■第一話 ある日、森の中、エルフさんに出会った
今度の転生は、鬱蒼とした森の中で始まった。私は分厚いローブを羽織っており、手には草の蔓で編んだかご。中にある草を眺めているうち、その草の薬効とともに自分が誰なのか記憶が流れ込んできた。
私は街では「魔女」と呼ばれている。職業としては薬師なのだが、背が小さくソバカスだらけ。性格が暗くて三白眼なため、小さな頃から薄気味悪いといじめられた。そのおかげで立派なコミュ障の大人に成長し、数年前からは森の中の小屋で生活をしている。
どうせ早くに親をなくして天涯孤独だし、森の中なら薬草の採取に便利だ。週一回、薬を売りに街へ出ていく以外は、誰にも邪魔されない静かな暮らしを楽しんでいる。森の奥に住む人嫌いの魔女、それがこの世界でのクロユキである。なんか地味だな。
今日はいつもより少し遠出をして、深い谷底まで降りた。この時期だけ採取できる、希少な薬草があるためだ。そしてその帰り道に、私はとんでもないものを拾ってしまった。初めは白い布かと思ったが、近づくと髪のようなものが広がっていた。この国では見たこともない、輝くような白銀の髪である。
「うわ、面倒くさいな。見なかったことにしようかな」
深い森の中では、道に迷ったり斜面で足を滑らせたりして、儚くなってしまう人がたまにいる。それを発見したら街の役人に知らせる義務があるのだが、ただでもコミュ障の私にとって、それはとんでもない苦行であった。
しかし、遭遇してしまったからには見過ごすわけにもいかず、私はその遺体を確認するため肩あたりに手を触れた。すると、何ということか。小さな呻き声が聞こえてのである。
「……ううっ」
「やだ、あんた生きてんの」
面倒オブ面倒なことになってしまった。生きているなら救助しないといけないじゃないか。小柄な私には人間ひとり運ぶ力はない。街まで走って助けを呼んでこようと思い、立ち上がったその時、銀髪が私の腕をつかんだ。
「……知らせない…で…、お願い……」
か細いけれど、その声は強い意志と恐怖を感じさせた。もしかして、誰かに追われて森へ迷い込んだのだろうか。私はしばらく逡巡した後、小屋から荷車を取ってきた。重い樽などを運ぶ際に使う、鉄の車輪が付いた頑丈なものだ。
銀髪はどうやら男性のようで、支えて荷車に乗せるだけでも大仕事だった。そこからさらにガタガタの山道を、何時間もかけて小屋まで運んだのだから、私にしては異例の大サービスである。
しかし直感で、森の木々が私に「この男を助けろ」と囁いている気がした。こういう勘には従ったほうがいい。森で暮らし始めてから、私は植物のテレパシーを少なからず感じるようになっていたからだ。
銀髪の男は、小屋に着いてから何日も寝込んだ。私は、薬草とハチミツを溶かし込んだ湯を、匙ですくって根気よく飲ませ、用足しの時には肩を貸し、濡らした布で体も拭いてやった。寝台は男に与えてしまったので、看病の間は硬い長椅子が私の寝床だ。その苦労の甲斐あって、3日ほど経つと男は半身を起こせるほどに回復した。
「ありがとう、何とお礼を申し上げていいか」
エンネと名乗る男は、涼やかな風が吹き抜けるような美声でそう言った。腰まである長い白銀の髪は僅かに青みを帯び、月の光のように輝いている。透き通る肌は白く、仄蒼く、静かな湖を思わせる滑らかさだ。そして菫色の濃淡が特徴的な瞳は、さながらアメジストを思わせる。
まるで存在そのものを、美の女神に祝福されたかのような彼は、何と希少種族、エルフであった。
布で顔を拭いたとき、髪の隙間から長い耳が見えて「うわ、フリー◯ンじゃん!」と、腰を抜かしかけた。遠い国にそのような種族がいるのは知っていたが、目にしたのは生まれて初めてだ。エンネの年齢は、216歳。エルフは1000年近く生きる長命であるため、人間で言えば20歳前後にあたる。
「それで、何であんな所に倒れていたの?」
「逃げてきたのです、……貴族の館から」
エンネは150歳くらいの頃(少年時代だそうだ)、好奇心でエルフの森の外に出てしまったところを、人間に捕まり貴族に売られた。
「エルフの森は世界樹ユグドラシルを中心に結界が張られていて、人間は入って来られません。とても安全な場所なのですが、私はどうしても外の世界が見てみたくて……」
それから約半世紀、彼は貴族の館に閉じ込められ、ペットとして客人への見世物にされていたそうだ。
しかしある日館で火事が起こり、エンネはその隙に逃げ出して森へ駆け込んだ。ただ、長い幽閉生活で体が弱っており、力尽き果て倒れていたところに、私が通りがかったというわけだ。そういうことなら、きっと今ごろ貴族はエンネを捜索しているだろう。
うーむ、さらに面倒なことになった。せっかく隠遁生活を楽しんでいるのに、貴族と揉め事を起こすつもりはない。体が回復したらすぐにでも出ていってもらわねば。その空気はエンネも感じ取ったらしく、美しい顔をシュンとさせて私に頭を下げた。
「あなたを巻き込んでしまって、本当にすいません。歩けるようになったら、すぐに出ていきます。ごめんなさい」
そう言って目を閉じたエンネの頬を涙が伝い、シーツの上に落ちてキラキラと輝く球体になった。
「これは?」
私はその丸い粒を拾い、陽に透かしてみた。オーロラのような不思議な光を放っており、宝石のように美しい。
「エルフの涙です。貴族たちはそれを装飾品にするのです」
恐ろしいことに、エルフの涙を得るため、エンネは刺激物を目に入れられたり、殴られたりしていたらしい。それだけではない。エルフの血は寿命を延ばすという言い伝えにより、体に傷をつけられ血を抜かれていたという。
「実際には、私の血を飲んだとしても延命など叶わないのです。しかし、貴族たちはそれを信じて疑いませんでした」
聞いてるうちに、腹の底で怒りのマグマが沸騰してきた。何という残虐な仕打ちか。彼は半世紀もの間、誰ひとり味方のいない場所で虐げられてきたのだ。
例え回復してここを出たとしても、エルフの姿は目につきやすい。早晩貴族の追っ手に捕まり連れ戻されるのは目に見えている。後はまた閉じ込められて、虐待を受け続けるだろう。
「あんた、ここにいなさい。私が匿ってあげる」
気がつけば、口から言葉が飛び出していた。人嫌いな私にとって、ありえない台詞だが、なぜだか彼はここにいるべきだと感じた。彼の美貌に目がくらんだわけではない。自然にそう思えたのだ。
「しかし、もしも追っ手に見つかったら」
「その可能性は低いわ。ここは林道から随分外れているし、もし誰か来たらわかるようにしているから、すぐに隠れればいい」
「どこへ?」
「あんたが歩けるようになったら教えてあげるわ」
いくら陰キャの魔女とはいえ、一応は若い女の一人暮らし。防犯のためにいろいろと仕掛けを施している。家の前に流れる小川には縄で繋いだ吊り橋があり、派手な音をたてる鳴子がジャラジャラついているから、寝ていても気がつく。
それでも貴族たちがこの小屋へ押し入ろうとするなら、エンネを地下の仕事部屋に匿うつもりだ。地下の床には板一枚だけ隠し扉があり、スライドさせると人間が一人入れるくらいの収納庫になっている。高価な薬草や調剤用の素材を収納しておくスペースだが、いざとなったらエンネをそこに押し込めばいい。
こうして思いもかけず、Over200歳のエルフ(若者)を抱え込むようになった私だが、この時にはすでに彼の正体に気づいていた。コミックにもなった長編「氷の美麗エルフは流し目で無双する」の主人公、ヨルムエンネこそが彼である。
おそらく原作が始まる前の、人間界での放浪時代なのだろうが、私はその物語にはワンシーンも出てこない。それを知っている身としては、何だか最初から切ない予感がしてならなかった。




