なにをやってもあかんわ
「では、反省文を明日の放課後までに書いて持ってくるように」
生徒指導室の椅子に座らされた僕に対して、生活指導部の教師、塩谷がきつい口調でそう言った。
柔道部の顧問である塩谷の体格はかなり良く、頭髪一つない禿げ頭威圧感を与える。
僕はまさしく、その威圧感にあてられてしまって、縮みあがってしまっていた。
が、隣に座っている勝竜寺は、はぁい、と気の抜けた返事をしてしまったがために教師がさらに怒りのボルテージを上げ、反省文の枚数を倍にする旨を伝えている。その様子を見ていながら僕はこれが現実であるかどうかの確認をしていた。親指の爪を人差し指に食い込ませて、これが現実であるということを認識するが、どうか、夢であってほしいと願ってばかりいた。
別に反省文を書くことは問題視していない。
僕が問題に感じているのは飛鳥先輩の事だった。
あの後、僕たちは教師たちに見つかった。というのも、飛鳥先輩が出した外泊届に不備が見つかったのだ。そういうわけで不正外泊として、学園の教師が探しにきたところ、僕たちを見つけたという次第である。もっとも、そのころにはすでに、飛鳥先輩はくねくねを見たところであったので、その意味で、教師陣の驚きもあったのだが。
その後、飛鳥先輩は教師が運転する車に乗せられて、どこかへと連れていかれた。
車の後部座席に座ったその間も、飛鳥先輩はずっとくねくねと体を不気味に揺らしていた。
「あの、先生」
生徒指導室を出る寸前、怒りを収めた塩谷先生に僕は恐る恐ると声をかけた。
なんだ、と言わんばかりに鋭い目線が僕に向けられ、一瞬、びくりと体を震わせてしまいそうになるが、落ち着いて、言葉をつづけた。
「飛鳥先輩は、どうなったんですか?」
すっと、教師の顔から怒りの表情が消えるのがわかった。
それから、少しだけ気まずそうな顔になる。
「飛鳥は入院だ。聞きたい事はそれだけなら帰れ」
「でも、なんで、どれくらい入院なんですか」
「萱島。俺が医者に見えるか? 教師だ。入院期間も理由もわからん」
「しかし」
「しつこい奴だな。とっとと、帰れ」
そう言うと、僕と勝竜寺の腕を掴むと生徒指導室から放り投げるように力づくで追い出した。
強く投げられ、危うく転んでしまうところだった。
「まったく、失礼な奴だな」
「いや、勝竜寺さんほどではないですよ」
「私は礼儀をわきまえているよ、これでもね」
制服についた汚れを払いながら、勝竜寺が言う。
そんな勝竜寺に僕は、やはり、塩谷先生に聞いたのと同じ質問を投げかけるのだった。
「さぁ、わからない。実際のところ、常識的に考えるならば、精神病院だろうね」
「可能性としてはなくもないですけど」
「創作怪談の通りならそうなるさ。いや、たしか、田舎の家に閉じ込められるんだったかな」
「どっちも変わらないのでは」
そうだな、と勝竜寺は言って歩き始める。
僕一人、生徒指導室の前に取り残されるのは嫌だったので、勝竜寺のあとについて歩き出した。
しんと静まり返った本棟の中を歩き、僕たちは別棟、部室棟へと向かう。
「本当に、いたんですね。くねくね」
「くそが」
自販機の前に立った時、勝竜寺はそう言って、ポケットから財布を取り出した。
小銭をいくつか自販機へと飲み込ませながら、言葉を続ける。
「むかつく。本当にいるとは思わなかった」
「僕もそうですよ」
「お前と私とじゃあ、話が違う。くそめ」
どういう意味で、話が違う、のか僕は気になった。
が、問いかけるよりも先に、勝竜寺が口を開く。
「萱島。お前、霊能力って信じるか」
「今、くねくねを見た僕なら、なんでも信じますよ。宇宙人よりも信じますし、ウィルスはNASAの陰謀だと言われても、ちょっとは信じます」
「ならいい。俺の家族はみんな霊能力者だ。もっとも、広義でいう霊能者で、妖怪、呪い、幽霊、なんでもオッケーなとんでも霊能者だ。子供の頃から呪いだとかを対処してた。それが仕事だって。でも、私は、私は」
違う、と勝竜寺は自販機のボタンを殴りつけるように、押した。
がこん、と缶ジュースが落ちてくる。
「私には何の能力もない。だから、くねくねを対処すれば、他の家族に認められるって。そう思って」
プルタブを開けるのに苦労しながら、勝竜寺が言葉を続ける姿を見て、ふと思い当たることがあった。
あの屋敷にいた老人の一人が、口にした言葉。
『本当に若い。噂では二十代とか』
もしや、それは、勝竜寺のことを言ったのではなく、勝竜寺の家族の事を言ったのだとすれば。
「勝竜寺さん。あなた、家族の仕事を横から奪ったんですか」
勝竜寺は何も言わなかった。
それが答えだった。
壁にもたれかかり、座り込む勝竜寺の姿は、今まで見た彼女の姿でもっとも頼りなく、情けない姿だった。
しかし、わからなくもない。
家族を見返すため、認めさせるために、努力する。
その姿勢は僕にも経験がある。
だから、僕には彼女の姿勢を責めることは出来ない。
飛鳥先輩に関しても、僕にも責任がある。いわば、共犯だ。
今、出来ることは、くねくねを退治することではない。出来るなら、したい。しかし、僕のような高校生に何ができるのか。何もできない。でも、だからといって、このまま、放置することもできない。
僕はこの学園に何しにきたのか。
わざわざ、親元を離れてまで、何をしに来たのか。
「勝竜寺先輩」
座り込む勝竜寺に僕は目線を合わせる為、膝をつく。
勝竜寺は顔を決して僕の方へは向けようとしなかった。
けれども、僕は言葉を続ける。
「謝りましょう。ご家族に。そして、何が起きたかを説明し、なんとか対処をしてもらうんです」
「でも、それは私が何もできないって」
「何もできないのは、恥じゃないんですよ。先輩。僕を見てください」
濡れた虎の目が僕を見る。
弱々しい目だ。
「僕なんか、先輩よりも何もできません。霊能者に知り合いなんかいません」
「だって、それは」
「だから、です。先輩には霊能者に知り合いがいます。頼って、次に家族を見返してやるんです」
そうだ。
僕は自分を変えるために、ここに来た。
今は、まだ、月彦にも及ばない僕であるが、いつか超えることが出来るはずだ。
だから、今は耐えるとき、耐えて、自分を変えて、必ず勝てるようになればいい。
「わかった」
それだけ短く返事をすると、のそりと勝竜寺は立ち上がる。
それから、ぐいっと僕に缶ジュースを渡す。
「安いけど、報酬。今回の仕事は大失敗だ」
スマホを取り出し、勝竜寺は涙の跡を制服の袖でこすり取りながら言った。
それから、どこかへと電話をかけると、ひたすらに謝り続けた。電話の相手、おそらく、家族なのだろうと思う声が、電話から漏れ聞こえるあたり、相手も怒鳴り怒っているのがよくわかる。
今はそれでいい。
怒鳴られている声は、僕に向けられている。
そう、思いながら、僕は缶ジュースのプルタブを開けた。
翌日、放課後に、僕は入部届を手に職員室を訪れた。入部届を、学校側へと提出するためだ。
部活動名にはしっかりと、文学研究会の文字を書き記し、自分の氏名もきちんと書き記した。
が、書類を受け取った教師は、僕に、本当に入部するのかと確認した。どれだけの悪名が文学研究会にあるのかと僕は苦笑いを浮かべるしかなかったが、記載に誤りはないと伝えると、一度はすんなりと受け入れた。しかし、すぐに書類を突き返してきた。
何事かと聞けば、入部理由の所が空白だったからである。
適当に文学的研究を行いたい、と記して。
僕たちはこれから、本当の活動を始める。
いわば、これは家族から見下されてきた僕たちが、見返す物語だ。