■第二話 お医者さまでも草津の湯でも
エンネがようやく普通に生活できるようになったある日、街へ薬を売りに行った私は、小間物屋の店先に貼られているチラシに気づいた。
――謝礼金 金貨10枚――
エルフ族男性、白銀の髪、長身痩躯、紫の瞳、人間の20歳前後の見た目
捕縛した者はクロイドン伯爵家まで。ただし生かしたまま連行することが条件
探しても見つからないので、ついに公開捜査に踏み切ったようだ。金貨10枚と言えば、私の3年分の稼ぎである。街の男たちがやたら森の中をうろついているのは、この賞金のせいだろう。そのうち、我が家にも捜索の手が伸びるかもしれない。
と思っていたら、やはり来た。猟師が案内したようで、自警団の制服を着た偉そうなオッサンが、有無を言わさずズカズカと入り込んできた。
「家の中を改めさせてもらう。逃亡者を匿ってはおらんだろうな」
もちろんエンネは床下に押し込めてある。さらにダメ押しとして、薬師らしい妨害工作も追加しておいた。
「勝手に見てもらっていいですけど、薬には気をつけてくださいね。中には毒になるものもあるんで」
そう言われたオッサンは、顔をしかめた。地下の仕事部屋の机には、ヘビの入ったガラス瓶がいくつも置いてあったからだ。
「な、なんだこのヘビは」
「毒蛇ですよ。毒から血清ができるんです。あっ、蓋は開けないでくださいね。噛まれたら確実に死にます」
捜索隊の面々はゾッとしたのか、地下はさっと眺めただけで退散して行った。踏み込まれた時のために、怖がらせるブツを用意しておいてよかった。ちなみにこのヘビちゃんたちは、森で捕獲した毒のないおとなしい子ばかりで、エンネが虫やネズミを与えて飼っている。
そうそう、虫と言えば。何と、エンネは虫を食べるのだ。裏庭の薬草畑で芋虫を食べるのを見たときは、悲鳴をあげそうになった。聞けばエルフの食文化だそうで、野菜と果物、虫が彼らの食事の中心だ。自然とともに生きているのね。
その他にも、エンネとの生活は驚きの連続だった。彼は森の住人らしく、植物にとても詳しい。私が知らなかった植物の薬効や、それらを用いた伝統的なエルフの民間薬も教えてくれた。
しかし、何より驚いたのは彼の身体能力だ。パワーこそ普通の男レベルだが、俊敏性やバランス感覚が素晴らしい。高い木にスルスルと登り、鳥の卵を取って来るなど朝飯前だ。最近は私が縫った茶色と緑のなんちゃってカモフラ頭巾をかぶっているので、樹上にいれば白銀の髪が目立たず、ほぼ景色に同化できる。
むしろ高い木の梢は、まさか誰かが潜んでいるなど思いもよらぬため、地下室より安全な隠れ場所と言えるだろう。最近ではしつこくやって来る捜索隊を、樹上から見物していることさえある。エンネは見た目に似合わず、いたずら好きでやんちゃな子どものようだった。
そんな生活が数ヶ月続いたころ、私は次第に自分の中に前世で覚えのある感情が芽生え始めたのに気づいた。
「だめだよ、だめだ、絶対」
甘くて切なくて、ちょっと胸が痛い。恋という名の病である。こればかりは薬師の私でも治しようがない。しかし私は、幼い頃からの容姿コンプレックスとコミュ障で、自分自身にそれを禁じているところがあった。どうせ誰かに恋をしても、振り向いてもらえないどころか傷つけられるのが怖い。
ましてやエンネはエルフ族。人間からすれば永遠とも言える若さを維持し、神々しいまでに美しいのだ。ダイヤモンドと石ころのような私たちが、どう考えても釣り合うはずがない。いずれはエンネもここの暮らしに見切りをつけて、帰るべき場所を目指す。それまでの刹那の思い出なのだ。
そう思っていたのに、エンネの方も次第に私への接し方が変わってきた。最初は、命の恩人として懐いているのかと思っていたが、鈍感な私でもはっきりと感じ取れるほど、女性として求められていることが感じられる。何度か手を握られ、心臓が口から飛び出しそうだったので、そのたびに慌てて逃げた。
それでもエンネは辛抱強く、私が心を開くのを待ち続けた。1000年生きる種族の根気は半端ない。そうしているうち、とうとうエンネがこの小屋に来てから一年が経過した。
「「乾杯」」
出会いから一年を祝し、赤い酒が入ったグラスをカチンと鳴らす。エンネが森から大袋いっぱい摘んできたベリーで作った果実酒だ。彼は「働かざる者食うべからず」精神で、薬に使うハーブ類はもちろん、果物やきのこなど食料になるものを採取してきてくれる。
最近はようやく賞金目当ての捜索隊も来なくなり、エンネは森の中を活発に動くようになった。一応は人目を避けるため、移動は樹上で夜間に限ってはいるが、生まれ育ったエルフの里にいるようで、この緑深い環境を彼自身も気に入っているようだ。
「一年なんて、あっという間だね」
何の気なしに口にした言葉に、エンネは少し首を傾げ「そうかな?」というような表情で私に向かい合った。
「僕にとっては、今までの人生で最も濃厚な一年だったよ」
「今までの人生で?」
若くは見えても、エンネは現在217歳。人間の年齢に換算すると20歳過ぎのヤング(死語)なのだが、誘拐されて貴族の館で半世紀も捕まっていた過去があるだけに、20代なかばの私より人生経験が豊富であることは間違いない。その彼が、最近ではすっかりくだけた口調で、この一年は激動だったと語る。
「正直、貴族の館での生活は最悪だった。確かに住居や食事は上質だったし、きれいな服も着せてもらっていたけれど、生きているという実感はなかった。僕はまるで置物のようだった」
キッチン兼リビングルームの窓から月の光が射し、エンネの白銀の髪を淡い光で彩る。毎日眺めているビジュアルではあるが、あまりに整いすぎていていまだに戸惑う。そのパーフェクトなルックスの男が、私の目をロックオンしたまま、さりげないがきっぱりとした所作で手を伸ばしてきた。
「でも、君に出会って全てが変わったんだ、クロユキ」
いつぞやの試すような軽いタッチとは違う、私の手を包み込むような力強さ。あまりに美形なので性別を超越しそうになるが、この瞬間のエンネは確かに成人した男性そのものであった。
「最初は、すぐにここを出ていこうと思っていた。でも、時間が過ぎるほどに、君との暮らしが楽しくなって、今では離れがたい気持ちになっている。それはきっと、君の――」
「あ、あんたは思い違いをしているわ」
皆まで言わせず、私はエンネの言葉を遮った。全て聞いてしまえば、自分を支えるつっかえ棒が吹っ飛んでしまいそうで、必死になって彼の気持ちも、そして自分の気持も、否定しようと頭を振った。
「散々な目に遭って、くたびれ果てていたところを、私に救われた。その感謝の気持ちを錯覚しているだけなのよ」
しかし、そんな私の否定は彼には刺さらなかったようで、エンネは絡めた指に力を込め、いちばん聞きたくなくて、聞きたかった言葉を囁いた。
「愛しています、クロユキ」
頭の中で、パーッと光がスパークしたような気がした。この世界でのクロユキは、いわゆる陰キャのモブを凝縮したような非モテキャラである。前世でもこんな美男に告られたことなどないので、もはやリミッターが振り切れて、針が南半球まで飛んでいってしまった状態だ。
そんな脳内カオスな状態で、退くかダイブするかの二択を迫られた私は、どっちを選んでも違う種類の地獄に堕ちるのだと理解した。目の前には、私を捉えて離さないアメジストの瞳。そのひどく非現実的なシチュエーションが、私を狂わせたのだろう。気がつけば、大昔の現代国語の授業で習った言葉を口にしていた。
「……死んでもいいわ」
ああ、二葉亭四迷先生! ツルゲーネフ師匠! エルフにこのネタは通用するわきゃないんだけど、なんだか嬉しそうな顔をしているから、気持ちは通じたと思っていいのかしら。
こうして私は、エルフの恋人になってしまった。ゴミクズみたいに厭われていた魔女の私が、まさか極甘ロマンスのヒロインになるなど、街の誰もが想像しなかっただろう。ていうか、いちばんビックリしているのは当の本人である。




