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86の約束  作者: 仙道 神明


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Lap 18「繋げる走り」

 秋が深まり、富士の空気は一段と冷たくなっていた。標高の高さもあって、朝方は吐く息が白くなる。


 Lexus RC F GT3のエンジン音が、霧がかったピットレーンに響き渡る。

 風馬レーシングのピットには、秋仕様に着込んだクルーたちが忙しく動き、ガレージの壁にはあの“ポスター”──早矢がフルメイクで微笑む化粧品広告が並んでいた。


「……なんでこんなに貼ってあるんですかっ!」


 早矢が顔を赤らめながら、ポスターを見ている。


「おいおい、スポンサー様だぞ?」


 古川がタブレットを持ちながら苦笑する。


「目立つところに貼れって指定があったんだ。モデル料も出てるんだし、我慢しな」


「……うぅ」


 視線をそらした先に、悟がコーヒー片手に立っていた。


「似合ってるじゃん。派手だけど、走りは地味にならないようにな」


「やめてくださいよ……もう」


 そんなやりとりを交わしつつ、午前中のフリー走行が始まった。


フリー走行


 早矢は1本目から安定した走りを見せた。冷間タイヤの扱いも柔らかく、周囲のプロチームと比べても遜色のないデータを叩き出す。


 一方、悟は慎重な走りに終始した。コースインして数周は快調だったが、途中から明らかにペースが落ちていく。


 ピットに戻ったあと、ヘルメットを外した悟の顔には、前回とは違う“迷い”が見えていた。

車両トラブルの兆候もなかった。


「……体の反応が遅れてる」


 古川のメモを覗き込みながら、悟が呟く。


「タイヤの熱入れにムラがある。自分じゃ、やってるつもりなんだがな」


 古川は表情を変えず頷いた。


「……悟。今日も“勝ち”は狙わなくていい。いや、狙うな」


 悟は笑いながら聞き返した。


「また“のんびり”か?」


「違う」


 古川は、ピットの奥で佇む早矢の背中をちらりと見た。


「今日は、“次に繋げる”走りをしてくれ。お前がいるから、今このチームは立っていられる。それだけで、十分なんだよ」


──決勝


 決勝では、セーフティカーが出る荒れた展開となった。

 風馬レーシングは、早矢が中盤の難しい局面を見事に捌き、悟にステアリングを託した。


 悟は、終盤スティントでしぶとくポジションを守った。タイムこそ上位には及ばなかったが、タイヤを潰すことなく走り切ったことで、周囲のチームからも意外な評価を得る。


「若い方は勢いがある。年配の方は……何だろうな、全体を見てる走りだ」


 パドックで誰かがそう言った。


 レース後、夕暮れの富士パドック


 片付けを終えた早矢が、ひとりピット裏で缶コーヒーを片手に佇む悟を見つけた。


「悟さん……」


 悟は顔だけ向けると、苦笑いを浮かべた。


「ん? なんだ、もう上がりか。おつかれさん」


「……今日も、ちょっといつもと違いましたよね。走りの感じ」


「そっか? 古川がまた“無理すんな”ってうるさいからさ、ちょっとセーブ気味で走っただけだよ」


「……」


 早矢は、その言葉をどこか納得できないように聞いていた。悟はそれ以上多くを語らず、缶を軽く振ると、まだ温かさの残るコーヒーをひと口。


「……やっぱ、富士の夕方は冷えるな」


「悟さん、もし何か抱えてることあるなら、ちゃんと言ってくださいね。私、もう子どもじゃないし、走りのことなら、全部見えてますから」


 早矢の目には、微かな不安が滲んでいた。


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