■第二話 皇帝陛下から、お呼び出しがありまして
父の書斎はどちらかと言えば物置に近い、ゴタゴタと本や古道具が並んだ狭い部屋である。その部屋の小さなテーブルを挟んで、父と私は一通の手紙を睨みつけていた。見ただけで上等とわかる型押しの封筒に、皇室だけが使用できる錆金色の封蝋。貧乏な男爵家には縁のない類の書簡である。
そもそも父が男爵であるのは、父方の祖父であるスタンホープ子爵から従属爵位をもらっただけで、実際にはほぼ平民に近い。そして何とか財を成そうとして下手な商売に手を出し、なけなしの蓄えまで失ってしまった。今は同じく男爵である母の実家から援助を受けて糊口をしのいでいるが、こちらも一代限りの名誉爵位でしかなく、かなり先行きは暗い。
そんなプロレタリアなスタンホープ家に、皇室が何の御用か。宛先が間違っているのではと確認したが、父の名が素晴らしく達筆な文字でしたためられていた。
「何と書いてあったのですか? お父様、お読みになったんでしょう」
「クロユキと一緒に、皇城へ参ぜよとのことだ。お前、まさか何かやらかしたのではないだろうな」
疑いの目を向けられ、ちょっとイラッとしたけど、まあそう思うのも無理はない。貧乏男爵の娘など、何もなければ皇族にとっては存在しないのも同じだ。
「何もしていません。第一、皇室と関わることなどありませんから」
それもそうか、という顔で父がため息をついた。実際はうっすら予測がついてるんだけどね。たぶん、皇太子と私に関連するイベントが起こる。じゃないと物語が進まない。
現在の時間軸は恐らく、小説の中で婚約破棄が起こる半年ほど前だ。この国には貴族や富裕層の子女が通う王立学院があり、私は入学したばかりの1年生。そして皇太子と婚約者であるナディア・ケストナー公爵令嬢が3年生に在籍しており、その卒業パーティーが物語の冒頭だった。
つまり、まだ小説は始まっていない。チェルシアの記憶の中でも皇太子との面識はなく、この呼び出しが交際に発展するきっかけになることは、ほぼ確実だと思っていいだろう。
「だったら、のんびりしてられないわ」
私は勢いよく椅子から立ち上がり、父の書斎から自室へ戻った。いくら読み専の知識があると言っても、物語が始まる前のシナリオなどわかるはずがない。あのポンコツ管理局め、よくも「あなたの知ってる場所」なんて言いやがったな。場所は知ってるけど、それだけだっつーの!
私はこの世界では希少な紙とインク壺を引っ張り出し、机に向かった。貧乏男爵家なので、書き損じた手紙の裏だけど、贅沢は言っていられない。ここまでで判明した事実を時系列に書き出して、中長期的な対策を練らねば。
使い古しのペンが粗い紙に引っかかり、書きにくいことこの上ないが、この世界はスマホもパソコンもない超アナログ。こういう不便にも慣れていかないとね。ようやく書き上げた私は、内容をじっくりと確認した。
【プロフィール】
名前/クロユキ(チェルシア)スタンホープ
年齢/16歳
爵位/父親が男爵、ただし従属爵位
家族/父、母、兄(寄宿学校に在学中)
経済状況/めっちゃ貧乏
髪色/ピンクブロンド
瞳の色/アクアマリン
【これから起こること】
1.現在
王立学院1年生。皇太子ともナディア様とも面識なし。学院内どこにでもいる、身分の低いモブ令嬢。成績はそこそこだが、ルックスだけは群を抜いている。
2.今週末
皇城で皇帝陛下、皇太子殿下に謁見。何の用で呼ばれたかは不明だが、末端ギリギリ貴族に断る権利などあるわけもない。父とともに馳せ参じる。
3.皇城にて
何かが起こる。それが何かはわからない。
4.近い未来
皇太子と恋人同士になる。何でそうなったかはわからない。
5.ちょっと先の未来
皇太子が婚約者のナディア様との婚約破棄を決意。
6.半年先
王立学園の卒業パーティーにて、皇太子がナディア様に婚約破棄を言い渡す。ここでようやく「ラブハリ」の冒頭部分。
ざっと、私の出番はこんな感じだ。今は1のスタート地点であるが、とにかく3と4の肝心な部分が謎なので、ぶっちゃけ対策の練りようがない。私は頭を抱えた。
とりあえず今できることは、皇太子との初対面で好印象を持ってもらう努力くらいだろう。物語の中で、特に皇太子はイケメンだったわけでもなく、むしろ恋にのぼせて婚約者を捨てたバカ男として描かれていた。それでも貧乏貴族の娘である私にとって、その恋人の地位は捨てがたい。
きっと恋仲になっても、最終的には手切れ金を握らされてお払い箱がオチだと思う。しかし、私はそれで構わない。家の修理ができて、母と私の新しいドレスを買う金が転がり込んでくるなら、誘惑でも惚れたフリでもしてやるさ。見た目は16歳、中身はアラサーなめんなよ。
そうと決まれば、ガチの身支度である。この世界には美容院もエステもないので、手近にあるものでどうにかしないといけない。前世の現代知識チートが、こういうときに役に立つのだ。
まずはインスタで見た、卵黄とオイルを混ぜて作るヘアパック。ちょっと生臭いけど、香油と酢をたらしたお湯でリンスすれば、自慢のピンクブロンドが一層ピカピカのツヤツヤに。これは母も気に入って、早速試していた。そのうち商売になるかもしれない。
お次は、メイク。白粉や口紅は母が持っているけど、透き通るティーンの肌に厚化粧は必要ない。私が唯一がんばったのは、まつ毛カールだ。有名なメイクアップアーティストが動画でやってた、二本の竹串を使ってまつ毛をギャンギャンに上げる技、ちょっと難しいけど効果は抜群だった。ただでさえ宝石のような瞳が、ぱっちりウルウルになってすごい目ヂカラだ!
ただ、ちょっと難儀したのがドレスである。私のクローゼットには皇城に着ていけるようなドレスはなく、みんな着古して袖や裾がくたびれていた。そこで、同年代の従姉妹に頼んでドレスを貸してもらうことになった。
ところがその従姉妹というのがイヤミな女で、スタンホープ一族でいちばん裕福な家ということもあり、常に上から目線で貧乏な私を見下していた。その私が御前に参じると聞き、彼女は目を吊り上げて足を踏み鳴らした。
「なんであんたが! 私だって行ったことないのに!」
格下に出し抜かれて、プライドが傷ついたのだろう。絶対にドレスを貸さないとわめいていたが、計算高い彼女の父親が娘を一喝した。
「黙りなさい! 皇帝陛下に謁見が叶ったのだ、我ら一族の誉れではないか。貸すなどとケチなことを言わず、譲ってあげなさい。そのかわりクロユキ……」
「ええ、おじさま。もし皇室とつながりができた際には……」
「ははは、わかっていればいいのだ、ははは」
要するに、顔をつなげてくれということだ。このおじさんは父と違って金儲けの才がある人で、そこらへんは抜け目がない。姪に恩を売って皇室へのパイプが通じるのであれば、たかがドレスの一枚や二枚、安いものだろう。
「お父様ったら! もう知らない!」
父親にぴしゃりと叱られた従姉妹は、半泣きで自室へ去っていった。それをいいことに、ドレスに合う靴とバッグも手に入れた私は、貴族令嬢の完全コーデで皇城へ向かうこととなった。冒険者が装備をアップグレードしたら、こんな気分なのだろうか。もちろん鏡の中に映る私の姿は美少女レベルMAXである。
「よっしゃぁ、これなら皇太子もイチコロだぜぇ」
レディにあるまじき黒い笑みを湛えつつ、私はイセコイ名物とも言えるカーテシーを試してみた。どうやらこの国でもそれが正しい作法らしい。原作者さん、ありがとう。読み専のスキル、ばりばり役に立つ。どうか皇帝陛下の前でも、このチートで乗り切れますように!
明日から第一幕完了まで、毎日12:10に更新の予定です。どうぞよろしくお願いします!