灯火の救世主は銀の海で。
「ねえ、あたしと楽しいこと、しない?」
あたしは、旗竿の柄を上下に撫でながら、目の前の男の子にちらりと舌を見せた。
「いくら?」
黒い瞳の男の子は、ポケットに手を突っ込んだまましゃがむあたしを見下ろして、胸元を見ている。
髪も目も服も全身黒づくめ。彼の視線が、徐々に下に降りてきたので、迎え入れるようにしてあげた。
「たくさんの銀」
「どのくらい?」
「埋め尽くすくらいの銀をくれたら、ずっとずっと楽しいことしてあげるよ」
「意味不明だね? まあいいや。じゃあしよう、楽しいこと」
男の子の瞳が黒く光る。
周りの光が吸い込まれていき、色が抜かれた場所はただの黒になる。
あたしは旗の柄を握る力を強めた。たなびく光の布の上、三角に尖った旗の頭が円を描く。先端が震え、空気を振動させる。光の輪が、あたしの頭の上にできあがった。光と闇が、お互いを押し合うようにうねうねと波のようにせめぎ合う。
旗を立て、あたし自身も丸を描くように立ち上がる。方足をぴんと伸ばし、それに合わせるように振り回す。弾力がある、底がない闇の感触に吸い込まれて大きく跳ね返される。
街全体が見下ろせるくらい、あたしは吹き飛ばされた。
「――ああ、最っ高!」
空の高いところで、大きな光の輪っかを作って街を見下ろす。
囲う外壁の中は、光で満ちていたけど、壁の向こうは一面の黒で覆われている。そんな街の中心で、さっきの男の子が居たあたりが暗く広がってきていた。
空中で一回転すると、旗の軌跡に合わせるように光の波が現れる。両足でバランスを取りながら光と一緒に落ちていく。
どんどん落ちる速度を上げ、暗がりの半円を貫いて、石突きで男の子の頭から突き刺すように打ちぬいた。男の子は光の中で灰のように塵になって消滅した。
――あたしは救世主。
女神様、神様、光の勇者様!
星を覆う闇を全て払い、光の輪の中で、あたしは御旗を掲げた。
聞こえるのは歓声、拍手喝采、あたしの名を呼ぶシュプレヒコール。
ここからあたしたちの反撃が始まる!
(つづく)
■■■
「だめだめ。それじゃ僕が死んじゃうよ。それになに、この展開ついていけないよ」
僕は、この子が書いた脚本を破り捨てる。キラキラ光る白い髪は、闇の中に溶け込んだ。
「僕はそんなに弱くもないし、キミも救世主なんかじゃないでしょ」
この子は最近、僕を殺したがる。
「光が正義に決まってるでしょ!」
「そうなんだ? 闇が悪?」
聞くまでもないと、女の子は笑った。光は正義、闇は悪。じゃあ、人間は? と思ったけど、そもそも人間の定義は広く、僕たちの解釈が狭いので結局は、光と闇しかないかもしれない。
そんなことはおいといて。
彼女が僕を殺したいように、僕もこの子を消し去りたいと思っている。
闇を取り戻していくのは僕たちの使命だから、光は全て消していかなくちゃいけない。でも、そんなのずっとやってると退屈でつまらない。黒い紙に炭で絵を描いているようなもの。
この街まで来て、この子を見つけた時、一筋縄じゃいかなかった。今もこうして、闇で覆えないでいる。
後から教えてもらったんだけど、この子は光を生む種族なんだって。
それ以外のことなんて出来ない弱い存在で笑ったけど、僕たちにとっては天敵みたいなもの。太陽の光だって、炎だって消せるのに、この子が放つ光は、僕たちを餌にするように食らいついてくる。
と、まあ色々喋ったけど、ちょっとだけ時間を巻き戻してもいいかな。
二回目の時、僕は彼女と会ってこう聞いたんだ。
あたり一面埋め尽くされた銀貨の中を、楽しそうに泳ぐ彼女に向かって。
「キミ、悪者だね?」
「じゃあ、君は善人?」
白銀の中に佇むこの子は、どこか恍惚とした表情で、その光に魅入られているようだった。
□□□
男の子と出会う前の話をちょっとだけさせて?
「ねえ、とりひき、しようよ」
銀貨を造る造幣局? っていう場所であたしは取引を持ち掛けた。内容は簡単だよ。
闇に覆われないように、あたしの光で守ってあげる。代わりに、銀貨をたくさん差し出すこと。銀貨に見合った分だけ、街を光で包み続けてあげるっていう話。
嘲笑われ、すぐに追い出された。あたしは不服だったから、闇が侵略してきたとき、いくつかの区画は消えて無くなったのを黙って見た。その後、一つだけ区画を取り戻してあげたんだ。
それを見せたら、断れる理由なんてもうないよね。
この星はさ、闇に蝕まれてて大きな混乱が起きているの。どこからか無尽蔵に湧き出る漆黒の煙に、人間は抵抗できない。
炎も、剣も、弩だって効かない。闇に侵された場所は、何もかもなくなる。音も、感触も、匂いも、命も。そんな脅威に、ただ一つ、それに対抗できる力がある。
そう、あたしの光だ。
もう分かったと思うけど、銀の光があたしの力の源。光沢はあればあるほどいい。酸化しちゃってくすんできたものは、みんなに磨き直してもらってる。
銀の力を吸い込むわけじゃないよ。あるだけで十分。数は、多ければ多いほどいい。宝箱一つ分とかじゃないよ。海になるくらい欲しい。
「もう……これ以上は……」
「これ以上って?」
闇の浸食が近い区画の偉い人たちが、あたしの前で頭を下げている。
「これ以上、お渡しできるほどの銀がないのです……。私たちも生活していかなければならず……」
「生活って。そもそも闇に食べられたら終わりだよ? 面白いこと言うおじさんだね。じゃあいいよ、いらない。でも明日からどうなるかは、知らないよ?」
「あああ、ご慈悲を! 救世主様! どうにか、どうにかいたしますので何卒……!」
頭を地面に音が出るくらい擦り付けているおじさんを見て、あたしは可笑しくなる。本当に、最高。
強い人間に利用されるだけだから逃げようって、隠れた仲間たちに言ってやりたい。それは間違ってる。今、あたしは彼らを利用できてる。地の底で人形遊びして現実逃避? バカみたい。
ほら見てよ、みんなあたしに逆らえない。
あたしが彼らの救世主なんだ!
■■■
経緯も掴めたろうから、銀の海でこの子にあった時に戻ろうか。
「そのお金、街の人たちが一生懸命働いて手に入れたものでしょ? そんなに奪ってどうするの?」
「キミって、頭の中までまっ黒で何も考えられないんだね。今は、生きるためにあたしに使ってる。お腹すいたらパン買うでしょ? 同じだよ。みんなあたしの光が欲しいの。分かる?」
白銀で積み上げられた舟の頂に、光り輝く旗が突き刺さっている。旗の帆は、どこまでも伸びていて先が見えない。その光に弾かれるように、僕の闇も跳ね返され、今もこうして浸食を進めているけど、一向に進まなかった。
「キミも退屈そうな顔してるね?」
「……退屈だよ。ただ黒く塗り続けてるだけだから。でも今は少し楽しい。塗れない光を突き破りたくて仕方がないんだ」
「うん。あたしも闇を払うのが最高に楽しい。いくらキミが頑張っても、絶対にあたしは塗り潰されない。悔しい顔を想像するのも楽しいし、こうして銀の光に見つめられるのも楽しい。それに、今あたしはこの街の救世主なの。……ねえ、そんな突き破れない光を、もし突き破ることができるなら、どう思う?」
女の子の瞳は僕の胸元を打ち抜き、ぞくりとさせるものだった。それに伴う言葉も、想像してみると、身震いしそうなくらい楽しそうなことだと想像できた。
「ねえ、とりひき、しようよ」
「どんな? 手を引くのは無理だよ」
「ううん、引かなくていい。少し抵抗はするけど、あたしの光ごとキミに食べられてあげるの。無理やりそうするの、想像してみて? あれだけ塗り潰そうとしてもできなかったあたしを、好きなように塗り潰せるんだよ」
僕としたことがそんな光景を思い浮かべてしてしまう。感じられなかった体温が微かに熱を帯びた気がした。そんな感情すらないはずなのに、癪だけど、照らされている気分。
「そのあと、あたしがキミの闇をまた追い払うの。そうしたら、街を救ったことになるでしょ? きっとみんな喜んで、もっともっと銀を出してくれると思うんだ。そしてまた、キミはまたあたしを破る。あたしは払う、その繰り返しを続けるの」
興味本位でその誘いに一度乗ってみることにした。
退屈していたし、面白そうだったから。
ある程度の抵抗の後、彼女の体を貪りつくして、漆黒に塗り替えられたあの時は、彼女が言う「最高」の一言だった。
だから僕は力を緩めてあげて、彼女の光に薙ぎ払われ退散した。すると、街は元の姿に戻る。
彼女もまた銀が増えて悦んでいた。
だからもう一度しようって僕から提案して、それを繰り返した。
一日に何回も繰り返す日もあった。
何回目かの後、展開に飽きてきた僕は、彼女に「演技」を付け足すよう要求したんだ。
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街は悲鳴だらけ。
あたしに助けてって人たちが群がってくる。列をなす人たちをかき分け、銀を持ってきた人にだけ、特別な笑顔を見せてあげる。
愛想よくしてるけど、この人たちがどうなろうと、どうだっていい。
今考えるべきなのは、もっと銀を膨らませて、どうやってあたしだけのお城を作るか。
それと、もう一つ。
ほんとに銀が無くなった時、あの子を完全に消滅させる閃光を放てるかどうか――
単純な頭のやつでよかった。
あの時の銀の量じゃ、追い返せなかったかもしれない。
この量ならそろそろ、いいかな。
大きく息を吸い、旗一面に銀塊を反射させる。
見渡す限りの銀の海。どれもがあたしを映しこむくらい、ぴかぴかに輝いている。
それじゃあ、灯しちゃおう!
■■■
彼女の演技は刺激的で楽しい。こういう潰し方もあるんだって、色々教えてくれる。
でも彼女の演技はたまに、僕を殺すシナリオになる。もちろんそれは却下するけど、そういう話が多くなってくると、だんだん僕も萎えてきた。
早く終わらせろって、周りの声もうるさいし、僕ももうそこまで彼女に魅力も感じられなくなってきたから、そろそろ終わらせようかな。
次は、ひしゃげるくらいの漆黒の重圧で、街ごと握り潰す。
楽しませてくれたお礼。一気に、知らないうちに終わらせてあげる。
それじゃあ、さようなら。
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簡単に言うと、〝前から〟ってお願いしたのに〝後ろ〟からきた。
それで分かった。向こうも、これで終わりにする気なんだって。
石突きを地面に突き刺す。
その瞬間、辺り一面の銀貨がすべて宙に舞い上がる。あたしを中心に反射して、一つひとつが淡く輝き出す。それは、星々のように煌めいていて、波のように揺れる大海そのものだった。
視線だけで命じる。
次の瞬間、銀貨たちは一斉に細い稲光となって放たれた。
何千、何万もの光線が全方位に走り、闇を切り裂き、その点で奥を貫く。
網目状のコントラストが世界を覆い、細切れになった闇がもがくように蠢いていく。
「あたしの灯火、貫け――っ!」
金属の高音、閃光、闇の悲鳴が重なり合う。
やがて光の渦の中で、闇は細切れになって消えていく――。
□■■■
そっか。そっちもその気だったんだね。
遠く離れた場所で、両手の中で街を覆い囲んで握り潰そうとするけど、どれだけ力をいれても硬くて潰れない。闇を搔い潜るように、曲がりくねった光の筋が、数えきれないほどの本数で迫ってくる。街の中心は、灯火の光で膨れ上がってきている。
周りの声を全員呼び出して、壁にしてるけど、光線の数が多すぎる。
銀の海から放たれる、大きな光の津波。
これほどとは思わなかった。
僕は油断してしまったことを後悔したけど、津波に飲み込まれる瞬間、綺麗だなって思ってしまった――
✕✕✕✕
突き刺した旗に体重を預ける。両膝が、がくがくと笑っている。
立っているのが精一杯。全ての光を出し切った。光は外壁を越えて、更にもっと向こうまで届き、遠くの山の陰影もハッキリと分かるようになった。
空だって明るく水色で、草木は緑で、花は赤い。細かな光の粒子が、祝福するように上から降ってくる。
「あははは! やったっ……! やっぱりあたしは救世主……!」
疲れよりなにより、興奮が体中を駆け巡る。
これは世紀の一瞬だ。抗える。あたしたちは闇を打ち払える!
「もっと銀を集めて、この星全てを照らしてみせる! ほらみんな! だからあたしにもっと力を貸して――」
力を振り絞り、旗を持ち上げ掲げる。
この場所が始まりであると、ここからあたしたちの反撃が始まるんだと!
銀があれば無敵、あたしは誰にも負けない!
歓声が始まる。あたしへの賛辞が止まらない――……はずだった。
掲げた右腕が熱くなったと思ったら、だらんと違う方向に折れていた。
「……え……?」
からんからんと旗竿の棒が地面に転がった。
そこには、ぺりって皮が破れて落ちたあたしの腕もくっついていた。
「やったぞ! 俺たちの勝利だ!」
野太い声があたりに響いた。
反対の腕にも同じような衝撃。左腕をみたら、肘から下が無くなっていた。
そこでようやく歓声が湧き上がる。
それはあたしへのじゃない。腕を切り落とした鎧の男に対してだった。
「救世主だと? 強欲な魔女め、ここからは俺たちの為だけに光ってもらうぞ」
あたしは悲鳴を上げて、落ちた腕も拾う事も出来ず逃げ出す。
けど、大きな体にぶつかって後ろに転んでしまった。もう、起き上がれない。
脚をバタバタしていると、誰かに抑えつけられた。逃げ場がないくらい、人に囲まれている。
――強い人間に利用されるだけ。
銀の海は、あたしの血で池になり、その中に沈んでいく。
せめて、青い空を見つめていたかったけど、ぐるぐる巻きにされて、口も塞がれた。
力を振り絞って光って見せるけど、人間にはなんの意味も成さない。
何かに閉じ込められ、どこかに連れられて行く。
この星には、誰一人、ううん。
正義って言葉すら、存在しなかった。
そう。あたしもその一人。利用していたつもりだったけど、利用されていた。
やっぱり、最後に笑うのは――最後の最後に裏切るやつ。
だったらさ、これを見ているあなたは正義なの?
――誰が悪いか、教えてくれる?
やっぱりあたしも逃げた方がよかったの?
あたしのポケットに忍ばせていた、最後の銀貨が落ちる。
漂うことなく、人ごみの中に溶けていった。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
灯火シリーズ3作品目になります。
今回のこの結末、どう感じられましたでしょうか。
同じ世界線の別のお話、
一作品目『灯火たちは星の底で。』
二作品目『灯火はひみつの中で。』
も合わせて読んで頂けると、
より世界観が広がるかと思います。
よろしければ、ぜひご覧になっていただけると幸いです。