「眠る」
ザアザアという程でも無いが、それなりに雨が降っている中、僕は軽自動車でとある山の中まで来ていた。
山道のガードレールの傍に車を停め、雨合羽と大きめのスコップを担いで、外に出た。
外に出た瞬間、携帯電話に着信が来る、これもまた、毎年恒例だった。
「お疲れ、元気?」
「こっちは元気だよ〜!そっちは?」
「微妙かな。でも、声聞けてちょっと元気出たかも」
「嬉しいこと言ってくれるじゃ〜ん」
パッとしない会社員の僕でも、携帯電話から聞こえてくる彼女の声を聞くと、不思議なことに元気が湧いてくるから凄いよな。僕と違って彼女は、花の咲くような笑顔がとても似合う美人で、とても釣り合うとは思えないが。
雨の中、山中を歩く僕は、この寒さを和らげる為に、彼女との思い出をマッチのように擦り始めた。
僕と彼女が付き合い始めて10年、ずいぶんと長い時間が経ったと思うし、普通に見ても長いと思う。
それでも、近い所に住んでた最初の数年は一緒に色々な所に遊びに出てたし、ほぼ毎日会って話してた。どうでもいい話でも、彼女は笑って聞いてくれるし、逆にどうでもいい話でも、彼女が話せば鉄板トークそのものだった。
流れが変わったのは五年が経った頃かな、僕が仕事の都合で、今住んでいる地方から都市へと引っ越さないといけなくなった。
「何で引っ越すの!?」
「だから、仕事の都合で……」
「仕事と私、どっちが大事なのよ!」
「それは、君に決まってるよ!」
「ならどうして行くのよ!?」
「無職は養えないだろ!?」
「ここで働けばいいじゃない!」
「金が安いんだよ!養えないの!」
実際、彼女も僕もこれ以外のことも色々重なってて、かなり限界だったと思う。どうしても残って欲しい彼女と、残れない僕で。だから、二人でずっと話し合った。最初の頃は明るくて笑顔が綺麗だなって思った。でも、この人はこうやらないと生きてこられなかったんだなと言う背景も知ることになって。
彼女は、天涯孤独だった。両親は不明、施設でも心を開ける友人はおらず、仮面を被って過ごして来た所に、偶然僕が入り込んでしまった。でも、それを僕は誇りに思ってしまってるんだから、大概毒されてるとは思うよ。
だからそのまま不安定で、明るくて、笑う事しか出来ない。僕は安定してるけど、暗くて、笑えない。凹凸が上手く噛み合ったんだ。
それを、もっと早く理解出来ていれば。
「向こうに行ってからはどう?」
「平和だけど、何もなさすぎて暇って感じかなぁ」
「それは大変だねぇ、最近はなにして過ごしてる?」
「最近はぼーっとしてるな〜、空眺めてることが多いかも」
「それは……不思議だね……おっ、あった」
雨に降られ、重いスコップをガチャガチャと持ち運びながら山奥を進み、とある一点で立ち止まった。
「木にマークは……あるね」
落ち葉が堆積している少し開けた場所、その近くに生えている木の一本に、ピンク色のスカーフが巻かれていた。ボロボロのスカーフに近寄り、強度を確かめる。まだ付いてそうだと確認すると、その横のスペースにスコップを突き立てた。
あの時、冷静に考えれば、転勤先に二人で行けば良かったんだ、その後、色々考えれば良かったのに。そんな簡単なことさえ、僕らは数年の生活の中でできなくなっていた。
彼女は僕を愛してくれていた、僕も彼女を心から愛していた。お互い、もう他の相手なんて考えられないぐらいに。
冷静じゃない人達が、冷静に考えて出した答えなんて、酷い答えに決まってる。
「ねぇ、僕は君をいつまでも愛してるよ」
「私も愛してるよ」
「もう、終わっちゃダメかい…?」
「許さない」
声色が、一気に冷える。明るい彼女とはまるで信じられない、まるでこの世のものとは思えないほど、怒りと哀しみに捻れた声が僕の耳に響いた。
「なぜ……?」
「忘れるから」
「絶対に忘れないよ?」
「忘れる。何があっても絶対に許さない」
「うん、分かった……ごめんね」
そう謝って、携帯電話を耳に当てつつ、スコップで地面を掘り返していく、普段運動をしてないせいか、白い息が漏れた。
数メートル程掘ると、彼女が静かに眠り続けていた。
「どうしても、わすれてほしくないの」
「つちにうまった、わたしのこと」
瞬間、…………に転送します。という機械音声と共に、カウントダウンが始まった。
三秒考えた末に、私は一言だけ呟いた。
「忘れないよ、ずっと」