Lap 18「繋げる走り」
秋が深まり、富士の空気は一段と冷たくなっていた。標高の高さもあって、朝方は吐く息が白くなる。
Lexus RC F GT3のエンジン音が、霧がかったピットレーンに響き渡る。
風馬レーシングのピットには、秋仕様に着込んだクルーたちが忙しく動き、ガレージの壁にはあの“ポスター”──早矢がフルメイクで微笑む化粧品広告が並んでいた。
「……なんでこんなに貼ってあるんですかっ!」
早矢が顔を赤らめながら、ポスターを見ている。
「おいおい、スポンサー様だぞ?」
古川がタブレットを持ちながら苦笑する。
「目立つところに貼れって指定があったんだ。モデル料も出てるんだし、我慢しな」
「……うぅ」
視線をそらした先に、悟がコーヒー片手に立っていた。
「似合ってるじゃん。派手だけど、走りは地味にならないようにな」
「やめてくださいよ……もう」
そんなやりとりを交わしつつ、午前中のフリー走行が始まった。
フリー走行
早矢は1本目から安定した走りを見せた。冷間タイヤの扱いも柔らかく、周囲のプロチームと比べても遜色のないデータを叩き出す。
一方、悟は慎重な走りに終始した。コースインして数周は快調だったが、途中から明らかにペースが落ちていく。
ピットに戻ったあと、ヘルメットを外した悟の顔には、前回とは違う“迷い”が見えていた。
車両トラブルの兆候もなかった。
「……体の反応が遅れてる」
古川のメモを覗き込みながら、悟が呟く。
「タイヤの熱入れにムラがある。自分じゃ、やってるつもりなんだがな」
古川は表情を変えず頷いた。
「……悟。今日も“勝ち”は狙わなくていい。いや、狙うな」
悟は笑いながら聞き返した。
「また“のんびり”か?」
「違う」
古川は、ピットの奥で佇む早矢の背中をちらりと見た。
「今日は、“次に繋げる”走りをしてくれ。お前がいるから、今このチームは立っていられる。それだけで、十分なんだよ」
──決勝
決勝では、セーフティカーが出る荒れた展開となった。
風馬レーシングは、早矢が中盤の難しい局面を見事に捌き、悟にステアリングを託した。
悟は、終盤スティントでしぶとくポジションを守った。タイムこそ上位には及ばなかったが、タイヤを潰すことなく走り切ったことで、周囲のチームからも意外な評価を得る。
「若い方は勢いがある。年配の方は……何だろうな、全体を見てる走りだ」
パドックで誰かがそう言った。
レース後、夕暮れの富士パドック
片付けを終えた早矢が、ひとりピット裏で缶コーヒーを片手に佇む悟を見つけた。
「悟さん……」
悟は顔だけ向けると、苦笑いを浮かべた。
「ん? なんだ、もう上がりか。おつかれさん」
「……今日も、ちょっといつもと違いましたよね。走りの感じ」
「そっか? 古川がまた“無理すんな”ってうるさいからさ、ちょっとセーブ気味で走っただけだよ」
「……」
早矢は、その言葉をどこか納得できないように聞いていた。悟はそれ以上多くを語らず、缶を軽く振ると、まだ温かさの残るコーヒーをひと口。
「……やっぱ、富士の夕方は冷えるな」
「悟さん、もし何か抱えてることあるなら、ちゃんと言ってくださいね。私、もう子どもじゃないし、走りのことなら、全部見えてますから」
早矢の目には、微かな不安が滲んでいた。




