幕間? ~エピローグの一端、プロローグの発端~
「お帰り、見習いさん。早かったね」
正午過ぎに猿川邦彦の葬儀が終わった後、唯野生太は事務所に戻ってきていた。今回も彼を出迎えたのは、応接用のソファの上座にふんぞり返ったオベベである。
「ちゃんとお見送りはしてきたのかい?」
「してきたさ。まあ、半日足らずしか顔を会わしてない俺が、あの場にいてよかったのかはわからないけどな」
「まあいいじゃないか。人の出会いは一期一会。友人、知り合い、顔見知り。形はいろいろあるけれど、気持ちがあればそれでいい」
「……妖怪にそれを言われたら、こっちも立つ瀬がねえな。というか、だったらお前も来ればよかったじゃないか。普通の人には見えないんだし」
「そうは言っても、運悪く誰かと目が合ったりしたらおしまいだしねえ。人様のお葬式でそんなことがあったら、文字どおり『目も当てられない』ってやつだよ」
妖怪変化や悪霊の類は、普段は人目につかないように姿を消しているものの、それも万全ではない。相手が自分のことを探していて、その状態で互いの目があった場合、隠していたその姿も露わになってしまうのだ。
もっとも、その仕掛けを利用して悪さをする輩もいたからこそ、現代においても怪談として語り継がれているものがいるかもしれない。
閑話休題。オベベの殊勝な心構えに感心しながらも、唯野はある疑問を尋ねた。先日起こったあの事件以来、ずっと気になっていたことである。
「ところで、この間に出たあの妖怪、お前は見覚えあったか?」
「ああ、例のでっかいハエだね。覚えがあると言えば、あるんだけど……」
オベベは眉をひそめながら、どこか歯切れの悪い返答をする。
「これといって思い当たるのがいないんだよ。一番近しいのは“大名ショウジョウ”。山に落ちてるゴミや廃材を集めて、自分のために大きな巣を作る。やたらとゴミに執着する虫みたいなやつって特徴は、おおよそ当てはまっているのさ」
「おおよそ? じゃあ、違うところがあるのか?」
「あるとも。それも、たくさん」
話が見えてこない唯野に、オベベは説明を続ける。
「大名ショウジョウは臆病なやつさ。本来だったら山奥でひっそりと暮らしているし、絶対に人を襲ったりしない。自分の住処をこさえることだけが、やつのアイデンティティだからねえ」
「でも、あいつは襲ってきた。住処を荒らされたからか?」
「その可能性も捨てきれないけど、そもそも違う点も多いんだよ。アタシが見たことのあるやつは、あんなおっかなびっくりな見た目じゃなかった。だって、ただのでっかいショウジョウバエだったし」
「それはそれで恐ろしいけどな……」
「何より――人に取り憑いたりする力は持ってなかった」
「じゃあ、いったいあれは何なんだよ?」
「アタシに訊かないでおくれよ。でもまあ、可能性があるとすれば……」
しばし考え込んでから、オベベは口を開いた。
「あの、黒いドロドロの仕業かもね。あれが良くないことを起こしてる」
「黒いドロドロ、ね……」
唯野は数日前に戦った怪物のことを、もう一度思い返してみた。ボロボロのうちわみたいな二枚の羽に、錆びたドラム缶で形作られたの胴体と、鋭く尖った牙の生えた頭。危うく殺されかけた相手なので、あまり思い出したくない。
だけど――あの化け物は、どす黒い液体が早田に取り憑くことで現れた。早田は普通の人間に違いないし、やはり原因と呼べるのはあの得体の知れないドロドロなのだ。
それから、あのどす黒い液体は、消える間際に言い残したことがあった。
――ああ恨めしい……。恨め――――。
禍々しさをまとった、恨みつらみの寄せ集めとも思える、謎の液体。
あれは、自然に発生したものなのか?
それとも……誰かが人為的に作ったのか?
「とりあえず調べてみるしかないか。夕方に聞こえた妙な鳴き声と、街を覆った霧のことも含めてな」
「というか見習いさん、あんたは自分のことを調べたほうがいいんじゃないかい? ほら、例の骸骨さんとかさ」
オベベが言っているのは、唯野が九死に一生を得た際に現れたもの――自らを「カバネモジン」と名乗った骸骨の幽霊である。
とはいえ、それを耳にしたのは唯野のみ。素性は依然として不明のままで、これまで姿を見せなかったものがいまになって現れた理由もわからない。何か限定的な条件下でのみ実体化するということなのだろうか?
しかし、明らかになっていることは一つある。
「そっちは気長に確かめていくさ。少なくとも、悪いやつではなさそうだし」
「本当にそうなのかい? ずいぶんと人相の悪い御仁だったけど」
「まあ、たしかにそうだが……」
唯野自身も、一切の疑念を抱いていないのかと問われれば、自信をもって答えることは出来そうになかった。頭からは角を生やし、巨大な刃物を携えた骸骨。あの物々しい存在が次も助けてくれるのか、唯野に助けてくれるのかもわからない。
「……とりあえず、考えてみるよ」
もし――あれがこれまで自分の命を救ってくれていたならば。あるいは、自分のことを否が応でも生かしてきた存在であるならば。
唯野はいま一度、それと向き合ってみることにした。また対面する機会があるのか、そもそも言葉が通じる相手であるのかもしれないけれども。
そうして、唯野とオベベがあれやこれやと話し合いをしていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。はめ込まれた曇りガラス越しに人影も見えている。
かと思ったら、その誰かは答えを待たずしてドアを開いたのだった。
「…………どうも」
ドアの隙間から顔を覗かせたのは、花咲茉莉だった。葬儀の後も家に帰っていないのか、高校の制服を着たままである。
「あれま、茉莉ちゃん。数日ぶり」
「オベベさん、この前はありがとうございました。その、猿川さんのときのこと……」
「いやいや、あれはアタシが出来ることをしただけさ。お役に立てたなら、なによりさね」
茉莉が言っているのは、猿川邦彦の最後の頼み事を叶えたときのこと。せめて自分が帰ってきたことを一刻も早く知らせるため、自分の所持品や息子へのプレゼントを届けて欲しいという望みを遂げた際のことだった。
猿川邦彦は、もう身体を動かせる状態ではなかった。かといって、茉莉がそのまま家に入って渡しにいけば、余計な混乱と騒ぎを引き起こしかねない。
そこで名乗りを上げたのが、オベベだった。自分ならば、入口さえ確保出来たらこっそりと事を済ませられる。茉莉と猿川邦彦に、自分からそう言ったのである。
そうして猿川家宅の鍵を受け取ってから実行に移し、想定していたよりも良い形で完遂することが出来たのだった。
もっとも、本人同士での再会が叶ったならば、それが最善に違いないのだけれども。
「それで、君はいったい何しに来たんだ? うちにはもう用はないだろ?」
これ以上の深入りをさせないため、威圧的な口調で追い返すような言い方をした唯野であったが、それにも臆することなく、茉莉はある物を唯野へ手渡した。
「……なんだ、これは」
それは、真っ白い封筒だった。封を切ってみると、中には折りたたまれたA4サイズの書類が一枚入っていている。
唯野が嫌な予感がしながらも開いてみると、それは案の定、履歴書であった。証明写真が貼られていて、志望動機もきっちり書かれている。
「御社を志望した理由は……」
「待て待て待て。問答無用で面接をしようとするな。しかもアポ無しで」
「だって、お願いしたら絶対に断るでしょ?」
「そりゃそうだ。だって、雇う気がないんだからな」
適当な理由をつけて返そうとした唯野であったが、ここで茉莉に確かめておかなければならないことがあったのを思い出した。
「ところで、一つ確認なんだが――俺がコートに仕舞ってたものが、いつの間にかなくなってたんだ。お経の書かれた短冊形の御札の束なんだが、知らないか?」
「ああ、それなら全部使いました」
「…………全部?」
「はい。でも、あのでっかいハエはちょっと怯んだだけで、あんまり効果がなかったみたいで――」
茉莉が事情を説明する最中でも、唯野の意識は明後日の方向へと飛んでいて、一部分を除いて頭に残ってはいなかった。
「全部使ったって、あれはここの所長から預かった物なんだぞ? 由緒あるもんだから、一枚数万円も下らない代物なんだぞ? それを全部か?」
「だ、だって……そうしなかったら、唯野さんが危なかったし……」
ごもっともな言葉に、唯野は何も言い返せなかった。たしかに、茉莉があの場でああしていなければ、依頼をこなすことが出来ず、いまのようにこうして話をすることも叶わなかったかもしれない。
ある意味では、命の恩人。しかし別の視点では、経理の大敵。
ここは扱いを慎重にしなければいけないところだが……。
「――わかった。当事務所は、君を採用する。所長にも俺から話をつけてやる」
「え? 本当ですか!」
「ただし、二ヶ月間は給料ゼロだ」
「…………給料ゼロぉ⁉」
色よい返事から一転したブラックな発言に、茉莉は食って掛かった。
「ちょっと! いくらなんでもそれはあんまりでしょう?」
「しょうがないだろう。思わぬ出費で会計が回らなくなったんだ」
「命の恩人にそれはないでしょ?」
「恩着せがましい恩人だな……。返す言葉もないが、嫌なんだったら余所に行ってくれ」
「わかりました。では、これから労働基準監督署へ行ってきます」
「いいさ、勝手に行ってこい。今日は日曜で窓口は休みだ」
「じゃあ明日に行きます。あと、さっきの言葉、録音してありますので。次は法廷でお会いしましょう」
「――待て。少し話し合おう。あることないこと騒がれるのも、お客さんからのイメージがだな……。オベベ、お前からもなんか言ってくれ」
その場に居合わせた知り合いに助けを求めたものの、オベベからの返事はなかった。
「……オベベ?」
気になった唯野が、パーテーションで囲まれた裏のスペースへ確認しに行ったところ、そこにあるテーブルに残されていたのは一枚の置手紙だった。
『お給料、現物支給で頂きました。よしなに。 愉快なオベベさんより』
この短いメッセージを見た唯野は、虫の知らせに従って、戸棚の上へ視線を向けた。
そこに置かれた台座には、本来ならばあるはずのロボットの模型の姿はなく、その代わりに手の
甲のパーツのみがうやうやしく飾られていた。
「またやりやがったな……あの野郎!」
きな臭い話と湿っぽい話が続いた後で、立て続けでやってきたのは与太話。
探偵の唯野生太と高校生の花咲茉莉は、それからしばらくの間、お互いに声を荒げながら不毛な応酬を繰り広げたそうな。
その後、彼女が雇われたかどうか――それはわからない話である。
◇◇◇◇◇
一方、所変わって裏側の、誰からも目につかない場所では、何かを企む者の姿があった。
「おやおやー? 妙な力をお持ちの方がいらっしゃいますねえ」
光すら届かぬその暗闇の中で、一人の男が古めかしいブラウン管のモニターに釘付けになっていた。画面からのわずかな発光が、その白塗りにされた顔を不気味に照らし出す。
その画面に映っているのは――カバネモジンの力でハエの化け物と戦う唯野の姿であった。
「この物々しい見た目の力を持つ男は、まさかの同士か? それとも敵対者か? いやはや、面白くなって参りましたねえ」
真っ赤な着物の腰に巻かれているのは、濃紺の帯。この男からは、いかにも不審で、胡散臭く、怪しい悪人といった雰囲気が醸し出されている。
「先が読めないところですが、今回はここでおしまいと致しましょう。それでは皆さん、さようなら、さようなら、さようなら!」
芝居がかった口調で、怪しい男は誰にともなく語りかける。真っ暗闇に声を上げる。誰からも言葉は返ってこない。
しかし――そこには一つだけ、佇んでいるものがあった。
「では……機会があれば、またお会いしましょうか、カモシカ様」
怪しい男のその言葉に、高層ビルもかくやといった背丈と禍々しい気配を持つ、頭に巨大な鹿の角を生やした青い鳥は、くちばしを開くと鼓膜を切り裂くような甲高い雄叫びを轟かせたのだった。
先の見えない、真っ暗闇でのことであった。
夕方です。出来立てです。ギリギリセーフの納品です。
後先を考えずに毎日投稿などという大義を掲げたのは良かったものの、早々にストックを使い果たし、半分以降は自転車操業の追いかけっこで書いて参りました。
そんでもって、「第一話」を銘打っておきながら、本作はここでひと区切りです。
勝手ながら、続きは気が向いたらということになります。読んで下さった方々いらっしゃったのならば、誠に申し訳ございません。
また、次回は別の作品を投稿予定ですが、そちらはまた別のジャンルとなります。
コメディー調になると思われますが、これまた先行き不透明です。
最後に、もしも最初から最後までお読みになって下さった方々へ。
ありがとうございました。
2023年5月21日 18時ごろ 青草瓜生