■第五話 そして私は、舞い散る花びらとなった
風に従い、私たちは歩き続けた。もとより寂れた大地であるが、風の示す方向は鬱蒼とした針葉樹の森で、次第に人間の足では分け入ることが難しくなった。
「結界の力だな」
「森が私を、拒んでいるのね」
人間界とエルフの郷を隔てる、ユグドラシルの結界。私たち人間の目では、延々と森が続いているように見えるが、エルフが進めば道が開かれる。私たちは何日か迷いの森を彷徨った挙げ句、朽ちかけた狩猟小屋を見つけた。
「ここからは、エンネ一人で行ってちょうだい。私はここにいるわ」
「でも、クロユキを一人にしておけないよ」
「私は大丈夫、エンネがうちに来る前は、こうやって森の中でひとりだったのよ」
口に出して、それがどんなに切ない響きか気づいた。この世界での私の人生は、エンネに出会う前と出会った後で、大きく色彩が異なる。また私は、無彩色の日々に戻るのだろうか。そんな気がしてならない。
それでも、私は自ら彼の手を離す決心をした。こういう時には、なるべく明るい声と笑顔でいることが肝心だ。
「いいから、行って。せっかくここまで来たんだもの。あと少しなんでしょう?」
「そうだね、たぶん2日もあれば着くと思う……、でも」
「エンネ、お願い」
エンネはしばらく迷っていたが、次の朝ようやく郷に向かう決心をした。このままここにいても、仕方ないと悟ったのだろう。
「一週間以内に戻ってくる。ここから動かないで、必ず迎えに来るから」
エンネはそう言って、深い森の中へ吸い込まれていった。まるで霞が消えるように、見慣れた背中が木々の中に同化していくのを見送りながら、それが彼を見る最後だというのを、私は本能的に察知していた。
「さよなら、エンネ」
その夜、私は不思議な感覚に包まれた。二人で野宿に使っていた、古い毛布にくるまりながら、壊れた明かり取りの窓から差し込む月の光を目で追っていると、体が浮かび上がったかのように軽くなり、同時にどこからか声が聞こえてきた。やさしく、どこか懐かしいような、心地よい響き。なぜだか私は、それがユグドラシルの声だとわかった。
「クロユキ、私の声が聞こえますか?」
「はい、聞こえます。ユグドラシル様でしょうか」
「そうです。ヨルムエンネを、ここまで連れてきてくれてありがとう」
ユグドラシルは、エンネが郷を離れてからのことを、私に語って聞かせてくれた。風の精霊から、エンネがユグドラシルの力の及ばない遠くへ連れ去られたと聞いて、仲間たちがひどく悲しみ心配していたこと。エンネの母親は今も息子の帰りを待ち続けていること。そして、これから彼の身に起こる出来事も。
私の意識は体を離れ、ユグドラシルに導かれるように空間を飛んだ。そして、森の中で淡い光に包まれて眠るエンネを見た。
「結界の中では、エルフは精霊たちに守られています。安全に休んでいますから、安心してくださいね」
いまエンネがいるのは、エルフの郷までおよそ半日程度の場所だという。彼が正しく郷に向かっていることを知って、安心した。やがて私の意識は再びどこかへ飛んで、今度はエンネがたくさんのエルフたちに出迎えられている場面が目の前に広がった。
「これは、少しだけ先の未来です。ヨルムエンネと抱き合っているのが、彼の母親です」
ユグドラシルは、近未来を予知する能力があるという。その映像を、私は先読みさせてもらっているらしい。エンネのお母さんは、人間で言えば20代くらいに見える。エンネと同じ白銀の髪に、透き通るような白い肌。目からポロポロと光の粒をこぼしながら、ようやく帰ってきた息子を抱きしめていた。よかったね、エンネ。家族に会えて。
その姿を見て安心した私は、ユグドラシルにひとつお願いをすることにした。突拍子もない願いではあるが、今なら叶えられる気がしたのだ。
「ユグドラシル様、お願いがあります」
「彼の記憶を……、消してほしいのですね?」
さすが、お見通しだった。実はここへ来るまで、悩み続けていたことがある。それは、自分の死期がそう遠くないということだ。と言っても、死ぬのが怖いわけではない。それをどうやってエンネに受け入れさせるかが問題なのだ。ユグドラシルは私の答えを待たず、さらに問いかけた。
「……禁術を、使ったようですね」
私は一瞬ためらい、ゆっくりと頷く。確かに私は、薬師として禁断の配合に手を出した。いつかエンネが「貴族たちはエルフの血を飲めば不老不死になると信じている」と言っていた。その時は下らないデマだと思ったのだが、気になって文献を調べたら半分は本当の話だった。
不老不死の薬を作るには、血だけではなくエルフの涙も必要なのだ。銀の器にエルフの血を注ぎ、そこへエルフの涙を沈める。そして新月の光に一晩当て、夜が明ける前に真っ暗な闇へと封じる。これを12ヶ月繰り返して、青白く発光したら成功である。
エルフの涙なら、泣き虫のエンネがいくつも零していたが、器にいっぱいの血など私には恐ろしくて求める気も起こらなかった。そこで私は、清涼な沢の湧き水とエルフの涙を使って、同じように新月の光を与えてみた。その結果出来上がったのが、不老の薬である。
「私は、永遠の若さが欲しかった。エンネの隣で、自分だけ老いていくのが怖かったのです。例え、そのために死期が早まろうとも」
正当な不老不死の薬であれば、永遠の時間を手に入れられるが、エルフの涙だけで作った不老薬には副作用がある。それは、若さと引き換えに命を削るというものだ。
この世界での人間の平均寿命は50年足らず。私は薬で命を縮めているので、いつ召されてもおかしくない。こうしてユグドラシルの声が聞こえるということは、今まさに命の灯りが燃え尽きようとしているのだろう。
「ユグドラシル様、どうぞ彼の中から私の記憶を消してください」
私は改めて、そう乞うた。彼が悲しい記憶を抱えて、この先の長い人生を歩まなくてよいように。ユグドラシルはしばらく黙っていたが、やがて念を押すように私に問いかけた。
「本当に良いのですね?」
「はい」
「ではひとつだけ、あなたの生きた証を残しておきましょう」
ユグドラシルがそう言うと、私の体は細かく砕けて無数の粒子になり、やがてそれらが再結成されて、一輪の花になった。エンネと暮らした森で、私がよく摘んでいたトケイソウに似た花だ。白い花弁と紫の花柱が、どことなくエンネに似ていて大好きだった。
やがて私の意識は、先ほど脳内の映像で見た森に引き戻された。精霊の光に守られ、エンネがぐっすりと眠っている。静かな寝息を立てるその胸元に、花と化した私が舞い降りて花弁が散り、鮮やかな紅紫色の刻印となった。
ここで私はようやく思い出した。原作「氷の美麗エルフは流し目で無双する」の主人公ヨルムエンネは、胸に花のような刻印があり、心を落ち着けるときはそこに手を当てていた。そうすると見えない何かに守られているような気がするのだと。
私は自分のことを、原作に1ミリも出てこないモブキャラだと思っていたけれど、ずっと彼のいちばん近くにいたんだね。大好きな人を守り続けて、共に生涯を終えることができるのなら、なんと幸せなことだろうか。
ありがとう、ユグドラシル様。もうこれで、何も思い残すことはない。そう思ったら、例のごとく別世界へと続くシューターへと吸い込まれた。もちろん、目の前には光るタグ。
#美形エルフ #薬師
好きなジャンルのキーワードであるが、まさかこんなに切ない恋になるとは。でも本当に幸せだった。彼を愛したことに、1ミリの後悔もない。
やがて満ち足りた気持ちで私は瞳を閉じた。さて次は、どんな世界に連れて行かれるのやら。