ノクターンはもう鳴らない
男はある噂を聞きつけて、寂れた商店街を彷徨っていた。
なんでも、身体の一部を買い取ってくれる店があるらしい。
臓器から髪の毛までどの部位にでも値段が付き、おまけに優れた医者が手術にあたるため、痛みも後遺症も無く、気づいた時には全てが終わっているそうだ。
男は数分彷徨うと、シャッターが唯一空いている店を見つけた。
中に入ると、左腕の無い老婆がガラス製のパイプをくわえて奥から出てきた。
「すみません。お聞きしたい事があるのですが」
「なんだい?」
「この辺りに身体の一部を買い取ってくれるお店はありませんか?」
「へぇ、あんたもかい」
老婆の顔を見ると眼球が片方無く、そこには薄暗い穴がぽっかりと空いていた。
「おばぁさんも売ったんですか?」
「まぁね。金に困ってさ」
「そうですか。」
少しの沈黙が訪れた。
店内を見渡すと、商品の陳列棚には何も物が置いてない事に気付いた。
「兄ちゃんは金に困ってるようには見えないけど、なんの用だい?」
「それは…言えません。」
「そうかい。」
また静寂に包まれる。
老婆は煙を何度か吐き出すと、パイプの中に溜まった灰を、片手で器用に掻き出して灰皿へと移した。
「お願いです教えて下さい。どこに行けば買い取って貰えますか?」
老婆はパイプを机に置き、腕をこちらに差し出し言った。
「知りたいなら金を寄越しなよ」
「いくら必要ですか?」
「そりゃ、あんたの気持ち次第さね。いくら払える?」
男は財布から札を全て取り出して、老婆の手に乗せた。
老婆はニヤリと笑い受け取った札をポケットに詰め込むと、パイプに緑の葉っぱを詰めて火をつける。
「ここの裏路地を南にまっすぐ歩いて闇市に行きな。その中に一店舗だけ風俗店がある。そこで、恵って子を指名しな。」
老婆は話し終えると、口からまた煙を吐き出し、満足そうな表情を浮かべていた。
「ありがとうございました。助かりました」
「なに、困ったときはお互い様さね。あぁ、せっかくだし兄ちゃんも吸うか?」
老婆はパイプから口を離して、男に吸口を向けた。
「タバコですか?」
「大麻だよ」
「そうですか、遠慮しておきます。それでは」
「つれないねぇ…」
男は店を出て、老婆に言われたとおりに闇市へと向かった。
***
闇市へ辿り着くと、辺りに少しだけ人の気配があった。浮浪者が道で物乞いをしていて、それをつまみに屋台で安酒を飲んでいる老人達。道の端に風呂敷を敷いて、木彫りの置物を売っている老婆。
廃墟のような街だった。
男はその者たちには目もくれず、老婆の言っていた風俗店を探した。
道を奥へ進んでいくと、場違いなほど綺麗なビルが見つかった。
男は看板で風俗店が入っている事を確認すると、ビルの中へ入り、エレベーターに乗り込み3階のボタンを押した。
店内に入ると奥からは、90年代のダンスミュージックが聞こえてきた。
「いらっしゃいませ。本日はどうされますか?」
スーツを着た中年の男が尋ねてきた。
「指名をしたいのですが」
「どの子になさいますか?」
そう言いながら商品の写真をこちらに向けてきた。
「恵という子をお願いしたいのですが」
「かしこまりました。それではこちらへどうぞ」
受付の男は特に戸惑う様子もなく、控室に案内をして椅子に座って待っているよう促した。
男は老婆に騙されたのでは無いかと焦った。
程なくして、スーツを着た若い女が男を迎えに来た。
「本日はご足労頂きありがとうございます。それでは、こちらへお進みください。」
男は促されるまま店の奥へと歩いた。
店の突き当たりまでくると、黒塗りの扉があった。 扉を開けて中へ入ると、そこは明るく清潔な小さな部屋になっていた。
「ようこそお越し下さいました。そちらにお座りください」
白衣を纏った白髪の男と、スーツを着た恵体の男がソファの前に立って話かけてきた。
男が2人の対面に腰を下ろすと、2人もソファに座り、白髪の男が口を開いた。
「わたくし、本日執刀を担当します医師の灰崎と申します。よろしくお願いします」
続けてスーツの男も口を開く。
「自分はここの責任者をしてます、箕島と言います。本日はよろしくお願いします。」
「よろしくお願いします」
「それで、本日はどちらになさいますか?」
箕島は料金表を男に手渡した。
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眼球 一つにつき100万円
舌 150万円
耳 一つにつき10万円
鼻 5万円
腕 一つにつき100万円
足 一つにつき200万円
性器 200万円
血液 500mlあたり 1万円
内臓 要相談
その他各種パーツ 要相談
※ 状態によっては値段が多少前後致しますので予めご了承ください。
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男は料金表に目を通して、箕島に尋ねる。
「私は両手の人差し指と小指を売りたいのですが、可能ですか?」
「可能ですよ」
「でしたら、それでお願いします」
「かしこまりました。それでは、指を見せて頂いても宜しいですか?」
男は手を箕島に差し出した。
男の指は、人よりも長く柔らかかった。
「とても綺麗な指ですね。何かされていたのですか?」
「ええ、小さい頃からずっとピアノを弾いてました」
「宜しいのですか?指は肉が少なく買い手があまり居ない部位なので…値段は良くても1本5千円程になりますが」
「はい、大丈夫です。値段はいくらでも構いません」
「かしこまりました。それでは、こちらを良くお読みになって、サインをお願い致します」
箕島はそう言って誓約書を男に手渡した。
男は、ペンを握って誓約書にサインを書く。人差し指を使うのもこれで最後なのだろうと思った。
誓約書を箕島に渡して心の準備をする。
「はい。ありがとうございます。それでは、灰崎先生と奥の部屋へお進みください。私はこちらでお待ちしております。」
「はい。わかりました」
男は灰崎の後について奥の手術室に入る。
「本当に宜しいのですか?」
部屋の扉を閉めると、灰崎が唐突に問いかけてきた。
「はい。もう要らないものですから」
「……私も昔ピアノを弾いてましてね。下手くそでしたが」
「はぁ…そうですか」
「ピアノを弾くうえで1.2を争うくらい大切な指ですよね。人差し指と小指」
「えぇ、良くご存知ですね」
「あなたの指には、並大抵の努力では到達できない何かが見て取れます。正真正銘ピアニストの指じゃないですか」
「いえ、ピアニストにはなれませんでした。全て無駄だったんですよ」
「だからと言って売る必要は無いんじゃないですか?生活も不便になってしまいますよ?」
男はエゴに満ちた話に嫌気がさして、深くため息をつき灰崎を睨みつける。
「はぁ……あの、早くしてくれませんか?」
「…………失礼致しました。それでは…そちらに横になって下さい。」
男は手術台に横たわり、これから無くなる指を目の前にかざして眺めた。
灰崎は麻酔の準備を終わらせて、手術台の前に立った。
「それでは、麻酔をかけていきます。良い夢を」
点滴から麻酔薬が投与され始めると、男の意識は徐々に遠のいていった。
これでやっと解放される。男は心底安堵した。
***
男は就職活動の為、家から少し先の横浜駅へ電車で向かっていた。
あれから数ヶ月たち、3本指の生活にもだいぶ慣れていた。日常生活で必要な事は概ねスムーズに行えるようになっていた。
そして、あの後すぐにピアノを辞めた。
指が無くなったのだからしょうがない。残念だ。と両親や先生や同期は言っていたが、腹の底では安堵しているに違いない。
気がつくと目的の駅に着いた為、電車をおりて改札へと向かう。
広い構内を歩いていると、ショパンのノクターン第2番が聞こえてきた。
男は久しぶりに聞くピアノの音に足が止まった。
音の聞こえた方に目をやると、ストリートピアノを弾いている女性がいた。その女性は、表情のついた柔らかな音色を構内に響かせていた。
男は面接まで時間がある事を確認して、ベンチに腰をかけた。
程なくして、ピアノの音が無くなると同時に拍手が響き渡った。
男は席を立ち、嬉しそうに笑いながら呟いた。
「俺に指があったら、あいつより上手く弾けるのにな」
男は指を失った事で、昔よりも生きやすくなったようだった。