異世界放送
金曜日の丑三つ時、この世に存在しないラジオ局の番組が始まる――。
そんな噂が、俺の学校で流行っていた。
その番組を聴くと、ラジオの中に閉じ込められてしまうという。今までに何人もの人間が閉じ込められていて、彼等は身体を失い、声だけの存在となって番組に出続けている。
そして、次に引き込む被害者を探しているのだ。
*
「そんなバカな話があるかよ」
噂を耳にしてそんなことを言い出したのは、俺の友人であるタケルだ。体格が良く、同級生より一回りほど大きな身体を揺らして噂話を笑い飛ばす。
「そんなの、ただの噂だろ。ラジオに閉じ込められるって、物理的に無理だろ」
「普通は不可能だから、怖いんじゃないの?」
もう一人の友人、ソウタが眼鏡をくいっと人差し指で持ち上げる。タケルとは対照的に細い腕には、次の授業の教科書が抱えられている。
「何処が怖いんだよ」
「だって、気味悪いじゃん」
タケルは腕を組み、ムッと口を曲げた。
「じゃ、本当かどうか確かめてみようぜ」
ということで、友人二人は週末、俺の家に泊まることになった。
*
その日は丁度、両親が二人共出張に出ていて、家には俺達以外に誰もいなかった。
俺達は学校帰りにコンビニで買った弁当で夕飯を済ませ、トランプやテレビゲームをしながらその時間を待った。
時間が迫ってくるとスマートフォンのラジオアプリを開き、適当に放送中の番組を流す。
暫く聞くともなしにアナウンサーの声を聞いていたが、いざ午前三時になっても変化は訪れなかった。画面も音声も、何も異常はない。
それなりにドキドキしていた分、肩透かしを食らった気分だ。
「ほら、噂は噂でしかないんだよ」
「なーんだ。つまんない」
タケルが辟易したように言い、ソウタは手持ち無沙汰にラジオが流れるスマートフォンをいじり始めた。
何も起きないのであれば、起きていても仕方がない。もう寝ようかと俺が声をかけようとしたその時、ソウタの顔色がさっと蒼くなった。
「どうしたの?」
「……こ、これ」
震える声と手で差し出されたスマートフォンを受け取る。そしてラジオアプリの画面上に、見慣れないロゴを見つけた。
放送局名のロゴの並びに当然のようにある、何処かおどろおどろしい暗紫色のロゴが示す名は――
「異世界放送?」
一応声に出してはみたが、そんなラジオ局があっただろうか。少なくとも、俺は知らない名前だった。
「何だよ。何も起こらないからって、細工でもしたのか?」
「そっ、そんなこと……!」
覗き込んできたタケルが揶揄うようにソウタを笑うが、中学生である俺達にそんな真似ができるとは思えない。
首を傾げる俺の手から、タケルがスマートフォンを取り上げた。
「んじゃ、折角だし聴いてみよーぜ」
「えっ! やめた方が……」
ソウタの制止の声も聞かず、タケルが異世界放送のロゴをタップする。
何が起こるのかと俺とソウタは身構えたが、スマートフォンは静まり返って何の音も出さなかった。
無音の時間が数秒間続き、タケルが笑い出した。
「なんも起きねーじゃん」
ソウタがほっと胸を撫で下ろし、アプリを終了させようとした。
その時、耳を塞ぐような大音量でザーッと砂嵐に似たノイズが流れ出た。ソウタが驚きと恐怖で、近くにあったクッションの上にスマートフォンを放り投げる。
思わず耳を塞ぎ、スマートフォンを見遣る。
上向いた画面は真っ暗で、しかし時折障害が起きた時のように乱れる。
俺達は何もできないまま、ただじっと画面を見つめていた。
すると、画面の奥の方から腕を伸ばしてくるように、人間の手の映像が現れた。まるで、暗い沼の底から助けを求めているみたいだ。
同時に、流れるノイズの合間に声のような音が聞こえ始めた。
『……――デ……』
何を言っているのかは聞き取れない。ただ、機械音っぽい声が何かを喋っているということだけは判る。
「何だよこれ。悪戯にしちゃ手が込んで……」
『オイデ』
『コッチニオイデ』
『ラジオタノシイヨ』
『タノシイ』
タケルが涙目になりながらも強がろうとしたその時、声がはっきりと聞こえた。
片言で不気味な声が幾つも幾つも、重なるようにしてスピーカーから流れ出る。
俺達は男三人で抱き合い、縮こまって画面を凝視する。見ているのも怖いが、目を離してしまう方がよっぽど怖かった。
すると、映っていた手の映像が画面の内側に掌を当て、まるで画面を押し上げるような形になる。
このままでは手が画面を突き破って出てきてしまいそうに見えて、俺達は焦った。
「は、早く! 電源落とせ!」
タケルが腰を抜かした様子で声を荒らげ、ソウタは震えるばかりで動けそうにない。
本当は触りたくもないのだが、俺は勇気を振り絞って急いでスマートフォンを拾い上げた。
そうしたら、判ってしまった。
画面がこちら側に向かって湾曲しており、本当に手が出てこようとしているようなのだ。
近くで見る手は青白く、所々が爛れて醜い。爪は全て剝がれて、血が滲んでいた。
俺は恐怖で硬くなった指を懸命に動かして、必死にスマートフォンの電源を落とした。
すると呆気ないほどに画面から手は消えて黒くなり、弧を描いていた硝子は平面に戻った。
その後は酷く長く感じたが、きっと数秒のことだったのだろう。俺達はその場に固まったまま、息をするのも忘れて呆けていた。
タケルが最初に大きく息を吐き出すのを聞いて、俺とソウタも呼吸を思い出す。
「な、なんだったんだ、今の……?」
ソウタの問いに答えられる者はいない。
今までにないくらい怖かったのに、今となっては夢でも見ていたのではないかと思うほど現実味がない。
俺は恐るおそる、手の中のスマートフォンの電源をつけてみた。
そこに映し出されたのはいつも通りのホーム画面で、ほっと胸を撫で下ろした。
しかし――
「そ、それ……」
誰が零したのか判らない呟きに視線を戻してみると、画面には目一杯に広げられた掌の跡が薄っすらとついていた。
画面の内側についているらしいそれは、いくら擦っても消えることはなかった。