第一話 さがしびと⑧
奇声とともに、かつて早田だったハエの化け物が襲い掛かる。とっさに他の三人をかばいながら、唯野はコートのポケットから警棒を取り出し構える。
そこへハエの化け物の牙がぶつかると、耳をつんざくような金属音が辺りに響いた。
『痛いなあ、探偵さん。歯が折れるかと思ったよ』
「だったら、いっそ折れてくれよ。いい歯医者なら――知ってるからさあ!」
鍔迫り合いの様相から、唯野はどうにかハエの化け物を押し返した。相手は巨体であるようだが、それほど力は強くないらしい。
とはいえ、このままでは勝ち筋があるのかわからない。
相手は得体が知れないだけあって、体力も素早さも動作も、何もかもが未知数なのだ。
「こいつは俺が引きつける。オベベは他の二人を連れて逃げろ!」
「そうしたいのは山々だけど……うわ、こっち来た!」
空を飛べるだけあって、ハエの化け物の攻め手はいくつもある。距離を取ったかと思われたところで、今度は茉莉たちのほうへ回ってきたのだった。
唯野は身を返し、またもハエの化け物の前に立つと、コートの内ポケットから三枚の札を抜き取った。
何やら文言の書かれた縦長の札は、放り投げられるとたちまちハエの化け物に張り付き、稲光に似た現象を引き起こす。化け物の全身に電流が走る。
――効いたか⁉
そんな唯野の期待も虚しく、ハエの化け物への効果は薄いようだった。探偵事務所の所長から受け継いだ由緒正しい三枚の護符は、節くれだった脚に切り裂かれ、ただの紙くずとなって散っていく。
『なんだよ。ちょっと痛かったじゃないか!』
ハエの化け物は空中で勢いをつけると、唯野へ向かって突進した。重さも大きさも早田と大差ないこともあり、その威力は十二分。腹部でそれを受けた唯野は、大きく跳ね飛ばされてしまった。コートにしまっていた護符の束が、ポケットから抜け落ちる。
『作業は何事も効率重視だ。まずは君から片付けるよ、探偵さん』
そう言うなりハエの化け物は、二対の羽を大きく広げた。ピンと張られた大きな羽からなにがしかの力場が発生したかと思うと、周囲に落ちていた空き缶や廃材、あるいは金属製のゴミ箱までが浮き上がり、化け物の周りに集まっていく。
『この前は仕留め損ねたけど、これならどうだい?』
念力か何かで持ち上げられたゴミたちが、一丸となって唯野へと発射される。ようやく上半身を起こしたばかりの唯野には、それを避けることは困難だ。
「唯野さん!」
とっさにそう叫んだ茉莉であったが、そのとき不思議なことが起こった。大きなゴミの塊は、唯野に当たるその直前に、弾けて散ってしまったのである。
『そうそう、前もそんなふうなことがあった。でも――今度はどうかな?』
不幸中の幸いで、またも助かったかと思われた唯野であったが、その腹部にちくりとした痛みを感じた。
見ると――そこにはナイフが突き刺さっていた。先ほどまで早田が握りしめていたそれは唯野の胴体に深々と食い込み、白いカッターシャツがじんわりと赤く染めていく。
『時間差で打てば防げないか。これで、今度こそサヨナラだね』
ハエの化け物が勝ち誇ったように高笑いする。それを耳にしながら、どうにか抗おうとするものの、唯野にはどうすることも出来ない。
流れ出る血は止まらない。意識がだんだんと遠のいていく。
――なんだよ。今回は、死ぬのかよ……。
朦朧とする唯野の視界に、過去がぼんやりと浮かび上がってきていた。