第一話 さがしびと⑫
「やーっと起きたか、こいつ」
唯野生太が目を覚ますと、そこは病室のようだった。この染みの残った白い天井は、おそらく市民病院の一室。何度もお世話になっているので、どこか見慣れた光景だ。
「もうとっくに日が暮れてるぜ。おかげでこっちは残業コースだ」
さっきから嫌味混じりの言葉を投げてきているのは、詩留部市警の近藤刑事。唯野がよく懇意にしている人物で、御年三十歳。その言動に違わないひねくれた性根が顔立ちにまで現れていることが特徴である。
「すいませんね、いろいろお手間を取らせまして」
「手間どころの話じゃないよ。朝っぱらから電話をしてきたかと思ったら、呼びかけても返事しないわ、GPSを頼りに出向いたらぶっ倒れてるわ、血まみれのナイフやらが落っこちてるわで、こちとら気が休まらんことばっかりだ」
「もしかして、心配してくれてたんですか?」
「するもんかよ、そんなもん」
ケッ、と悪態をつきながら、近藤刑事はそっぽを向いた。このとおり、いろいろな意味でひねくれた御仁である。
「ところで、早田のやつはどうなりましたか?」
唯野からの質問で、近藤刑事は真剣な面持ちに切り替わった。
「自供しやがったよ。元から嫉妬心を抱いてたやつに、顧客情報の横流しを知られたことでタガが外れたんだとさ。人殺しってのは、身勝手なやつばっかりだな」
「嫉妬心?」
「同期だったやつが、自分よりも先に結婚して、家族と一緒に幸せに暮らしている。だけど自分は、仕事に追われて一人暮らし。始めこそ顧客のためだった笑顔の接客は、次第に出世のための道具となり、挙句の果てに金銭欲に取り憑かれたらしい」
それが殺害の動機であり、あのどす黒い何かの根源だったのかもしれない。
だけど――それ以上に禍々しさを感じたのは、気のせいだったのだろうか?
気になる点はありつつも、唯野は話を続けた。
「猿川邦彦さんは?」
「明朝、自宅前に倒れていたのが見つかった。奥さんが第一発見者だとさ。死亡確認されたはずなのに、数日経って家まで帰ってきたってんだから、ホント、不思議な話だ」
その話を聞いて、唯野は少しほっとした。これから猿川邦彦の足取りが調べられるだろうが、おそらく詳細が明かされることはないと思われる。
「あと、お前が昨日メールで寄こしたとおり、凶器はあの記念品だった。お前や早田と一緒に道端に転がってたが、僅かだが猿川邦彦の血痕が付着していたことと、回収された遺体の後頭部にあった傷と一致したことが決め手になった」
「家宅捜索はどうでしたか?」
「そっちも黒だ。寝室に巻かれたまま置いてあったカーペットには血痕。タンスの角からは、拭き取られていたがルミノール反応が検出されてる。というか、どうしてそこまで正確にわかったんだ? まさか、不法侵入か?」
「してませんよ。それに、調査方法は企業機密です」
「またいけしゃあしゃあと……。俺のときといい、何をどうしてやがるんだか」
唯野が近藤刑事と懇意になったのには、表沙汰に出来ない事情があった。
数年前、金に目がくらんだ近藤刑事が半グレ団体に捜査情報を売り飛ばそうとしたところ、それをどこからか唯野が聞きつけてきたことが事の始まりだった。
もちろん、これは唯野が正当な手段で突き止めたわけではない。別の依頼をこなしていたときに、オベベがたまたま得てきた情報である。
以来、唯野が情報横流しの件を黙っておく代わりに、必要とあれば助力をするという“協定”が結ばれている。
今回の事件についても、蘇った猿川邦彦が病院から抜け出した際の映像や、早田が有力な容疑者として挙げられているという情報を提供してもらっている。形は違えど、これも立派な機密漏えいなのだが、近藤刑事には断る権限がないという有様である。
「いいじゃないですか。おかげで検挙率が上がったでしょ?」
「俺の手柄になることは少ないし、本部のお偉いさんに睨まれることも増えたがな。違法捜査してんじゃねえか、ってさ」
「俺は、法に触れてないからセーフですね」
「……お前、それ嫌味で言ってんのか?」
「いやいや。それに、悪人が増えるよりずっといいでしょう?」
「――警察組織の人間じゃない癖に、勝手なこと言ってんじゃねえ」
一応の利害は一致しているものの、けして信頼し合っているとはいえない間柄。
どこか腹の探り合いをしている彼らが、このまま真っ当な交友関係を築くことはあるのかどうか、それはわからぬ話である。
「で、怪我の具合はどうなんだ? 傷は浅かったらしいが、えらく出血したんだろう?」
近藤刑事からの問いかけに、唯野は笑って答えた。
「大丈夫ですよ。このくらいじゃ、死ねません」
その笑顔は、どこか影を帯びているようだった。
〇〇〇〇〇
遺体発見から数日後、猿川邦彦の葬儀はしめやかに執り行われた。参加者は親族とごく一部の知人のみに限りとなったが、事件に深く関わった唯野と茉莉も共に招かれることとなった。
唯野については退院後も尾を引くような怪我もなかったため、スーツを着込んで出席した。茉莉は日曜日で学校も休みだが、服装は制服で来ている。
小さな会場で焼香を済ませて、参拝者全員が隣室へと移ったところで、二人はその家族と話す機会があった。息子である猿川輪太郎と、今回の葬儀の喪主であり依頼人でもあったその母である。
「先日は、本当にどうもありがとうございました」
座布団と座卓が並ぶ和室の片隅にいた唯野に、輪太郎の母は深々と頭を下げたのだった。一方の唯野も、謙遜しながらそれに応じる。
「こちらは依頼を全うしたまでです。むしろ、ご希望に沿った結果に出来ず、申し訳ございません」
「いいえ。主人が家に帰ってきただけで充分です。こうして送り出してあげられたことも、まるで夢のようだと思っています」
そう答えた輪太郎の母は、どこか遠い目で猿川邦彦の遺影を見つめていた。黒縁の写真立ての中には、在りし日の血色のいい笑顔が飾られている。
「ところで、探偵さんにお伺いしたいんですが――夫は、生きていたんでしょうか?」
「と、いいますと?」
「警察の方は、間違いなく死亡していた、とおっしゃっていました。でも、その後に起き上がったかと思ったら、数日後にうちへ帰ってきました。自分の目で確かめることは出来ませんでしたが、それを実際に見た探偵さんから、お話を聞けたらと思って」
この質問に唯野生太は、迷いながらも答えた。
「自分は、たしかに邦彦さんと話をしました。あちらで輪太郎くんと遊んでいる、花咲茉莉という子もそうです」
妖怪だの起き上がりだのといったことは伏せつつ、唯野は話を続ける。
「邦彦さんは、息子さんに渡したい物がある、と言っていました。あと、家族に会いたい、と。その二つの強い想いが、死の淵に立っていたあの人を動かしたんだと思います」
「そう、だったんですね……」
「だからこそ、自分は断言します。猿川邦彦さんは、間違いなく生きていました。誰かのことを思いやりながら、最後の瞬間まで諦めず、生き抜いていたんです」
出会った時間は多くはないけれど、唯野は確かに彼の生き方を垣間見た。
話を聞いていた輪太郎の母の目からは、いつしか涙が溢れ出していた。
「あの人が……生きてくれていて、よかった……!」
唯野は、すすり泣く彼女のことを見るまいと、少し離れた席にいる茉莉と輪太郎のほうへと視線を移した。
「輪太郎、それって……」
「うん! おとうさんから貰ったミニカー!」
真っ赤な車の模型を座卓の上で走らせていた輪太郎は、上機嫌で茉莉に答えた。
「ぼく、将来はおとうさんみたいな車屋さんになる!」
父親から受け取った、形あるものと形ないもの。
その二つは、たしかに彼の一人息子と、愛した人へ届いているようだった。
死人はけして生きられない。生きてこの世にいられない。
しかし――たとえそんな悲しき性であっても、残したものがあったなら。遺せたものがあったならば。
生きることが叶わなかった彼らも、いまも生き続けているのかもしれない。
きっと、どこかで。