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クロユキ姫と七人の異世界恋人  作者: 水上栞
第一幕 ◆Sneezy(くしゃみ)@皇太子ハインフリート
5/12

■第三話 婚約破棄の舞台裏は、ちょっと切なかった

 

 その日の朝、見たこともないような上等な馬車が、スタンホープ家の門前に停まった。傾きかけた門扉とのコントラストが目にしみる。私は精一杯おしとやかを装いながら、着慣れないフォーマルドレスで馬車に乗り込んだ。


 おお、馬車の内装も素晴らしい。座席がフカフカだ。私、本当にお城に行くのね。そう思うと、緊張で指先が冷たくなってきた。向かいに座る父も同様のようで、ガチガチに固まって汗をびっしょりかいている。


 父にとって、登城は成人の儀式以来らしい。ごめんね、私のせいでちょっと寿命が縮んだよね。でもきっと結果オーライになるから大丈夫。そんなことを考えているうち、馬車が皇城の門に着いた。


 濠の上に跳ね橋が下り、大きな厚い門が開く。その先は一般庶民が一生見ることのない世界だ。私と父はおのぼりさんよろしく、目をひんむいて窓の外を眺めた。優美に整えられた樹木や、庭師が精魂込めて配置した花々が、まるで現実ではないような光景を作り出している。さすが、雅な方々のお住まい。格が違いすぎる。



 やがて木立の向こうに燦然と輝く本宮が見えてきたが、私たちは少し離れた瀟洒な建物の前で馬車を下りた。出迎えの人に「皇族専用のサロンです」と説明されたので、きっと別棟みたいなものだろう。


 分厚い絨毯の先にある控室に通され、びっくりするくらい香りのいい紅茶を一杯飲んだところで、いよいよお呼びがかかった。もうすでに父は汗をかきすぎてラッコみたいに湿っている。私はドレスの裾を整えると、覚悟を決めて案内に従った。天鵞絨張りのドアに向かい、係の人が我々の到着を告げる。


「お入りなさい」


 穏やかな、それでいて威厳のある声が私たちの入室を許可した。そこにいたのは、肖像画でしか見たことのない皇帝陛下と、皇后陛下。そしてラブハリで文字情報として知っている、皇太子ハインフリート。彼の第一印象は「え、イメージが違う」である。


「呼びだてしてすまなんだ、スタンホープ男爵。そしてご令嬢も」


 私はようやくハッと気づいて、カーテシーの礼を取った。事前に練習したのに、皇太子に気を取られていた。それほど彼の第一印象はラブハリとギャップがあった。


 小説では軽くておバカなワガママ皇太子だったが、眼の前にいるハインフリートは、群青色の髪に、深いゴールドの瞳。すっきり整った顔立ちの、理知的で穏やかそうな好男子である。正直、めっっっちゃタイプっす!


「御召を賜わりまして、光栄のイタ、至りに存じます」


 あーあ、お父様、噛んじゃってるよ。しかし皇帝陛下は優しげに笑い、私たちに着席をすすめてくれた。どこからともなく給仕さんが現れ、見事な手際で紅茶を淹れると、音もなく退室していく。どうやら私たちだけで話をするようだ。


「実は、スタンホープ男爵家に折りいって頼みがある」


 いきなり直球が飛んできた。皇帝陛下からそう言われては、男爵ごときが断る選択肢などない。父は深々と頭を垂れた。


「はっ、何なりとお申し付けくださいませ」


「いや、まずは話を聞いてから考えてくれ。少し込み入った事情がある故、断られても仕方がない。ただ、今から話すことは他言無用である。それだけは固く約束してほしい」


 誰かに漏らしたら、一家まるごと消されるパターンね。おー、怖っ。もちろん答えはイエスしかない。聞かないというオプションもない。


「もちろんでございます。天地神明に誓って、この胸に留めることをお約束します」


 それを聞くと皇帝陛下は「うむ」と頷き、立派なひげを撫でると、とんでもない提案を私たちにブン投げてきた。


「クロユキ嬢、ここにいるハインフリートの恋人になってくれないだろうか」


 その瞬間、空気が凍りついた。私と父は耳を疑い、数秒フリーズした後お互いの顔を見合わせたが、どうやら聞き違いではなさそうだ。さらに数秒よくよく考え、父が恐る恐る口を開いた。


「あの……、皇太子殿下はケストナー公爵令嬢とご婚約されているはずでは」


 その問いに答えたのは、皇太子ハインフリート本人であった。


「はい。しかし私は、ナディアとの婚約を破棄しようと考えています。なぜなら……」


 そこでハインフリートはぐっと言葉を詰まらせた。皇帝も眉間に深い皺を寄せ、皇后に至っては涙を浮かべている。思わず私も拳を握りしめた。空気が重たい。


「なぜなら私は、もうすぐこの世を去るからです」


 今度こそ頭が真っ白になった。理解が追いつかない。しかし皇后の頬に涙が流れ落ちるのを見て、その言葉が真実であることを確信した。唖然とする私と父の前で、 皇太子はなおも 言葉を続けた。


「この国に恨みを持つ魔術師が、私に呪いをかけました。くしゃみをするごとに、命が削られていくのです」


「えっ、くしゃみ?」


 それ花粉症じゃないのと思ったが、ある日突然呪いの紋章が背中に浮かび上がったそうだ。そしてくしゃみをすると何日も悶え苦しみ、そのたびに紋が大きく濃くなっていくらしい。


 もちろん皇帝も、高名な術者を秘密裏に招集し解呪を試みてはいるが、改善するどころか深刻化する一方だという。このままでは、あと何年もしないうちに命が尽きてしまうだろう。


「ナディアは素晴らしい女性です。こんな呪われた男の妻になるべきではない」


 その言葉で、私は自分がここへ呼ばれた理由を理解した。ナディア様に婚約者の死という悲しみを与えないよう、ハインフリートは軽薄な浮気者を演じて、彼女を遠ざけるつもりなのだ。


 そのお芝居の相手役が、私である。選ばれた理由は、金で後腐れなく使い捨てできる、貧乏貴族の娘だからだろう。身分の高い令嬢には、とてもじゃないが頼めない。しかし私なら、いざとなれば口を封じてしまえる。


「そういうわけで、大変な役割を押し付けてしまうが、どうか頼まれてはくれぬか。ただし、将来ご令嬢の婚期に関わるやも知れぬ。慎重に考えて返事をしてくれ」




 皇帝陛下にそう言われ、皇城を後にした私たちだったが、帰宅後の家族会議では意外なことに、両親ともに答えはノーだった。皇帝から頼まれたんだよ? 男爵令嬢が断れるわけないじゃん。下手したら消されるわよ、家族まるごと。


「しかし、いくら殿下の逝去後は自由の身と言っても、それまでお前は世間の悪評に晒されることになるんだぞ」


「そうよ、クロユキ。皇太子殿下を誑かした悪女として、ケストナー公爵家だけでなく、貴族の社会から仲間はずれにされてしまうかも」


 いやいや、今だって我が家は貴族社会なんて無縁の生活だし。それに、皇帝陛下がこのボロ家を建て替えて、まとまったお金もくれるって言ってたし。世間に悪口言われたって、そんなこと気にしなけりゃいいのよ。


 そう言うと両親はしょんぼりした顔をした。でも本当に大丈夫、私はまだ16歳で先は長い。皇太子殿下が亡くなった後、ほとぼりが冷めてから結婚相手を探したって、遅くはないのだ。てゆーか、前世では30歳手前で独身だったわよ!


「お前にばかり負担をかけることにならないだろうか」


 ああ、優しいお父様。チェルシア(今はクロユキだけど)は愛されて育ったのね。この家族に少しでも恩返しができるよう、皇太子の恋人役を立派に勤め上げてみせるわ!


 それに、ちょっと嬉しいこともある。「小説家になっちゃいな」で憧れていた上流貴族の世界が、期間限定とはいえ味わえるなんて素敵じゃない? ハインフリートの呪いは気の毒だけど、うちらビジネスカップルだから、そこはクールに割り切るつもり。



 こうして、ど底辺男爵令嬢クロユキは、いきなり皇太子の恋人へと出世した。婚約破棄まであと半年。せいぜい仲睦まじい姿を周囲に見せつけて、華々しくラブハリのオープニングを飾るのだ。


今日から第一幕完了まで、連日更新します。更新時刻は12:10の予定です。お昼休みのお供にどうぞ♪

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― 新着の感想 ―
やはりピンクブロンドなだけあって一筋縄ではいかない展開になってきましたね! 続き気になるう〜。
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