TORA TORA TORA
「僕はくねくねなんて、創作だと思います。だから、存在なんてしませんよ」
田んぼが見渡せる高台に広げ敷かれたビニールシートの上に座る勝竜寺虎子に僕はそう考えを伝えた。
勝竜寺は、胡坐をかいて、双眼鏡を片手に田んぼへと目を配っていた。
僕はその少し離れた所に膝を抱えて座り、田んぼへと目をやる。勝竜寺が双眼鏡を使っているのに対して、僕は肉眼だ。別に、もしかしたら、くねくねを見てしまうからという心配をしている訳ではなく、ただ、双眼鏡がもう一つと予備がなかっただけである。
「萱島一年生、君はくねくねを知っているんだろう?」
「知ってますよ」
くねくね。
2000年代のインターネットにおける創作怪談の走りとも言え、また、現代においてもなお語り継がれる創作怪談の一種だ。
話のあらすじとして、田舎を訪れた兄弟が、田んぼでくねくねと動く白い何かを見つけ、双眼鏡で見てしまった兄が精神を病み、祖父から田舎に二度とくるなと言われる話だ。
言ってしまえば、後の大半の創作怪談はこのストーリーラインに沿っている。
田舎を訪れ、怪奇現象に遭い、長老からもうくるなと言われる。
八尺様もそうだ。
そう考えると、くねくねがいかに優れた怪談だったのかがよくわかる。
「しかし、創作です。実話じゃない」
「実話の怪談なんて、ほとんどが勘違いだよ。くねくね、なんか由緒正しい創作怪談さ」
勝竜寺はさも当然とばかりに双眼鏡を覗いたままに答えた。
あっさりとした返答であり、僕はつい力が抜けてしまう。
もっとこう、信じ切っているとばかり考えていた。
「私はね、怪奇現象なんかに関心はない。あれば面白いだろうさ。しかしだね、世の中にはそんなに期待はしてない」
「なら、どうして」
「怪談というのは創作であるとする。そうすると、作者の実体験というのが、ベースになっているだろうさ。なら、そのベースというのが何か」
双眼鏡から目を離し、爛々と輝く目を僕に向けた。
「知りたくないか?」
双眼鏡を僕に差し出す。
「ほら、ごらん。くねくねがあるよ」
ぞくりと背筋が冷たくなった。
いないはずなのに、そんなものは、くねくね、なんて存在しないはずなのに。
手が震えてしまう。
双眼鏡を受け取ると、やけに冷たく感じた。金属の部分が冷えていたのだろうか。
「ほら、ごらん、あそこだよ。あの田んぼの中央」
指さす方向へと目線を向けた。
ある。
何か白いくねくねとした細長いものがある。いる。
田んぼの中央。あぜ道の上に、まるで踊っているように、あるいは、苦しみのたうち回っているかのように。
くねくねとその細長い体を左右に、縦に、くねらせている。
「あれの正体はなんなんだろうね。知りたくないかい?」
勝竜寺の言葉がひんやりと耳に入って、頭を冷やす。
双眼鏡を目に近づける。
見たい、見たくない、その二つの考えがぐるぐると周り、その二つの選択肢のどちらかを選ばなければならい。
僕は、双眼鏡を覗き込んだ。
が、一呼吸置いては肩の力が抜けてしまう。
なんて事はない。
双眼鏡でよく見ればわかる。田んぼのちょうど真ん中の畦道には案山子があっただけである。ただの案山子ではなく、下から空気を送り込んで、チューブ型の人形を作る案山子であり、その仕組みの都合上、身体をくねくねと揺らしていたのだ。バルーン人形とか、チューブ人形と呼べばいいのだろうか。
よくよく観察すれば、その案山子の下には空気を送るコンプレッサーと、発電機がある。
「ちょっと、あれって」
「そうだよ、案山子」
悪気はないと言うように、きっぱりと勝竜寺は言い放ち、笑う。
となると、途端に腹立たしさが出てくる。
完全に揶揄われている。
一体どう言う了見なんだと、問いただしたくなった。
双眼鏡を突き返して、立ちあがろうとした。
「虎子さん」
その時、急に声をかけられたので、双眼鏡をぽとりと落としてしまった。
振り向けば、一人の女性が立っている。学校から指定を受けた鞄を肩から提げているのを見るに、同じ学園の生徒なのだろう。カーディガンを羽織って少し大人びた雰囲気という所をみるに、きっと先輩だろう。勝竜寺の同学年かもしれない。
キラリ、と眼鏡のレンズが日に光る。
いや、見覚えがある。
少し考えて思い出した。
先日、文学研究会の部室を訪れたとき、部屋から顔をのぞかせた女生徒だ。
「キララじゃない。元気してた?」
「夕方のホームルームであったばかりだっただと思うんだけど」
「そうだっけ? それで、あ、例の物、出しといてくれた?」
「えぇ、その、言われた通りに」
「いいねぇ、キララちゃん、好きよー。そういう素直な子」
「なら、その、ここまでで」
「そうはいかない」
勝竜寺はポケットから財布を取り出すと、中から一万円札を、ピン札の一万円札を取り出すと、キララと呼ばれた女生徒に握らせる。
「これから、少し付き合ってもらうかな」
「乗り気はしないんだけども」
「大丈夫、大丈夫」
不安げな瞳が、眼鏡のレンズ越しに見える。
その瞳と目線がかち合った。
気まずくなり、さっと顔を背ける。
「しばらく、この萱島一年生と田んぼを見張っててくれないか?」
「ええ、なんでよ」
「頼むよ、その間に私はテントを張っておくから」
その言葉だけ残すと、勝竜寺はさっさとどこかへ行ってってしまった。しかし、聞き流せない話である。テントとは一体何なのだろうか。
そこでふと不安がよぎった。
一晩、田んぼを見張るのではないだろうか。
でなければ、わざわざテントを使う必要性などない。
「あの、萱島くんだっけ?」
沈默が耐えきれなかったのか、あるいは、僕がよほど神妙な顔つきで考え込んでしまっていたのか、キララと呼ばれた女性が声をかけてきた。
「は、はい。萱島です」
「ごめんね、変な事に巻き込まれてるみたいで。あ、私は、飛鳥キララ。二年よ」
「いや、その、別に」
普通の人だ。
それほど人生経験を積んでない僕でもわかる。
勝竜寺とは違う。普通な人間の気配というか我が強くはない、というか、言ってしまえば、女性的な柔らかい、優しい気配だ。
あと比較的、胸がデカい。
「虎子……勝竜寺さんは結構、グイグイと引っ張るからビックリしたわよね。謝ってないでしょ。許してあげて」
「いや、そんな」
「この通り」
ぺこり、と頭を下げる。
制服の襟元から肌色が、見え、目を背けた。
「あの、謝られても……先輩は悪くないじゃないですか」
「そうなんだけどね」
「で、飛鳥先輩はどこまで話を聞いてるんですか?」
「別に何も聞いてないけど? 強いて言うなら、外泊届け出しておいて、と、今の分。まさか自分も外泊するとは思ってなかったけどもね。念の為に自分のも出しといて良かった」
「外泊ってことは、僕の分もですかね」
飛鳥先輩はレンズの奥の目をパチクリと開いて閉じた。
「まさか、知らなかったの?」
「知らないですよ! え、なんで? どうして……」
言葉が出てこなかった。
人間というのは、度を超えた非常識に対面すると何も行動ができないのだと思った。
しかし、冷静に考えると、ここから寮までそれなりの時間がかかる以上、外泊をすることは予想がついたように思え、より深く追求しない僕に非があるようにも思えた。
が、ただの加害者に対する恩情である。
スマホの時計を見れば、かなり時間は押し迫っており、唯一の帰る手段は勝竜寺のスクーターだけだ。
飛鳥先輩は、どうやってきたのかと聞けば、なんと自転車部からの好意で自転車を借りて来たそうである。下りばかりで楽に来れたらしい。逆に言ってしまえば、登るのは大変であり、帰るのは一苦労というわけだ。
そうなると、勝竜寺がテントを張りに行ったのも、一泊することを前提としていることを意味し、僕の予想は的中していることになる。
「もう帰れないじゃないですかぁ」
そう、嘆くしか僕には出来ないのだった。