Side Story 生真面目な彼のとある一日
その日は秋の穏やかな陽射しが色づく木々の隙間を縫い、美しい日和だった。
アーネストは窓辺に佇み、そんな景色を瞳に映しながらそっと中指でメガネのブリッジを押し上げる。
──穏やかですね……。こんな風に一人の時間を持てたのは、いつ以来でしょうか?
半年前に学園を卒業して、宰相府政務官補佐となり、正式に王太子付きの辞令が下りた。
ユリウスが密かな国王代理を務めていた一年半、そつなく仕事をこなしてきた自負があったが、自分が携わってきたのはあくまで、学生が扱える範囲の政務だったのだと、この半年で思い知ったアーネスト。
学園から帰宅したあと、ユリウスが自身の父である宰相と共にこなしてきた仕事量の膨大さは彼の想像を遥かに超えていた。
──思い上がっていたんでしょうね……。殿下のお側にいて、殿下を一番に理解できているのは自分だと……。
アーネストが初めてユリウスと会ったのは三歳の頃。
代々文官として王家に仕えてきたキュリー侯爵家の跡取りであった父は、当時王太子だったアレクセイと学園生活で仲を深め親友となっていた。
アーネストはそんな父の元、第五子の長男として生まれてきた。そう、彼には姉が四人いるのだ。
偶然にも同じ年に男の子を授かった父たちは、早く自分たちの子ども同士で遊ばせたくて仕方なかったようだ。
アーネストはまだ身分差もよくわからないような幼い頃から、当たり前のように王宮へ遊びに行っていた。
数年後には、一つ歳下のオスカーとたまにカティアローザも加わるようになり、幼馴染としていつも側にいるようになる。
初めて会った時、アーネストはユリウスを天使だと思った。
それほどに、美しい子だったのだ。その子が一緒に遊ぶと屈託なく満面の笑みを見せてくれる。
「アーネストとあそぶのたのしい!ずっとともだちでいてね?」
「うん!」
転んだと言っては泣き、おもちゃの取り合いでケンカもした。
ユリウスは王子という以外、ごく普通の子供だった。
そんな彼の顔から表情が消え始める。アレクセイが即位したことで、次期国王の器であるか、常にセシルと比較されるようになったからだ。
九つも上の叔父と品定めのように比べられる日々……。
ユリウスは十歳にもならないうちに、『王子』という仮面をつけてしまった。
その聡明さが仇となり、どんどんと誰かに甘えることも頼ることも忘れてしまった彼の目に、人が人として映らなくなっていく……。
──それでも、私たちを見るときだけは……。
幼馴染を見る時、ただその時だけは、ユリウスの瞳が濁ることはなかった。
だから、アーネストは離れなかった。
きっとまた、彼の仮面ではない笑顔が見られる。自分たちが……自分が側で支え続ければ……と。
月日は流れ続ける。
成人を前に、年頃の貴族たちは次々に婚約者を決めていた。
だが、肝心のユリウスは、全く興味を示さなかった。そして何故か、国王も王太子の婚約者を決めようとはしなかったのだ。
──今思えば、陛下の親心だったのでしょうね……。
アーネストは侯爵家の嫡男。釣り合う家柄、年頃の令嬢は、ユリウスの婚約者候補と被ってくる。
彼もまた、ユリウスの婚約者が決まるまで、安易に自身の婚約者を決められなかった。
──その点、こちらとしてはいい迷惑でしたね。殿下はそちらの方面は本当に疎かったですから。
そう思い出すアーネストの口からは、思わず盛大なため息がもれる。
──しかし、あの殿下が……あれ程までに溺愛に走るとは……。
ある日突然訪れた、原因も目的すらわからない王国の危機。
先が見えない状況の中、自分たちの前に運命のように現れた『聖女』は、ユリウスに真正面から心がないとなじり、挙げ句王太子と友達になると言い始めた。
自分たちより歳下なのに、どこか大人びた視線を投げつけ、そうかと思えば些細なことで恥じらい頬を染める。
心を素直に揺らしながら、それでも何度だって前を向く芯の強さ。彼女は悩み、迷って下を向くことがあっても、どこまでも真っ直ぐだったのだ。
「敵いませんでしたね……シャーロット様には……。」
そう口にして、アーネストは自分がほんの少しだけ、彼女に嫉妬していたのだと気づく。
「……しかし、これからはお二人が主君ですから……。」
──ずっとお側でお支えします。私も……。
窓の外、次第に人が集まり賑やかな声が聞こえ始めていた。
そこにはユリウスと、正式に彼の婚約者となったシャーロットの姿もある。
この夏、やっとマルセル公爵の許しを得て正式にプロポーズをしたユリウス。国王からもすんなりと認められ、先日二人は幸せそうに婚約式を終えた。
──シャーロット様が成人して学園を卒業するまであと一年半……。殿下が暴走しないように、しっかりと私が見張らなくてはいけませんね。
ユリウスに耳元で何か囁かれ、顔を真っ赤にするシャーロットを見ながら、アーネストはまたメガネを軽く押し上げる。
そんな時──。
「………スト……、おい、アーネストっ。」
突然名前を呼ばれて肩を叩かれ、彼はビクッとして声の主を睨みつけた。
「ノックもなしに部屋に入ってくるな、オスカー。」
「何言ってんだよ。ノックなら何度もしたし、入口で名前も呼んだ。ちっとも返事をしないから、怖気づいて逃げたのかと思ってさ……。」
いたずらげにそう言って、オスカーは彼らしい人懐っこい笑顔をみせる。
彼もあの不穏な一年半で、急激に大人びて王太子の側近候補として凛とした姿を見せるようになった。
しかし本来のオスカーは大型犬のような弟だ。幼馴染である彼の前ではすっかりそんな姿を取り戻していて、アーネストは喜ばしいような憎たらしいような複雑な気分になっていた。
「アーネストって昔から、緊張すると現実逃避して関係ないこと考え出すよなぁ。」
「なっ!?現実逃避などしていない。」
「そうか?じゃあ、俺が今伝えたことちゃんと聞いてたか?」
「…………え?」
「ほらな。」
たじろぐアーネストにオスカーがニッコリと告げる。
「花嫁の支度が整ったから、そろそろ大聖堂にってさ。行こうぜ。」
「………わかった。」
厳かな鐘の音が響く。
大きく開け放たれた扉から、純白のドレスを纏った可憐な花嫁がゆっくりと歩いてくる。
キュリー家と並ぶレイニード王国の四大侯爵家の一つ、ギルモア家の次女リリーは祭壇の前で待つ初恋の人の元へと、頬を淡く染めながら進んでいった。
「リリー様、きれい……。」
「ああ。本当だね……。」
うっとりとしたシャーロットの呟きに、そっと彼女の手を握ってユリウスは祭壇に立つ彼を見つめる。
──彼らにもずっと我慢をさせてしまっていた……。無事に今日を迎えられて本当に良かった。
「リリー、綺麗だ。本当に、私にはもったいないくらいに……。」
「もう、アーネストったら……。」
学園を卒業してすぐに結婚を申し込み、婚約期間もそこそこに、アーネストは今日、幼い頃からずっと変わらずに想いを寄せ続けてきた初恋の人、もう一人の幼馴染リリーと結婚する。
誰にも知られずに愛を育み続けていた二人の誓いのキスに、沢山の祝福が贈られた。
「リリー、待たせてすまなかった。これからは……。」
「これからは二人で、殿下と聖女様をお支えしましょうね。」
「まったく……。一生リリーには敵う気がしないよ。」
「そう?……うわぁ、アーネスト、見てっ。」
アーネストとリリーが夫婦として初めて外へと出ると、空には七色の架け橋が二人のこれからを照らしていた。
「ロッテ?」
「……これは、その……聖女としてじゃなくて、お友達として……。内緒よ、ユール。」
「そうだね。二人だけの秘密なら悪くないかな。」
「何が秘密なんですか?お二人共?」
「オスカー、空気を読もうか?」
「お二人こそ空気を読んで?今日の主役はアーネストなんですから。イチャイチャは控えて下さい。」
「イ、イチャイチャなんてしてませんっ。」
「あぁ、もうロッテ。そんな可愛い顔をオスカーに見せるなんてダメだよ。」
「もう、ユールもっ!」
──本当にうるさい方たちですね……。でもまぁ……これはこれで……。
「幸せ、ですね。」
アーネストは呟いて、スッとメガネを外しリリーに甘く口づける。
生真面目な彼も仮面を取れば、妻を溺愛する一人の男だったりするのだった──。




