Episode 5
シャーロットは大混乱の中にいた。
始業式に遅刻してユリウスにぶつかってしまい、婚約者であるカティアローザに叱責される……。これは小説の中で説明されていた、乙女ゲームの方のシチュエーションだ。
「でも、名前はカティアローザ様に聞かれた……。」
あくまで小説の中の乙女ゲームなので細かい設定まではわからないが、攻略対象に名前を聞かれ答えると、その人物のルートに進むと書いてあった。
逆ハーレムエンドを目論むシャーロットは、自分から名前を名乗り、そのルートへ進もうとするのだ。
「え?これもしかして、実際には存在しない乙女ゲームの世界なの?そんなの、どうしたら……。」
シャーロットは前世の記憶に目覚めてから入学までに準備してきたことが、なんの役にも立たないこの状況にズキズキと頭が痛くなる。
──落ち着こう。もしかして前世の記憶に引っ張られすぎ?
「……こんなことしてたら、シャーロットの人生生きてることにならないよね……?」
一度死を経験した美琴の感覚が、今自分の体があり、ちゃんと呼吸して動かせることにどれだけ価値があるのかを教えてくる。
──よし、一旦リセットだ!私はキャラクターじゃない。シャーロット・ブライアなんだから!
靄が晴れた軽い心で立ち上がり、決意を込めてグッと手を握ったシャーロット。
「イタッ、そうだ擦りむいたんだっけ……。」
手を見つめ小さく呟いた彼女の周りが、突然太陽の光からすっぽりと隠された。それが逞しい体躯の男性に心配そうにのぞき込まれたせいだと気づき、シャーロットは思わず後ずさる。
「な、何でしょうか……?」
「やっぱりさっき怪我したんだな。ほら、行くぞ。」
彼は有無を言わさずシャーロットの手首を掴むと、スタスタと歩き始めてしまった。
「あ、あのっ!待ってください!」
必死に手を振り解こうと、足を止めて踏ん張り腕を振ってみる。
「なんだよ、怪我してんだろ?医務室行くぞ。」
「いや、あの、そうじゃなくて!ちょっと止まって下さい、オスカー様ッ!」
しまった。そう思った時は遅かった。
急に名前を呼ばれたオスカーは、不意をつかれ明らかに驚いて立ち止まった。
──あぁ……男爵家の私が、許可もなく伯爵家令息の名前を呼ぶなんて……!絶対マズイ!
「お前、なんで……。」
「申し訳ありません!その……!」
「俺のこと知ってるのか?」
「……へ?あ、はい。それは……。」
無礼だと怒られると思っていたシャーロットが見たのは、実に無邪気な笑顔。
「そっか。何だよ。お前はてっきり殿下にしか興味ないのかと……。」
──興味?まあ、この国の王太子だし、小説のメインキャラだし、無関心ではないけど……。んん?
「あの、勝手にお名前を呼んで、ご不快になったのでは……?」
「ん?そんなこと気にしてたのか?まあ、その辺きっちりしろってヤツもいるけど、俺は気にしない。……それにしても。」
オスカーは興味津々な様子で、グッとシャーロットに顔を近づける。
「っ!?」
──近い!近すぎる!
鍛え上げた逞しい身体つきのオスカーだが、ダークブラウンの短く刈り込んだ髪の爽やかな青年で、まだあどけない少年のような瞳は女性の母性本能をくすぐるものがある。そして何より……。
──カッコいい……、カッコいい顔でそんなに見ないでぇぇ。
シャーロットは耳まで赤くなり、また数歩後ずさった。
──なんだよ、たったこれだけで真っ赤んなっちゃって。……可愛いヤツ。
「お前、なんで俺の名前知ってたんだ?」
「えっ?」
そりゃあ、小説に出てきたし……などと言えるはずもなく、シャーロットは言葉を探して視線を彷徨わせた。
「え、えっと……。」
「ん?」
「そのっ、オスカー様は新入生の間でも有名ですしっ!」
「有名?俺が?……何で?」
「何で?……何でって……か、カッコいいからに決まってるじゃないですか!」
恥ずかしさも限界を超え、半ばヤケになってシャーロットが口にすると、何故か2人の間に静寂が流れる。気づけば目の前のオスカーの頬がほんのりと上気していた。
──て、照れてる?……オスカー様が照れてる!
「と、とりあえず医務室に行くぞ。ちゃんと消毒してやる。」
「………はい。」
さっきより優しくシャーロットの手首を引き寄せ隣に立たせると、オスカーはそっと手を離し彼女に歩調を合わせて歩き出す。
そんな小さな気遣いに、シャーロットの胸はくすぐったくも温かいもので満たされていったのだった……。