第1話 転移
古武術。
男なら誰しも憧れる響きなのだが現代では全く無意味と言っていい。
小さい頃から父に、祖父に、祖母に、兄弟に、そんな血なまぐさい技術を叩き込まれてきた。
そんな人生を費やした技の数々は、現代では車の免許にすら劣る無用の長物なのである。
「はぁ……」
二十歳にもなって恋人の1人もいない自分の人生にため息が出てしまう。
「さて、明日も早いし寝るか」
換気のための窓を閉め、布団に入った所で違和感に気付く。
「あれ、電気消したよな?」
電気は消えている。
なのに部屋が明るい、明るすぎる。
正体は地面だった、なぜか地面が眩く光っている。
「なんだこれ……光で前も見えなく……」
木々の匂いがする。
生き物、虫の声がする。
刹那、ガバッと飛び起き、周囲を警戒する。
「どこだここ……」
たしか寝る準備をしてたら、地面が突然光って……次の記憶はもう現在の場面だった。
靴も履いてなければ、武器もない。
「親父の新たな修行か?」
その可能性も考慮しつつ、周囲を警戒しながら再度見渡す。
鬱蒼とした森と言っていいだろう、鳥のような声も聞こえるな、それに木の実がそこらに落ちている。
「長丁場になるかもしれないので、少し拾っておこう」
木の実をポッケに入れながら、森を歩くと先の方に少し開けた場所とそこにうずくまる子供のシルエットが見えた。
ここが何処なのか聞いてみようと近付くとどこかおかしい事に気付いた。
緑色の肌、尖った耳、右手には錆びたナイフ、口元からはヨダレが垂れている。
「ゴブリン……」
思わず口にしてしまった。
瞬間、こちらに瞳を向けると同時にゴブリンは駆け出してきていた。
一瞬で分かった。
どういう状況などと狼狽している時間などない、これは修行でもなんでもない、負け即ち自分の死という最も分かりやすい構図。
殺し合いと自分の頭で整理が着いた瞬間、自分でも驚く程に冷静でいられた。
ナイフを大きく振り上げ切りつけてくる、純度100%の殺意のみの攻撃。
この攻撃への対処は……
「紡流武盗術、打壊!」
振り上げたナイフが自分に到達する前に身体を捻る。
そしてそのままナイフを持っている指めがけ肘で的確に打ち抜く。
ゴブリンが悲鳴を上げ、持っていた獲物を手放す。
この技は相手の武器を無手の状態から奪う、盗む事に特化した技だ。
俺は地面に落ちたそれを拾い上げた。
「これで形勢逆転かな?」
ゴブリンは変形した自分の指を見た後、怒りの表情で突っ込んできた。
「殺し合いは初めてだが、試合では冷静じゃなくなった方が負けるんだぜ」
一直線に向かってきたゴブリンを見切って避ける、と同時に首元めがけてナイフを加速させた。
「あぎゃ!」
「ふぅ……」
だらりと伸びるゴブリンの死体を横目に一息入れる。
疲れた、こんなにも実戦というのは疲れるのか……
ただどうやらこの森は、この不可解な状況は俺を休ませてはくれないみたいだ。
ガサガサと音を立て、目の前の森が騒いでいる。
ゴブリンが10匹程、群れを成してこちらに視線を向けている。
どうやらやるしかなさそうだ……