
そして──
給油とタイヤ交換、ドライバー交代のタイミングを見計らうピットの無線が飛び交う最中、悲劇が起きた。
「500が後ろから……! 危ないっ!」
GT500の1台がGT300の集団を掻き分けようとしたその瞬間──
アウトから早矢を抜きにかかったGT500車両が、早矢のリア左に軽く接触。
──スピン。
砂埃が舞い、300トップを走っていた早矢は無念にも順位を落とした。
「ちっ……!」
モニターを睨みつけた古川が怒声を上げる。
「このやろ!もっと上手く抜きやがれよ!」
ピットの緊張が一気に跳ね上がる。
モニターに目を向けた悟が呟いた。
「……次のスティント、ドライで行こう」
その言葉に、古川が振り返る。
「おい、悟……無茶言うな。これから更に雨足が強まる、今もレコードライン以外は完全に濡れてるぞ!」
「いや、順位上げるにはそれしかねぇ。差を詰めるなら、賭けるしかないだろ」
古川は数秒の沈黙ののち、渋々うなずいた。
「……よし、給油は予定通り、タイヤは無交換だ!このあと雨が強まり、セーフティーカーや赤旗の可能性がある、そのチャンスに賭けよう」
──そして早矢がピットイン。
手際よく動くクルーが燃料を補給する。
ドライバー交代の瞬間──
シートベルトを外した早矢が、ハァハァと肩で息をしながら悟に叫ぶ。
「悟さん……ごめんっ!」
しかし悟はヘルメット越しにニッと笑い、
「気にすんな。それより──俺の走り、よく見てろ!」
力強く言い残すと、ハンドルを握り、ドアを閉めた。




