■第一話 転生!転生!転生!転生!転生!転生!転生!
私の名前は、黒田美雪。あだ名は「クロユキ」。小学3年生のとき、日直で黒板に書かれていた名前の真ん中を、誰かがイタズラで消して「黒□□雪」になった。それ以来ずっとクロユキ。
そのクロユキこと私の眼の前には今、燦然と輝く深緑色のボトルが鎮座している。容量1500ミリリットル、サイゼリヤの最終兵器、マグナムボトルである。グラスにすると15杯分あるそうだ。いつもはグラス3杯、せいぜい頑張って500のピッチャーが関の山の私にとって、当然コンプリートできる量じゃない。
じゃあ、なんでそんなものを注文したかというと、ぶっちゃけヤケ酒である。私はつい先ほど、彼氏の浮気現場を目撃してしまった。彼氏の(いや元彼か?)の名前は宮本裕之、呼び名はピロりん。モテない人生まっしぐらだった私が、30歳を目前にしてようやく捕まえた、過去イチまともな男だったはずなのに。
私は就活を甘く見てスタートダッシュが遅れ、なんとか滑り込んだ会社がいわゆるブラック企業だった。終電ギリギリまでサー残なんて当たり前、モラハラ、セクハラ、その他もろもろで精神を病み、新卒1年を待たずして無職になった。それ以来、なんだか頑張って働くのが面倒くさくなり、だらだらとバイトや派遣で食いつなぎながら、気がついたら三十路カウントダウンの現在に至る。
ピロりんと出会ったのは、2年ほど前に派遣で働いた通販系の会社である。私はコールセンターのオペレーター、彼は正社員で在庫管理を担当していた。給湯室でひとり、はちみつラテを美味しそうに飲む彼を見て「それ私も好きなんですよ」と声をかけたのが始まりだった。
それ以来、ときどき一緒にお茶休憩をするようになり、私は派遣あるあるで5ヶ月の短期雇用だったけど、最後の日に彼が食事にいかないかと誘ってくれて、めでたくカップルに。ピロりんは薄い顔だし背も高くないし、お喋りだって得意じゃない。でも、真面目で思いやりがあって、この人となら一緒に暮らしていけるんじゃないかと、心のなかでそう遠くない未来を夢見ていたのだ。
それなのに。ひどいよ、ピロりん。
彼のアパートのドアを開けた瞬間、抱き合う男女の姿が目に入った。ワンルームだから、玄関から何もかも見えちゃうんだよね。長い茶髪の女の手が、ピロりんの背中を抱きしめている。爪には真っ赤なエナメル、ちょっと大柄な外国人風の女だが、ピロりんの影に隠れて顔がよく見えない。
いやもう、これはアウトだろ。「相撲取ってた」なんて言い訳、通用しねえかんな。私は手に持っていたコンビニの袋を二人に向かって投げつけ「最低!」と叫んで部屋を飛び出した。背後からピロりんが何か言っている声が聞こえたけど、夢中で走って、走って、気がついたらサイゼリヤの前に立っていたというわけだ。
ここね、二人でよく来たんだよ。こんな時でさえピロりんとの思い出に縛られている自分が情けない。しかし、だったら敢えてその思い出をぶっこわしてやろうという気になって、私は緑で縁取られたドアを開けた。そして「いつか二人で飲もう」と言っていたマグナムを、勢いで注文してしまった。それが一時間ほど前の話である。
「ありがとうございました、お気をつけて」
アルバイトと思しきお兄さんに、余計な気遣いをさせてしまったのは、私がけっこう酔っ払っているせいだ。意識ははっきりしているが、足元がふわふわする。もちろんマグナムが空になることはなかったが、半分くらいは飲んだと思う。うーむ、普通のワイン1本分。私の新記録だ。ピロりんの裏切りに対する怒りや、失恋の喪失感を酒にぶつけているうち、ちょっとピッチが早くなったのかもしれない。
てか、知ってた?サイゼリヤのマグナムボトル、飲み残したら持ち帰れるんだよ。ご丁寧にビニール袋までつけてくれて、それをぶらぶらさせながら、明日からどうやって憂鬱な日々を過ごそうか、うんざりした気持ちで横断歩道を渡ろうとしたその時。なんだか気配がおかしいことに、酔っ払いの鈍い頭がやっとこさ気づいた。
「えっ、えええ?」
自分の眼前に迫る大型トラック。耳をつんざくクラクションと、激しいブレーキ音。眩しい光で目がくらみそうになりながら、おぼろげに状況が理解できた。
――あれっ、私、車に跳ねられちゃう?
その間、きっと数秒だったと思う。まるでスローモーションのように、そして驚くほど鮮明に、迫りくるトラックのフロントグリルが視界に広がる。単に足がすくんで動けなかったんだろうけど、しかしその現実離れした光景が、逆に私の思考を冷静にさせたらしい。気がつけば私は、この言葉を心の中で叫んでいた。
「転生!転生!転生!転生!転生!転生!転生!」
実は私は、小説投稿サイト「小説家になっちゃいな」の大ファンで、中学時代から15年ほど手当たり次第に読み込んできた、ガチの「読み専」なのだ。その骨身に染み込んだ異世界マインドが、この世の最後にスパークしてしまった。読み専、恐るべし!
空中に舞う、マグナムのボトルから溢れ出るワインが、まるで血のように美しい。一瞬、ピロりんの顔が脳裏に浮かんで切なさがこみ上げたが、やがて私の意識は真っ白な光の中へ吸い込まれていった。
新連載、スタートしました。序章と第一幕第二話まで、本日同時アップしております。第一幕の残りは、明日から連日更新予定です。どうぞよろしくお願いします!