Episode 4
始業式の朝。シャーロットは十分な時間の余裕を持って寮を出た。
広い学園の端にある寮から講堂までは歩いて10分ほど。まだ学園に知り合いのいない彼女は、入寮の日に見つけた使用人たちの使う細い通路を歩いていた。
──こっちの方が近道だもの。念には念を入れなくちゃ。
もう少しで他の寮生たちが通る道に出そうになった時、どこからか苦しげに唸る声が聞こえ、シャーロットは立ち止まる。
辺りを見渡すと、物置らしい小屋の脇にうずくまる1人の男性を見つけた。漆黒の長い髪をポニーテールにした白シャツの彼は、学生ではなさそうだ。
「どうしたんですか!?大丈夫?」
シャーロットは考えるより先に彼に駆け寄る。見れば腕がざっくりと切れ、血が溢れ続けていた。
出血のせいだろう。顔面蒼白になった彼は喋るのも辛そうだった。
──止血しなきゃ!出血が多すぎる!
今までのシャーロットならば、父に教わった通り腕をきつく縛り、圧迫をして止血していたはずだ。
しかし今シャーロットは、何故か当たり前のように傷口に手をかざし、真っ白な光でそこを包み込んでいた。
──前は無意識だったけど、これが癒やしの魔力なんだ……。
みるみるうちに傷口が塞がり、彼の顔に血の気が戻る。完全に傷がなくなったのを見てフーッと安堵の息を吐くと、シャーロットは彼の肩に手を置き話しかけた。
「気分はどうですか?まだ痛みます?」
「……いや、大丈夫だ。君は、一体……?」
彼は自身の腕とシャーロットを交互に見やり、大いに戸惑った様子だった。
髪と同じ漆黒の瞳。地面に放り出すように伸ばした長い脚からも、かなり長身なんだろうとわかる。彫りの深い整った顔立ち。右耳にはマーキスカットの黒い石をゴールドの台座にはめ込んだ、小さく揺れるピアスを付けていて、小説の登場人物としては覚えのない容姿だった。
──この世界は美男がデフォルトですか?
落ち着いて彼の顔を見たシャーロットの頬が、ピンクに染まる。
「ありがとう。徹夜明けだったせいか、よろけてそこの窓にぶつかってしまったんだ。ガラスが割れて切ったらしい。助かったよ……。」
「いいえ。偶然通りかかって良かったです。」
「偶然?……君は学園の生徒じゃないのかい?何故、こんな道を……。」
「あ、それは、ここが講堂への近道でって………、あぁー!?」
──始業式!遅れちゃダメなのにーー!
「も、もう、大丈夫ですか?私、行かないとっ。」
「あ、ああ。平気だ。」
「よかった!それじゃ!」
シャーロットは慌てて走り出した。背後から「待って!」と聞こえた気もしたがそれどころではない。
「お願い、まだ終わっていないで!」
必死に走っていたシャーロットは、突然横から現れた人影に止まりきれず、ぶつかって尻もちをついてしまった。
「あ、いたたた………。」
とっさについた左の手のひらが、少しだけ擦りむけてヒリヒリする。恐る恐る顔を上げたシャーロットは、目の前の光景にサーッと血の気が引いていった。
「どうして?どうして、こうなった……?」
僅かに呟く彼女の前に、ニッコリと手を差し伸べる銀髪碧眼の美しい人……。
「大丈夫?立てるかい?」
あまりに眩しいその笑顔に……いや、この状況に、シャーロットはめまいがした。
この人は紛れもなく1番避けたかった人……。このレイニード王国の王太子ユリウス。それに、アーネストとオスカーまで一緒だった。
そして彼らの後ろからは、凄まじいオーラを放つカティアローザが現れたのだ。彼女の深いグリーンの瞳は明らかな怒りの色を湛え、鋭い口調をシャーロットに向けた。
「あなた、いつまでユリウス殿下に手を差し出させているおつもりですの!?」
「えっ?あっ!申し訳ありません!!」
カティアローザの言葉を聞いて、半ば反射的に右手でユリウスの手を取る。そんなシャーロットをどこまでも優しく見つめる彼に、ゆっくりと手を引かれて立ち上がると、彼女はもう一度深く頭をさげた。
「恐れ多くも王太子殿下にぶつかってしまい、誠に申し訳ございませんでした!」
「君は新入生かな?随分慌てていたね。」
「はい……、その、始業式に遅れてしまって……。」
ユリウスの後ろから、カティアローザの「まあっ。」と呆れた声がする。間違いなく遅刻した自分が悪いのだと自覚がある分、シャーロットは恥ずかしさにいたたまれなくなった。
「まあ、私にぶつかってしまったのは事故だし気にしなくていいよ。でも遅刻はいけないな。私達は学生だからね。明日からの授業は気をつけるんだよ。」
「はい、殿下。」
シャーロットの返事に満足そうに頷くと、ユリウス達は校舎へと歩き出す。その背中を見送りながら、思いの外に軽い接触で済んだと、シャーロットが胸をなで下ろした時だった。
カティアローザが立ち止まり、シャーロットを振り返ったのだ。
「そう言えば、あなたお名前は?」
──嘘っ!なんで彼女に名前を聞かれるの!?
「聞こえなかったのかしら?」
更に威圧のこもった声に、シャーロットは慌ててカーテシーをした。
「申し遅れ失礼致しました。シャーロット・ブライアと申します。」
「そう。覚えておくわ。……足を止め申し訳ございませんでした。参りましょう、ユリウス様。」
「ああ。」
始業式を終え講堂を出た生徒たちの賑やかな声が、向こうの中庭へと続く通路から聞こえてくる。この場所を通ったのはユリウスたちだけだった。
その場にポツンと残されたシャーロットは、小説と全く違うこの始まりを、どう解釈すればいいのか頭を抱え近くの石段に座り込んでいた──。
◇◇◇
「彼女が聖女か……。」
「まだ候補ですよ、殿下。実力は未知数なんですから。」
「相変わらず厳しいな、アーネスト。……カティはどう思う?」
「どう、とは?」
「女性のことは女性に聞くのが一番だろ?」
「はぁ……あれだけで何をわかれとおしゃるのです?まだわかりませんわ。……ただ、転んだ時に手を怪我したようでしたけれど。レディにお優しい殿方たちはお気づきになりませんでしたの?」
「ハハッ、カティが一番手厳しいな。……オスカー、頼めるかい?」
「承知致しました、殿下。」
ユリウスは今来た道を戻っていくオスカーを確認すると、カティアローザにさり気なく腕を差し出した。
「サロンで一休みしようか、婚約者殿?」
「はい、ユリウス様。」
隙のない所作でユリウスのエスコートを受け歩いていくカティアローザに、女子生徒たちが憧れの眼差しを向けている。
「いつでも君は人気者だね。」
「光栄ですわ。」
麗しの王子と才色兼備の公爵令嬢。
誰が見ても似合いの二人。だがそこにある思惑をシャーロットは知る由もなかった。