第一話 さがしびと①
寺社仏閣を数多く有する地方都市――「詩留部市」。自然と都会が程よく融和した内陸に位置するこの場所は、観光都市を名乗るだけあって寺社仏閣や歴史的建造物が多く残っており、それを目当てに全国各地から人々が行楽、旅行にたびたび訪れる。
その中でも最も賑わう四月の初旬、市内にある某高校では入学式が行われていた。天気は快晴。風は穏やかで、桜並木には満開の花々。催事ごとにはもってこいの、文字どおりの「ハレの日」だ。
だがしかし、そんなめでたい空気とは正反対な心情の新入生が一人いた。
「ちょっと、茉莉。いい加減に顔上げなさいよ」
放課後の教室で小学校から付き合いのある友人に身体を揺すられても、花咲茉莉は机にうなだれたままだった。ほどかれた長い髪が淵から垂れ下がっていて、背中から醸し出される負のオーラも相まって、さながら往年のホラー映画を彷彿とさせる有様だ。
「美那子にはわからないよ。いまのわたしの心の苦しみは……」
「飼ってる猫が脱走しただけでしょ? たしか、名前はチェルシー、だっけ?」
「デンプシー」
「そう、それ。ていうか、ここで言うのもなんだけど、もっと可愛いらしい名前はなかったの?」
「強く、たくましく、無限に近しいときを生きるように、って願いを込めたらそうなったの」
「……なんかいろいろ事情があんのね」
とりあえず、この子は独特な感性をお持ちであるらしいが、問題はそこではないので、深見美那子はそれ以上の深堀はしないでおくことにした。
「とにかく、猫なんか出ていってもすぐ帰ってくるよ。うちも猫飼ってるけど、次の日くらいにはお腹空かせて戻ってくるもん」
「でも、デンプシーは女の子だよ? まだ一歳になったばっかりの、虫も殺せぬか弱い乙女だよ?」
「強さとたくましさは?」
「そんなの、うちの可愛いデンプシーにはないよ!」
「えー……」
伏せていた顔を勢い良く上げて開き直った茉莉に、美那子は呆れるばかりしかなかった。「名は体を現す」という言葉の、なんと虚しいことなのか。
「もしかしたら、鳥に襲われてるかもしれない。あるいは、車に轢かれたり、誰かに餌付けされたりしてるかも……」
「悪いほうに考えすぎでしょ」
「甘いよ美那子! 現代社会はサバンナなんだよ?」
「なんか使い方違うって、それ」
茉莉は顔を真っ赤にして、目を潤ませているものの、それを励ましていた美那子はだんだんと馬鹿らしくなってきていた。この子とは長い付き合いではあるけれど、パニックに陥ったら歯止めが利かないのが玉に瑕だと思っている。
「とにかく、私も探すの手伝うから、落ち着きな」
「わたしたちだけじゃ力不足だよ。相手は、あのデンプシーなんだから」
「……お宅のにゃんこは何様なの? じゃあ、いったいどうすんのさ」
「ここは、プロに頼もうと思う。探し物のプロ!」
「探し物のプロ?」
「ほら、これ! 今朝、学校来るときに見つけたの」
そう言いながら茉莉は、いささか興奮気味にスマホの画像を開いてみせた。美那子が脇からそれを覗き込むと、どうやらそれは電柱の貼り紙のようだった。
すっかり汚れた見出しの部分には、業者の名前と、短いキャッチコピーが記されていた。
「シガナイ探偵社、あなたのお悩み解決します……?」
「依頼料は三百円からだって! これは頼むほかないよ!」
「あくまで最低金額でしょ? 頼んだら後でぼったくられるやつだよ」
「でも、『見積もり無料』ってなってるし、相談するだけしてみても……」
「無言で圧かけてきたり、事務所の裏から強面のおじさんとか出てくるパターンだって。とにかく、そんな怪しいとこはやめときな。わかった?」
宥めるようにそう言った美那子に、茉莉は返す言葉がなかった。自分より大人びている美那子は、茉莉の口で説得することは難題なのである。
「じゃあ、これから探しに――あ」
「どうしたの、美那子?」
「ごめん。今日は母さんが仕事だから、弟迎えに行かないといけないんだった」
美那子の家は、父さん、母さん、美那子と年の離れた弟の四人家族。両親が共働きなので、まだオムツが取れたばかりの弟の面倒を見るのはよくあることだった。
「悪いけど、一緒に探すのはまた今度でいい?」
「うん。こっちのことは気にしないで。デンプシーが相手なら、わたし一人でも楽勝だし!」
「さっきと言ってること、変わってるけど?」
まあいいか、と言いつつ、美那子はスクールバッグを肩にかけた。
「じゃあ、猫探し、応援してるからさ。あと――くれぐれも、探偵なんかのお世話にはならないでね?」
「わかってるって。そっちこそ、弟くんによろしくねー」
そうして、茉莉に軽く手を振ってから、美那子は先に帰っていった。その背中を、茉莉は教室の出入り口から見送る。
「…………よし」
そんな彼女は、心の中で何かを決意していたようだった。
〇 〇 〇
「えーっと、地図ではこのへんに…………あった!」
ほどいていた髪を一つ結びにし直して、スマホの地図アプリを頼りにしながら、茉莉は通学に利用する駅を越えて、学校とは反対の方向へ少し歩いていた。新しい教科書の入ったリュックが重たいけれども、そのまま街並みを進んでいく。
そうしてくたびれたアーケードをくぐって、シャッターを横目に進んでいって、目的地と思しき雑居ビルに辿り着いたのだった。
ビルの大きさは三回建て。階段の壁際にあるテナント一覧を下から眺めて、目当ての名前を探し出す。
「一階は不動産屋で、『しがない探偵社』は……二階だから、これを登るのかな?」
茉莉は吹き抜けになった狭いエントランスから、階段の先に目をやった。まだ正午だからか、灯りは点いていなくて薄暗い。壁は打ちっ放しのコンクリートなので、どこか冷ややかに感じる。登るには少し勇気がいりそうだ。
だけど、くよくよしている場合じゃない。一刻も早く飼い猫を見つけ出すためにも、ここはプロの力を借りなければ。
意を決して、茉莉が階段へ一歩踏み出すと、「ピロン」という音が鳴った。スマートフォンの着信音。ロックを解除してみると、むっつりとした顔の猫の写真とともに父から一件のメッセージが届いていた。
『デンプシー、帰ってきました。餌に釣られて戻ってきたみたい』
そういえば、庭に餌入れを置きっぱなしにしてたっけ。今日は仕事が休みだった父さんが、しっかりと見張ってくれていたのだろう。飼い猫の無事を知った茉莉は、ようやく安堵したのだった。
だがしかし、それと同時に頭上から物音が聞こえてきた。
それに、何か視線を感じる。茉莉はスマホを手にしたまま、ゆっくりと視線を上げてみた。
そこにいたのは、カッターシャツ姿の男性。シャツもスラックスもよれていて、口周りに無精ひげを生やしているけれど、おそらく年齢は二十代そこそこと思われる。
その人は、どういうわけだか知らないが、階段の壁にぴったりと背をつけていた。目の前に二階の扉があるのに、いっこうに入ろうとしない。
あまり話しかけたくないけれど、目が合っては仕方がないので声をかけてみる。
「あの……どうかしたんですか?」
茉莉からの問いかけに、男は口先に指を立てた。静かにしろ、ということらしい。
「いまは立て込んでるんだ。用があるなら後にしてくれ」
「もしかして、ここの探偵さんですか? だったら、どうして中に入らないんですか?」
「頼むから声を立てないでくれ。俺は、いま張り込みの最中で――」
男がそこまで言いかけたところで、コトン、と小さな物音がした。何かが倒れたか、落ちたかのような音。どうやら二階のどこかが音源らしい。
「――よし、かかった」
待ってましたと言わんばかりに、男はアルミのドアノブをひねり、扉の中へ入っていった。
だがしかし、その直後に再び扉から顔を覗かせて、茉莉に言った。
「依頼内容は後で聞くから、ちょっとそこで待っててくれ。野暮用が済んだら応対する」
「あ、いえ。わたし、特に用事はないというか、なくなった、というか……」
「だったら帰ってくれ。さっきも言ったとおり、こっちは取り込み中なんだ」
「じゃあな」とだけ言い残して、男はまた扉の中に引っ込んでいった。茉莉も一応は来客であったはずなのに、ずいぶんとあんまりな対応である。
「……なんか、愛想のない人だったな」
引っかかるところがありながらも、茉莉はそのまま回れ右して、雑居ビルを後にしようとした。
――のだが、思わず途中で足を止めた。階段の上がずいぶんと騒がしい。ドッタンバッタン、ガタガタと、大きな物音が立て続けに聞こえてくる。コンクリートの壁に反響して、まつりの耳にもはっきり届く。
すると、今度はあの男の声が聞こえてきた。
「こら、おとなしくしろ。暴れるな!」
何があったか知らないが、物騒なことが起こっているらしい。「暴れる」なんて言葉が出てきているということは、物騒なことなのかもしれない。
だったら、こうしてはいられない。降って湧いてきた正義感に急かされた茉莉は、階段を段飛ばしで駆け上がった。
そうして勢い任せに、曇りガラスがはめ込まれた扉を開いた。
「ちょっと! 何してるんですかぁっ!!」
暴力沙汰か、大喧嘩か、はたまた口外出来ない犯罪行為か?
そんなことを想定していた茉莉であったが、彼女を待ち受けていたのは、思っていたのとは違う光景だった。さっき出会ったあの男が、床の上に落ちた大きめの寿司桶を腕ずくで押さえつけていたのだ。
「――何してるんですか?」
「そっちこそなんだ。用がないなら帰れと言っただろう」
「いや、帰ろうとしたら、大きい声がしたので……」
「ちょっと、ネズミを捕まえてただけだ。気にするな」
男は事もなげにそう言うものの、やはり様子がおかしかった。幅五十センチはあろう裏返った寿司桶は、大の大人に押さえられているはずなのに、時たまガタガタと動いている。この中に捕らえられているのは、明らかに他の何かなのだ。
「それ、ネズミじゃないですよね?」
「ちょっと大きめのネズミ……いや、イタチだ」
「イタチって、こんなに暴れるんですか?」
「そうだ。最近の害獣被害は、留まるところを知らな――」
精一杯に押さえつけていた男であったが、寿司桶が一瞬浮き上がった隙をついて、中に閉じ込められていた何かが飛び出してきた。
それは、身体が細長くて、全身が薄茶色の毛に覆われていて――。
「ふう、ようやく出られた。勝手にアタシを害獣扱いするなんて、見習いさんも本当に人が悪いんだから…………あ」
寿司桶から出てきたそれは、ぺらぺらとおしゃべりしている途中で、茉莉とぴったり目が合った。
「へへ……こりゃあ、どうも?」
ばつが悪そうに歯を見せながら笑ったそれは、驚きのあまり硬直している茉莉に向かって会釈をした。
その何かの姿は、ハンチング帽と眼鏡とネクタイで着飾っている、イタチのようだった。