第一話 さがしびと②
「いやあ、驚かせてすみませんねえ。お客さんがいらっしゃるってんなら、アタシも表に出てこなかったのに」
イタチのような何かは、ビニール張りの黒いソファに腰掛けながら、短い後ろ足をぶらぶらさせつつそう言った。その声は甲高いものの、少しばかりしゃがれている。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。アタシの名前は、シュワルツェネッガー。どうぞよろしく」
「しゅ、シュワルツェ……?」
どこかで聞いたことがある気がするけれど、とにかくこのイタチは、見た目とは違って屈強なお名前であるらしい。少しばかり動揺しつつも、茉莉も名乗ることにした。
「花咲茉莉です。こちらこそよろしくお願いします」
「茉莉ちゃん、ほら、お茶が冷めちゃうから。よかったら、お茶菓子も一緒にどうぞ」
「あ、ご丁寧に、どうも……?」
得体の知れない生き物だけれど、礼儀正しく、陽気な性格であるようだ。
一方、立ったままそばでそれを見ていた探偵の男は、顔をしかめたままだった。
「おい、部外者が勝手にもてなすな」
「いいじゃないの、見習いさん。もてなしの心に、そんなもんは関係ないでしょ?」
「居直るな。見習いって呼ぶな。あと、お前の名前は“オベベ”だろうが。自分の名前が変だからって、毎度偽名を名乗るなよ」
「あー、ヒトのコンプレックス感じてるとこを指摘したー。デリカシーのない男って、ホントやんなっちゃうわねー」
「うるさいぞ、おっさん妖怪。デリカシーがないのもお互い様だろう」
「あ、自覚あったんだね、見習いさん」
「だから、見習いって言うな」
ダウナーな調子で言い返す探偵の男に、ヘラヘラとした態度を崩さない妖怪のオベベ。タヌキならぬイタチに化かされている、ということなのだろうか。
「あと、お前には用があったからおびき出したんだ」
「おびき出すって、そんなアタシを悪人みたいに」
「これを見ても、そう言うつもりか?」
そう言いながら探偵の男が取り出したのは、人型ロボットのプラモデルだった。トリコロールの配色に、ほっそりとしたシルエットで、左手には大きな盾を持っている。茉莉もどこかで見覚えのあるものだ。
「ほう、見事な出来栄えですねえ。肉抜き穴とか埋めてらっしゃる?」
「すっとぼけるな。ほら、ここ。右の手首が無くなってるだろ」
「あれまー、ホントだ。この前まではあったのにねえ」
「お前が右腕ごと盗んだからな。ようやく取り返したと思ったら、今度はこれだ」
「いいじゃないの、片方の手首くらい。足りないところがあってこそ、輝いて見える芸術だってあるんですよ?」
「この盗人が……いけしゃあしゃあと……!」
「ところで見習いさん。いつになったら、茉莉ちゃんに諸々の説明をするんだい? 自分の名前すら、まだ教えてないんじゃないの?」
オベベに言われて、探偵の男はようやく気がついた。髪をくしゃくしゃとかいてから、茶菓子を頬張りつつ、呆然と口喧嘩を眺めるばかりだった茉莉のほうに向き直る。
「すまん、いろいろ立て込んでいた」
「まあ、さっきも言ってましたもんね」
「俺は――こういうもんだ」
探偵の男はオベベの横に腰を下ろすと、自分の名刺をローテーブルの上に置いた。
そこには、『シガナイ探偵社所属 探偵・唯野生太』と印字されていた。
「このヒトは、あくまでも探偵の見習いさん。ここの所長の志賀内さんは人気者だから大抵どっかへ出張してて、その留守を預かってるのがこの見習いさんってわけ」
「へー……」
「だから、俺を見習い呼ばわりすんな」
「だって、間違いじゃないでしょ? 五年経っても、所長さんから認めて貰ってないんだし」
オベベの言葉に、唯野は歯嚙みするばかりだった。返す言葉もない、ということらしい。
「あの……ところで、オベベさんは……?」
「え、アタシがどうかしたかい?」
「どうもこうも、この子から見たら、お前はよく喋るイタチだろうが」
「あながち間違ってないし、それでいいんじゃない?」
そんな様子のオベベに、唯野は思わずため息をついた。あまりにも大雑把でいい加減なので、もはや呆れを通り越しているのかもしれない。
「わかった、俺から説明する。こいつは、『イトワケモノナクシ』という妖怪だ」
「イトワケ……? えーっと……」
「イトワケモノナクシ。昔から人の家に忍び込んでは、服とか布とか糸なんかをよく盗んでいくからそう名付けられた。甘い物が好物で、それを餌にすればおびき寄せられる」
「じゃあ、そこに置いてあるのは……」
茉莉が指さした先にあったのは、小皿に盛られた黒い角砂糖だった。四つほど置かれていて、上からはコーヒーフレッシュと思しきものがかけられている。
「まさしく、餌だったものだな。これを桶の中に置いたら、見事にこいつが食いついたわけだ」
「まあ、興味を持ったら他の物も盗むんだけどねー。あのプラモデルの部品とか」
「おい、開き直るな。やっぱりお前が犯人じゃないか」
「あらま、アタシとしたことが、つい口が滑って。ほほほ」
笑って流そうとするオベベを、唯野は鋭い目で睨んだ。もともと険のある顔に、いまは殺気すら宿っているようにも見える。
それに、茉莉には腑に落ちないところがあった。
「でも、どうして探偵の唯野さんが、妖怪のことに詳しいんですか? 探偵って、人探しとか、浮気調査とか、事件を推理する仕事ってイメージなんですけど……」
レッテル貼りをしているかもしれないが、茉莉がいままでニュースやドラマなんかで得てきた情報からは、どうにも両者の接点が見えてこなかったのだった。
「もしかして、お二人は昔から付き合いのあるお友達、とか?」
「いやいや、茉莉ちゃん。見習いさんとアタシは、友達なんかより、もっと深ーい関係さ」
「深ーい関係……?」
「妙なこと言うな。俺とこいつは単なる腐れ縁。あるいは、不快な関係だ」
「おっ、見習いさん。上手いこと言ったつもりかい? 座布団とかいる?」
「いらん。あと、ややこしいから少し黙ってろ」
「そんなー。アタシだって、もっとみんなとおしゃべりしたいのにー」
ぶーぶーと文句を垂れるオベベを尻目に、唯野は茉莉のほうへ向き直った。
「――まあ、君の言わんとすることはわからなくもない。そもそも、妖怪なんてものが存在していたこと自体が常識外れだからな。だが、この探偵事務所には、自然とそういったことに縁のある依頼が舞い込んでくる」
「自然と、ですか?」
「ああ。どういうわけだか知らんがな。むしろ、俺が教えて欲しいくらい――」
唯野がそこまで言いかけたところで、扉を叩く音が聞こえてきた。話をしていて気がつかなかったが、誰かが階段を登ってきていたらしい。
「すいません、入ってもよろしいでしょうか?」
丁寧な物腰の男性の声。何らかの来客か、はたまた依頼者だろうか?
唯野は部屋を見渡してから、茉莉に小声で言った。
「――すまんが、こいつを連れて奥に隠れててくれ」
「オベベさんをですか?」
「こいつの存在を明け透けにするわけにはいかない。妖怪・怪異の類が実在することが世間に知れたら、それこそ大騒ぎだからな」
「つまり――アタシは一躍有名人。『スターダムをのし上がる』って、なかなか素敵な言葉の響き……」
「やかましいぞ実験動物。解剖されたくなかったら、さっさと向こうに引っ込んでろ」
呆けたことを言うオベベを冷たくあしらいつつ、唯野は茉莉を奥の部屋へ案内した。扉はなく、小高いパーティションで囲まれた、流し台やベッドなどが置かれた生活スペースだ。
「いいか? 多少の物音くらいならいいが、絶対に声は立てるなよ?」
それだけ言い残すと、唯野は足早に去っていった。その背中を、茉莉はオベベを両手で抱えながら見送る。
――でも、いったいどんな人が来たんだろう?
好奇心には敵わず、茉莉は床にかがみながら、こっそりと隣室の様子を伺った。
「お待たせしましてすみません。どうぞ」
やがてアルミの扉が開いて、唯野に促されながら一人の男性が入ってきた。曇りガラスの枠越しでは見えなかった姿が明らかになる。
「どうも。今日は、その――困ったお願いがありまして……」
整然とした様子でそう言ったのは、眼鏡をかけた細身の中年男性だった。