Lap 11 「爪先ひとつぶんの距離」
──レース1、決勝当日。
午後2時、空は青く澄みわたり、富士スピードウェイのアスファルトが陽に照らされて熱を帯びている。
風馬レーシングのGR Supra GT4 Evoがグリッドに並ぶ。
「作戦はこうだ。前半、早矢が一気にプッシュしてタイム差を稼ぐ。後半スティントで悟がタイヤを持たせて順位を守りきる。それでいくぞ」
古川がガレージで二人にレース戦略を説明する。
ポールポジションは椎名の乗るBMW M4 GT4。早矢はクラス2位のグリッドから、赤と白のマシンをスタートラインに並べた。
──シグナル、ブラックアウト!
早矢のスタートは完璧だった。1コーナーを抑え、滑らかな加速で後続との差を開けていく。
しかし──椎名はさらに速かった。
その背中は、むしろ周回ごとに遠ざかっていった。
スタートから30分が過ぎたころ、チームはピットインのサインを出す。クラス2位のまま、GR Supraはピットへ飛び込んだ。
「タイヤ……ずいぶん使っちゃった……」
ブレーキの焼けた匂いとともに、ドアが開く。
「悟さん、タイヤ使いすぎちゃった……ごめん」
と、やや気まずそうに言いながらバトンを渡す。
悟は黙って片手を上げ、マシンに乗り込んだ。
レース後半、コースに戻った悟は、驚異的なラップで周回を重ねていった。モニター上のタイム差はみるみる縮まる。
トップとの差は10秒、8秒、6秒……そして残り3周でついに1秒まで迫る。
ピットのモニターに映るラップタイムを見て、椎名が声を上げた。
「……お、おい、何やってんだ……?
俺が築いたタイム差が……全部、消えていくじゃねえか……!」
その表情には、怒りよりも困惑がにじんでいた。
“アマチュア”のはずの男に、プロの自分が築いたアドバンテージを削られている──その事実が信じられなかった。
だが──その時。
「……タイヤ、終わったか……」
悟は唇を引き結んだ。
ピットの早矢も、変化を察した。マシンの姿勢が微かに不安定になる。
「……私のせいだ……」
早矢はつぶやき、両手を組んで祈るようにモニターを見つめた。
だが悟は諦めていなかった。
「ここは……富士だ。最後の勝負は、ストレート……!」
悟はコーナー進入での無理なブレーキングを避け、タイヤを労わりながら最終セクターへマシンを導く。
ちょうどGT3マシンが悟を抜いていく。
「……使える……!」
悟はGT3マシンが最終コーナー手前でアウト側に膨らむのを読んで、あえて早めにインへ切り込む──
空気の壁を切り裂くGT3の“スリップストリーム”を完璧に捉えるためだった。
さらに、最終コーナーでほんのわずかにアクセルを早く開ける。
「……トラクション、乗る!」
リアが一瞬わずかに流れるが、絶妙なカウンターとスロットル調整で立て直す。長年のゲーム経験が染みついた“反射”だった。
マシンは鋭く直線へと躍り出る。
──残り600メートル。
スリップに入った瞬間、マシンはまるで後ろから押されるように加速する。
──400メートル。
前を走るBMW M4 GT4が、視界の中でじわじわと大きくなる。
──200メートル。
もう“真横”まで来た。観客席からどよめきが起きる。
「……行け、悟さん……!」
ピットの早矢が、無意識に両拳を握りしめていた。
──チェッカー!
並んだ2台は、ほんのコンマ数秒の差でフィニッシュラインを通過した。
結果は──クラス2位。だが、そのタイムは0.186秒差だった。
まさに、あとわずか──“爪先”ひとつぶん、届かなかった。
「……悟さん、すごかった……!」
と、早矢はピットロードに駆け寄り、涙を浮かべた笑顔でそう言った。
その夜、周囲はざわついていた。
「アマチュアがGT4でファステスト!?」
「経歴が空白すぎる……誰だこの男」
悟の素性を探ろうと、関係者らが古川に詰め寄る。
「アマじゃなくて、元何かでしょ?テストドライバー?それとも海外帰り?」
しかし古川は笑ってごまかした。
「さあ?ただのゲーム上がりですよ、あいつは」
半分本気、半分はぐらかし。
──夜、ホテルの部屋。
悟はシャワーを浴び、ひと息ついたあと、ベッドの上に倒れ込んでいた。
天井を見つめながら、今日のレースを振り返る。
「あそこでスリップに入れて、最終立ち上がりで…」
思い返せば、自分の感覚と、ゲームで掴んだ“ライン”が見事に一致していた。
(……まだやれるのか、俺)
思わず、そんな言葉が漏れた。
気がつけば、窓の外には富士の山影。その大きさに、なぜか安心感を覚える。
スマホを見ると、早矢からメッセージが届いていた。
悟さん、本当にお疲れさまでした!
明日も、楽しみですねっ
悟は静かに笑った。
(……こっちこそ、楽しみにしてるよ)




