Episode 45 〜Epilogue〜
「シャーロット。公爵家の養女にならないかい?」
マルセル公爵のその言葉を聞き、シャーロットは無意識のうちに父の手を握りしめていた。
「突然のことで驚いたかもしれないけど、実は少し前からブライア卿に相談を受けていてね。」
「え?」
「シャーロットが聖女となった今、あれだけの奇跡を起こした後だしね……やっぱり良からぬことを企む輩がいるんだよ。男爵家では後ろ盾として弱い。それに何時までも未婚のセシル殿下に後見人をお願いしているのは、外聞がよろしくないしね。力を貸してもらえないかと。」
この話はきっと、半分本当で半分は建前だろう。シャーロットはカティアローザの表情を見ながらそう思った。
シャーロットを公爵家の養女にすることを提案したのは、まず間違いなくカティアローザだ。
──ユリウス様のお側にいられるように、カティ様が動いてくれたんだ……。私のために……。
彼女の覚悟は決まっていた。それでもすぐ隣で温もりをわけてくれている父を思うと、すぐには「はい」という言葉を口に出来ないシャーロット。
そんな中、おもむろに立ち上がりシャーロットの前で膝をついたのはフェルディナンドだった。
「シャーロット。初対面の私が言っても信じてもらえないかもしれないが、カティアローザはもちろん、父も私も家族が増えることをとても嬉しく思っているんだ。一度に二人も増えるからね。」
「二人?」
「シャーロットが私の妹になってくれるのなら、もちろん、ブライア卿も家族になるだろう?」
「……っ………。」
柔らかく見つめてそう言ってくれたフェルディナンドの言葉を、公爵が引き継ぐ。
「ブライア男爵は生涯シャーロットの父だ。それは絶対に変わることはない。シャーロットには父が二人出来るね。」
「小父様……っ……。」
堪えきれずに嗚咽をもらしたシャーロットの背中を男爵の武骨な手が穏やかに撫で、父はそっと愛娘の髪にキスをした。
「こんな素晴らしい家族に迎えていただける。シャーリー、良かったな。」
「うん。」
「閣下。フェルディナンド様、カティアローザ様。どうか、娘をよろしくお願い致します。」
「ああ。シャーロットは必ず守る。安心してくれ。」
頭を下げる男爵の膝に、雫が一つ落ちていく。
シャーロットは生まれて初めて見た父の涙を、大切に心に刻み、また新しく歩き始めたのだった。
◇◇◇
「ソフィー、本当にこれをつけるの?」
「そうですよ、お嬢様。王太子殿下よりの贈り物です。身につけないほうが失礼になります。」
「で、でも……こんな高価なネックレス……。」
季節は再び夏を迎えていた──。
マルセル公爵家のマナーハウスであるレイクキャッスルには今夜、恒例の舞踏会のために多くの貴族たちが訪れている。
正式に国王から養子縁組の許可がおり、公爵令嬢シャーロット・マルセルとなって五ヶ月──。
彼女は公爵家の家庭教師の元で、王子妃となるカティアローザと同じ講義を受け忙しい日々を過ごしてきた。
幼い頃から公爵令嬢としての教育を受け自然と身についているカティアローザには、本来、王子妃教育など必要ない。
これがシャーロットの将来のための時間だということは明白だった。
筆頭公爵家であるマルセルの名を背負った以上、甘えなど許されない。
一般的な礼儀作法と知識は身につけていたシャーロットだったが、大好きな人の隣に立つために死に物狂いで努力を続けてきた。
そして今夜、シャーロット・マルセルとしての社交界デビューの日を迎えたのだが……。
「シャーリー、支度は済んだかしら?」
咲き誇る紅薔薇のような深紅のボールガウンに身を包んだカティアローザが彼女の部屋に入ると、何やらシャーロットが戸惑いながら動きを止めている。
「シャーリー?どうしたの?」
「カティお姉様……私……どうしよう……?」
カティアローザが近付いてみれば、彼女はソフィーが手にしたネックレスを見つめ、頬を赤らめて困っているのだ。
──まぁ、シャーリーったら。可愛いわ。でも確かに、これは独占欲が丸出しね。
シャーロットが着ているのは、この舞踏会のためにユリウスが贈ってきたボールガウンドレス。
淡い淡いベビーピンクのふわりと広がるドレスに、大ぶりのフラワー刺繍が銀糸で施された透明感のあるチュールが重なっている。
そしてソフィーがシャーロットにつけようとしているのは、ユリウスの瞳そのもののような、大粒のロイヤルブルーサファイアのネックレス。
実は、シャーロットとユリウスはもう随分と会えていなかった。
シャーロットは淑女教育に加え、学園に通っている上に聖女としての務めもある。
ユリウスも学園を卒業したことで、成人の王族として書類仕事だけでなく様々な公務が増え、多忙を極めていたのだ。
そんな中、やっと彼に会える日。
久しぶりに会う緊張と高揚感に加え、彼からのあまりにも大きな愛情表情に、シャーロットはパンクしそうになっていた。
そんな妹の肩を抱き寄せ、カティアローザはあやすように話しかける。
「シャーリー、お父様からの伝言よ。『仕上げの魔法を忘れずに』ですって。」
「………あっ………。」
『仕上げの魔法』……。一年前、義父に教えてもらった大切な言葉……。
それは本当の魔法のように、彼女の心から自信を引き出した。
愛らしい頬の色はそのままながら、キラキラとした瞳で姉を見つめ抱きついたシャーロット。
「ありがとう、お姉様!」
「私は何もしていなくてよ?」
「……カティお姉様と姉妹としてこうして舞踏会に出られるのは、今年が最初で最後かもしれないものね……。」
「そうね。」
カティアローザは夏の休暇の終わりと共に、トルストへと発つ。
第三王子の妃とはいえ、そう簡単に里帰りはできないだろう。
「だから、今夜はお姉様と素敵な思い出をいっぱい作るわ。」
「もう、シャーリー……始まる前に泣かせないで。」
涙を浮かべ微笑んだ彼女が、ソフィーからネックレスを受け取り、そっとシャーロットの首元を飾った。
「本当に素敵よ、シャーリー。自慢の妹だわ。」
「お姉様、大好き!」
穏やかに澄み渡る群青の夜空に、幾つもの星が瞬く。
大広間の扉の前には、祖母グレースをエスコートする公爵と、フェルディナンド、そしてユリウスが待っていた。
「まぁまぁ。自慢の愛らしい華たちがやっと来たわね。」
「遅くなり申し訳ありません、お祖母様。」
「レディの支度に時間がかかるのは当たり前のことですよ。ねぇ、閣下。」
グレースの言葉に「ええ」と頷きながら目を細める父。
「最後にこうして妹のお前をエスコートできて嬉しいよ、カティ。」
「私も嬉しいです、お兄様。」
ほんの少しだけ照れながら、兄の腕に手を添えるカティアローザ。
そんな家族の傍らで、まるでそこだけ時が止まっているように、ただ見つめ合う二人がいた……。
「お父様。私たちは先に参りましょう。」
「父としては、なんとも複雑なんだけどねぇ……。」
「閣下、若い二人の邪魔をするのは、野暮と言うものですよ。」
「……はぁぁ。」
「さぁ、父上、行きますよ。セドリック、扉を開けてくれ。」
大きな扉が開かれ聞こえてきた喧騒が、また小さくなっていく。
そんな変化にすら気づかないほど、シャーロットとユリウスはとろけるような視線を交わしていた。
「お久しぶりです。殿下……。」
「ロッテ。今は二人きりみたいだよ。」
「はい。あの……。ユ、ユール……。」
消え入りそうな恥じらう声に、ユリウスが甘い吐息をもらしてグッと彼女を抱き寄せる。
「もう一度、ちゃんと言って?……ロッテ?」
「……っ、ユール……。ずっと、会いたかった……!」
「ああ、僕もだ。やっと君を抱きしめられた!」
「ユール……。」
大きな窓の向こうで柔らかく光る月に見守られ、ユリウスがスッと真剣な表情でシャーロットの前に片膝をつき、彼女のオペラグローブをはずしてその小さく白い手を取った。
「ユール……?」
「愛しています、レディ・シャーロット。貴女を、心から……。どうか私に、貴女の伴侶となる栄誉を与えて下さい。」
ハッと息を呑むシャーロット。
今、二人に必要なのは、真っ直ぐな言葉だけ……。
ただ、それだけになっていた。
素直に想いを伝えられる喜びに満たされて、シャーロットが言葉を紡ぐ。
「……はい……はいっ。私の幸せは、貴方と共にあります。私も愛しています……貴方だけ……ユリウス様!」
ユリウスの唇が、甘やかに彼女の左手の薬指に愛を誓った。
立ち上がった彼の碧い瞳を見つめ、シャーロットははにかみながら背伸びをする。
瞼を閉じれば、唇に触れる彼からの甘い熱。ふわりと重なった優しいキスの後、二人は額と額をコツンと合わせ、その笑顔で幸せを分かち合った。
「そろそろ行こうか、ロッテ。」
「はい、ユール!」
シャーロットはユリウスと共に、眩い世界へと歩き出す。
きっとずっとこの先も、大切な人たちと、幸せを見つけながら……。




