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第一話 さがしびと③

「あれまあ、これまたかっちりした服装の人だこと」


茉莉に抱えられたまま、一緒に覗き込んでいたオベベは、そんな言葉を漏らした。


「どっかの役人さんかな? それとも就職活動中?」

「オベベさん、静かに! バレたら怒られるよ」


依頼に来た眼鏡の男性を物陰から見ながら、茉莉はしっかりと聞き耳を立てた。

一方、眼鏡の男性は、唯野に案内されてソファに腰掛けたところだった。ちょうど背もたれが茉莉たちの側にあるので、おそらくこちらに視線が向くことはないと思われる。

淹れたてのコーヒーが注がれたカップを、唯野が眼鏡の男性の前に差し出した。


「どうぞ、お飲みになってください」

「ああ、どうも。ところで……砂糖はこちらを使えばよろしいですか?」


眼鏡の男性に指摘されてから、唯野は気がついた。ローテーブルの片隅に、オベベの撒き餌として用意した黒角砂糖のコーヒーフレッシュ掛けが放置されたままだったのだ。


「いえ、それは……ペットの餌なので、お気になさらず」

「は、はあ……」


不可解な言い訳に困惑している眼鏡の男性をさておいて、唯野は本題に切り込んだ。


「ところで――先ほどは、困ったお願い、とおっしゃっておられましたね」

「ええ。信じて頂けるかわかりませんが……」

「大丈夫ですよ。依頼人を信頼する――これが、当事務所のモットーですので」


まっすぐ相手の目を見ながら、唯野はそんなことを言った。それが功を奏したのか、眼鏡の男性もいくらか気を楽にしたようにも見える。

だがしかし、そこにオベベが水を差した。


「あれ、なんかのドラマの受け売りだね。たまたまテレビを見てたここの所長がそのフレーズを気に入って、見習いさんにも教えたってわけさ」

「へー、あんまり知りたくなかったかも……」


とはいえ、安心してもらうには十分な効果があったようなので、茉莉は気にしないことにした。


「――わかりました。では、お話しします」


物陰からのひそひそ話は聞こえることなく、警戒心の解けた眼鏡の男性が、事のあらましを話し始めた。


「私は早田と申しまして、『詩留部モータース』という自動車販売店の営業部長を務めている者です」


そう言いながら早田さんは、懐に入れた名刺ケースから一枚取り出して、唯野へと差し出した。その肩書きに偽りなく、ずいぶんとこなれた動作である。


「ちょうど四日前のことでした。私と同期だった男が亡くなったと、警察から連絡があったんです。市街の外れにある用水路から、水死体になって見つかった、と」

「事件性があった、ということですか?」

「はい。なんでも、後頭部に殴打された跡があったとかで……」


この事件は、茉莉も知っていた。ネットのニュースでも扱われていたし、地元の新聞でも一面を飾っていたらしい。

もっとも、それは遺体が発見されたところまでしか書かれておらず、詳細は調査中となっていたけれども、まさかそんなことになっていたとは。


「どうしてあなたがそのことをご存知なんですか?」

「警察の方に、そうお伺いしたんです。私も取り調べを受けましたので、そのときに。事件の犯人も、まだ捕まっていないそうです。ただ――私がお願いしたいのは、犯人捜しではなくてですね……」


しばらく言い淀んでから、ようやく早田は口を開いた。


「亡くなった同期の男を――猿川邦彦を探して頂きたいのです」

「亡くなった方を……?」


少しばかり考え込んでから、唯野は再び尋ねた。


「それは、猿川さんのご遺体が盗まれた、ということでしょうか?」

「いえ、そうではありません。いや、ある意味、そうであったら良かったかもしれませんね」

「では、いったいどういうことなんです? それとも、まさか――」

「お察しのとおりです。もっとも、冗談みたいな話なのですが……」


 何かを口にしようとした唯野を、早田の言葉が遮った。

 それからしばしの沈黙の後、意を決した早田が、唯野の目を見据えて言った。


「……亡くなったはずの猿川は、死後数時間が経過してから、自分の足で立ち上がり、歩いていたのです」


 なんとも信じ難い話だった。茉莉にとっても信じられないことで、背筋は薄ら寒くなっているし、頭が理解を拒んでいる。

 だがしかし、唯野は動揺することなく、淡々と質問を続けていた。


「早田さんは、その猿川さんの姿を、実際にご覧になったんですか?」

「いいえ。警察の方に病院の監視カメラの映像を見せてもらっただけなので、実際には。なんでも、それ以降の足取りがつかめていないとのことらしくて、私や他の方なんかにも事情を聞いて回っているそうでした」

「それは捜査情報なので、あまり口外しないほうがよろしいんじゃないですか?」

「たぶん、大丈夫ですよ。警察の方も、あまりにも奇怪な事件なので、すでにお手上げだとおっしゃっておられましたから」


 たしかにそのとおりだろう。警察からしたら、遺体が消えただけではなく、勝手に歩いてどこかへ行っただけでも頭を抱えているに違いない。そんな常識外れの異常事態に、他の事件と同じように対処しろと言われれば、捜査に当たる人たちの心労は計り知れない。


「あるいは、まだ生きているのかもしれない――。そう思ったからこそ、あなたのような探偵にお願いしに来たのです。どうでしょうか? この依頼、受けて頂けますか……?」


 依頼人の早田は、テーブル越しに向かい合っている唯野を見据えながら、そう尋ねた。その声音からは、藁にも縋る思いであることが垣間見える。


「――失礼ですが、一つ、お伺いしたいことが。あなたと猿川邦彦さんは、いったいどのようなご関係なんでしょうか?」


 手持ち無沙汰な両手を組みなおしてから、唯野は早田に質問を投げかけた。一方の早田は、その問いに少し驚いたふうであったが、何かを尋ねることもなくそれに答える。


「先ほども申しましたとおり、猿田と私は同期で、長い付き合いでした。私が営業部長になり、あいつが社員のままであっても、たまに飲みに行ったりしたものです」


 依頼人の早田は、落ち着いた声音で話を続けた。


「あいつは、とことん真面目なやつでした。お客さんとはきちんと話し合って、その要望に応えるためなら妥協はしない。オプションのことから、値段のこと、保険のことまで、お客さんに満足してもらうためにはどんな苦労も厭わない。まさに、理想のディーラー営業です」


 早田の目は、向かいに座る唯野を見ていなかった。その背にある窓の外か、あるいはさらに遠くを見ているようだった。


「私は――そんな猿川に憧れていた。私のほうが多くの契約を取って出世をしても、一人のために全力で向き合うあいつの存在は、とても眩しく思えたものです」


 そう答えた早田の顔には、どこか笑みが浮かんでいるようだった。


「……不躾なことをお尋ねして、申し訳ございません」


 ひと通りの話を聞き終えた唯野は、まず深々と頭を下げた。


「あなたと猿川さんのことは、おかげでよくわかりました。その依頼、是非とも受けさせて頂きます」

「本当ですか? いやあ、ありがとうございます!」


 感無量だと言わんばかりに、早田は唯野の手を握った。両手でしっかりと包み込むようにして、何度も上下に振っているので、よほど嬉しかったのだろう。

 その後、依頼料の支払いから依頼書の作成、探し人の写真の受け取り、その他の外見上の特徴や行方不明になるまでの行動の確認がつつがなく行われた。どれも初めて見るものなので、茉莉の好奇心はそそられっぱなしで、ずっと目が釘付けになっていた。

 やがて三十分ばかりが経過したころ、ようやく全ての工程が終了したようだった。


「では、調査結果については後日お知らせ致します。ただ、今回は内容が内容なので、ご報告までに二週間ほどお待ち頂ければと思います。調査費用につきましても、そのときに」

「承知しました。骨が折れることかと思いますが、こちらこそよろしくお願い致します」


 そうして挨拶を交わした後、依頼人の早田は事務所を去っていった。

 それを確認した上で、精太は茉莉に声を掛ける。


「おい、もう出てきてもいいぞ。まあ、さっきから顔は出してたけどな」

「あはは……やっぱりバレてましたか」

「ところで、オベベのやつはどこ行った? 見当たらないようだが」


 唯野の一言で、茉莉はようやく気がついた。一緒にいたはずのオベベの姿がない。少ししゃがれたおしゃべりなあの声も、まるっきり聞こえてこないのである。


「いない! さっきまで両手で抱っこしてたのに!」

「ちなみに、いつから抱いてなかったんだ?」

「えーっと、それは……」


 茉莉は必死に思い返してみたものの、どうにも記憶が曖昧になっていた。初めて見るあれこれに夢中になっていたので、オベベのほうにまったく意識が向いていなかったのだ。


「……すみません、思い出せません」

「まあ、いいさ。あいつのことだから、たぶん覚えているだろうしな」

「え、どういうことですか?」

「こっちの話だ、気にするな」


 言葉の意味が飲み込めず、混乱している茉莉をよそに、唯野は散らかった机の後片付けを始めていた。コーヒーカップを下げて、書類の類は棚にしまっていく。


「それより、そろそろ君は帰ってくれ。用のないやつを相手にするほど、探偵は暇じゃないんだ」

「たしかに、用はないです。けど――」


 さっきまでは興味津々で興奮していた茉莉であったが、一連の話を聞いているうちに、いつしか心の中にもや(、、)が広がっていた。困っている人が目の前にいて、自分はそれを傍から面白半分で見ていたことに罪悪感があったからだ。

 とはいえ、話を聞いていたからこそ理解はしている。起こった事件はとても奇怪なもので、部外者で、なおかつ一介の学生である自分に出来ることなんてないことを。

 だけど――だからこそ、茉莉は唯野に尋ねてみた。


「――あの、唯野さん。わたしも、この事務所で働かせてもらえませんか?」

「…………は?」


 突拍子もなく飛び出してきた問いかけに面食らっていた唯野であったが、それでも茉莉は話を続けた。


「もちろん、わたしに出来ることなんかないかもしれません。それはわかってますけど、困っている人を放っておけなくて……」


 茉莉は自分なりに、必死に話してみたものの、途中で言葉に詰まりかけたところで唯野に遮られてしまった。


「いいや、わかってない」

「え?」

「君はわかってないよ。事件に首を突っ込むことがどれだけ危険なのかってことも、今回の事件で、誰が、どういう理由で困っているのかもね」


 なんだか遠回しな言い方に、さらに質問をしようとした茉莉であったが、そこで再び誰かが扉を叩く音がした。


「もうそんな時間だったか――どうぞ、お入りください」


 唯野がそう言うと、やって来たばかりの誰かは中に入ってきた。

その人は、少しばかり小柄な、先ほどの依頼人と同じくらいの年齢の女性であった。


「すみません、先日ご依頼した件でお伺いしたんですが……」

「こちらこそ、散らかったままで申し訳ありません。そちらにお掛けになってお待ちください」


 唯野に促されるまま、女性はソファに座った。そばに立っていた茉莉と目があったものの、互いに軽く会釈する。


「あの、こちらの方は……?」

「ああ、お気になさらず。用件の済んだお客様ですので」


 女性に簡単に説明すると、唯野は茉莉のほうへ歩いてきて、小声で話しかけてきた。


「君の心意気は認めるが、ここは君のような普通の子が来るところじゃない。酷い言い方をするようだが、早く帰ってくれ」


 唯野からの言葉は、茉莉にとっては酷く傷つくものであったが、当然のものでもあった。彼女はあくまで部外者で、当事者でもない。誰かに助けを求める立場でもなければ、逆に助けを求められる立場でもないのだ。自分に出来ることなど、この場では何もない。

 そのことを改めて思い知った茉莉は、肩を落としつつも、荷物をまとめて事務所を後にしようとした。

 それと同時に、唯野と依頼人の女性のやり取りも始まっていた。


「――では猿川さん、改めまして、あなたのご主人についてですが……」


 その会話を耳にしながら、茉莉は机の上に置かれた書類へと目をやった。

 そこにクリップで挟まれていたのは、先ほどの依頼人の探し人と同じと思しき、いささか小太りな男性の写真であった。


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