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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

男爵令嬢アデリナの仇討ち

作者: ぴぴみ

母は、いつも優しく笑っていた。

穏やかで笑顔が可愛らしい人。


ウェルズリー男爵のご迷惑になることは、決して、してはダメよというのが口癖で、私はその言い付けをしっかり守ってきた。


目立たぬよう息を潜めて、働いた。冬になれば、あかぎれが痛み、危険な薬草を採取するため切り傷は絶えない。いつも娘の手とは思えぬほどにボロボロだったが、私は気にしなかった。


─側に母がいたから。


私たちは、男爵家の厄介者だった。何度、母に逃げ出そうと言ったか知れない。しかし母はいつも悲しげに首を振った。


外の世界では生きてはいけない、あなたはまだ恵まれている。

そして最後に決まってこう言うのだ。


「私たちが生きていけるのは、獣人保護法のおかげなの…」


獣人保護法─それは、この国シェラードで二十年前に施行されたもの。

当時シェラードは、有り余る武力を用い領土を拡大し続けていた。捕虜として、征服した国の民を持ち帰り、奴隷として働かせた。


そこには、母の祖国ベスティエも含まれた。

ベスティエの民は、シェラードの民と違い、獣の耳や尾を持っているのが特徴だった。


身体能力も高く、戦闘奴隷や愛玩奴隷として高値で取引された。ただし、酷使され死亡する者も多く、数は徐々に減っていった。


死なせず上手く活用できれば、国は更に発展するのではないか。

そう考えた国王が、獣人を保護するとは建前の『一家に一獣』を推奨するという法律を施行したのだ。


この法律のおかげなのか、獣人の死亡率はぐんと下がった。獣人がいる家は税が優遇され、貴族の家でも獣人を使用人として雇うのが世の習いとなった。


母が、ここウェルズリー男爵家に連れてこられたのもそんな頃だ。


熊の獣人であった母は、耳と尻尾がある以外は、ここシェラード国の民の者となんら変わらず、娘の私が言うのもなんだが、儚げな美女だ。


メイドとして働く傍ら、私を大切に育ててくれた。


しかし、大変な思いをしてきたのだと言われずとも分かる。今もあまり状況が変わっていないが、獣人に対する差別は未だ根強い。


嫌がらせは日常茶飯事で、食べるものも満足な量とは言えなかった。


終始お腹がすいていたが、文句は言えなかった。母が自分の分まで私に与えようとしてくれたから。


私は、いつの頃からか知っていた。

自分が母と誰の娘なのかを。


使用人が噂しているのを聞いてしまったり、私を視界に入れてしまったときの男爵夫人の態度、母の表情からなんとなく感じとっていた。


─私は男爵の娘なのだ、と。



「ほら、さっさと起きな。グズグズするんじゃないよ」


まだ日が昇りきらない内に、一切の躊躇なく叩き起こされた。


いつもより更に早く起こされたようで、寝入ってからまだ数時間しか経っていない。


慌てて準備を始めた私と母を嘲笑いながら、使用人の女が言う。


「私はもう一眠りするからそれまでに朝の仕事を全て片付けとくんだよ」


女は、『っとになんで私がこんな早くに』とぶつぶつ文句を言いながら去っていった。


「母さん、身体の調子、良くないんでしよう?私がやっとくから、少し眠って」


「心配性ねアデリナは。私なら大丈夫」


そうは言うものの、母の顔色は悪く、大丈夫なようには、とても見えなかった。


「やっぱり、この前から母さんが命じられてやってる、薬草採取がいけないんじゃない?私も手伝うから」


「あれは本当に危険だから、あなたは近づかないで」


母の珍しいほど真剣な顔に、私は何も言えなくなった。


「それに、奥様からの直々のご命令よ。止めることはできないわ」


悲壮な決意さえも感じるほど強く、母はそう言った。



朝の仕事を済ませると、運悪くアオイ様と遭遇してしまった。すぐさま脇に寄り、頭を下げる。


何事もなく通りすぎてくれることを祈ったが、やはりそれは甘い考えのようだった。


「やだ、(くさ)いと思ったら獣がいたのね!通りで臭うわけだわ」


鼻を手でつまむ仕草をしながら、私を軽蔑しきった目で見ている。この少女─男爵家の正式な娘であるアオイ様は、私を目の敵にしている。


血が繋がっているということを、知っているからなのかは分からない。だが、見つかれば嫌味を言われるのはまだ優しい方で、必ず手を出されていた。


「あら、あら?あなたのお耳はどこ?」


そう言って、私の頭の上に手を置いて、下へ下へと力を込める。


「母親と同じ熊の耳がないわよ?どこに隠しているの?」


私は、人と獣人の両方の血を引き、たまたま人の血が濃く出たためか、外見は完璧に人のそれと一緒だ。


熊の耳など元から持ちはしない。それを当然分かっているだろうに、アオイ様はどこからそんな力が、と驚くほどに強く髪を引っ張ってくる。


いつものことなので、目を瞑りながら黙って耐えていると


「こんなところに、いらないものが…」


耳に跡がつくほど爪を立てられた。


「…っ…」


思わず声が出そうになるが、唇を噛んで、

なんとか我慢する。


「─ふん」


飽きたのかアオイ様はそう言って去っていたが、ぼそりと言い捨てた言葉はしっかり私の耳に入っていた。


「汚らわしい、獣が…。」



直接言われるより、ずっとずっと、抜けない刺のように胸に残った。



──・・・


『アデリナ、よくお聞き。獣人には──』


私は、ハッと目を覚ました。何か夢を見ていた気がするが、覚えていない。懐かしい夢。あの声は誰のものだったか…思い出せない。


最近、眠りが浅いのか、すぐに起きてしまう。隣で寝ている母を横目で見やった。

ゆっくりと背中が上下している。よく眠れているようだと胸を撫で下ろす。


相も変わらず、母の体調は思わしくなく、顔も蒼白い。お医者様に診せたらと言うも母は首を縦に振らない。何もできない自分を不甲斐(ふがい)なく思う日々が、続いていた。


(母さん、一体何をしているの?)




─その問いに答えが出る前に、母の容態は急変した。



いきなり、倒れた、という。

その知らせを聞いたとき、私の背筋に冷たいものが走った。


慌てて駆けつけるも、母は、ちょっとドジっちゃったと言うだけ。心配しないでと笑っていた。


この時点では、やはり疲れがとれていなかったのだと、納得こそすれ、寝れば治るものだと思っていた。

どこか、楽観視していた。


しかし、それは間違いだった。

お金をかき集めて、かかった町医者は、嫌そうに母を見ながら言った。


「こりゃ、もうダメだな」


なんとかならないんですかと詰め寄ると、

手遅れだねと冷たい声で言われた。


「魔のモノに触れすぎたんだろう…。

普通ここまで酷くならねぇよ」





「なっ!!ちょっと止まりなさい!!」


同僚のメイドが腕をつかもうとするのをすり抜けて、私は奥様の前に飛び出した。


「奥様っ!!」


まろび出た私に奥様の冷たい視線が刺さる。

それに構わず口に出した。


「母に一体何をさせたんですか?」


「……」


無言で虫けらをみるような瞳で見られても黙ってはいられなかった。


「医者は、魔のモノに触れすぎたと言っていました。危険なことをさせていたのは分かっているんです…!」


「…それが?」


凍えるように冷たい声。奥様は言った。


「獣人を住まわせてやっている私たちに対して、よくそんな口の利き方ができたものね…」


「後でいくらでも罰を受けます。

ですから、どうか、教えてください!」


奥様付きの使用人に腕をひねり上げながらも、私は黙っていられなかった。


「…勝手に調べればいいでしょう」


結局無理やり引きずられ、離される。

最後に見えたのは、ほくそ笑むような顔をした奥様だった。




調べるにも限度があった。誰に聞いても答えてはくれない。知っている者も少ないかもしれなかった。


「母さん母さん!私を置いていかないでっ!」


「……」


最期は笑顔さえ浮かべられず、母はひっそりと逝った。

誰に顧みられることもなく。


母の墓とも言えない土くれを見て、私は誓った。手は痛いほどに握りしめられていた。


─復讐してやる



使用人服を脱ぎ、きらびやかなドレスに身を包む。


十六を越えた頃から、それは私の仕事の一つになった。


こういうときだけ、男爵令嬢として扱われるのだ。公式のものではない。何か後ろ暗いものを抱え、蝶の仮面を着けた者だけが集う夜会。


もちろん手入れなどはしないから、手は荒れたまま。髪には貴族のお嬢様方ほど艶がない。当然だ。


長い薄手の白い手袋で汚い手を隠すことはできても、正真正銘の貴族令嬢には、とてもなれない。

また、望まれてもいない。


これから始まるのは、単なる劇。

私は、見せ物に過ぎない。


**


「男爵、今宵の夜会も(たの)しみだよ」


グレーの髭を蓄え、仮面を着けた男が鷹揚に微笑しつつ言う。


「これはこれは…。久しいですな。ゆるりと愉しんでいかれませ」


この夜会では、男爵以外の名を口に出すことは禁じられている。

皆、匿名で参加している呈なのだが、お互いおおよその見当はついているのだろう。

男爵に簡単な挨拶をしていく者が、こちらに来ては、ちらりと私に目を向けて去っていく。


母が死んでから、まだ一年にも満たない。

なぜこんな汚らわしい家に留まっているのかと…そんなもの決まっている。


─仇討ちのための準備だ。



「男爵、この頃、羽振りがいいようですな…?」


嫌な視線を感じて私は、瞬間ぞくりとした。

黒いドレスをなめ回すような…。


「この娘のおかげ、ですかな?」


「ははは。さあ、それはなんとも…。

曲がりなりにも私の血をひく娘です。

獣とはいえね。そんな、酷いことはできませんよ」


男爵の口から思ってもいない言葉が漏れる。


─くそ野郎


奥歯をぎゅっと噛み締めて耐える。

今夜は、母の死の真相が分かるかもしれない夜会なのだ。

決して、波風を立てるわけにはいかない。


と、音楽が鳴り止み、男爵が合図する。

グラスに固いものが当たったかのような、金属音が響いた。


「皆様、いよいよお待ちかねのオークションのお時間です」


声を張り上げ、傍らの私の背を強く押す。

私は少しつんのめりながらも、舞台へと上がる。客席に座る者たちの視線が突き刺さる。


まだ、慣れない。あの、化け物を見るような好奇心(あらわ)な顔。


「まあ、あれが噂の…」


「そうそう、男爵もよく恥ずかし気もなく…。獣人と(ちぎ)ったのでしょう?」


「ふふ。むしろ誇らしいんじゃなくて?

武勇伝をよく語られているもの」


さざ波のように声が密やかに交わされている。私は口を開いた。


「お待たせいたしました。まずは、こちらから─」


どんな商品が出てくるのか直前まで知らされていない私は、舞台袖の使用人から紙を受け取り、読み上げる。


「東洋の島国の名匠がつくったという、骨董品。始まりは100万€から─」




男爵が、東洋狂いだというのは知られた話だ。自身のコレクションも凄まじいが、娘にも“アオイ”と名付けるぐらいである。


それも、東洋の島国の姫の名前だと誰かから聞いた。


─ふっ馬鹿馬鹿しい


オークションもまだ途中だというのに、私は口端を歪めて笑ってしまう。


─どこかのお姫様も可哀想に


性悪な女と同じ名前をつけられて、あの世でさぞかし迷惑していることだろう…。


私が、徐々につり上がっていく(あたい)を聞きながら、冷めた目で見つめる中、次々に品物は売られていく。


いよいよ最後の品となって、高らかな音楽が会場を満たし、人々の興奮が(いや)が応にも高まっていくのが分かる。


どうせ、大したものじゃないと手渡された紙を読み上げる。


「それでは今宵一番の貴重な品。

一滴でどんな異性もイチコロ─」


私は、次に目に入った文に一瞬呼吸を止める。しかし、のろのろと読み上げた。


「………媚薬の中の媚薬。


…皆様、獣人の間にだけ伝わるお伽噺(とぎばなし)をご存知でしょうか?」


いきなり話し始めた内容に、客席から訝しげな声が聞こえる。平静でいられない。

しかし、読み上げなくては…。


私はその使命感で口を開いた。


「獣人には運命の(つがい)というものが存在します。彼らは、互いを唯一の存在として生涯を共にするのです。」


馬鹿にする声が聞こえるが、気にしない。

それどころではなかったから。


「─そしてこの薬は、獣人だけが見つけられる薬草からできた禁忌の薬。

…相手に自分が運命の番─相手だと誤認させるもの。それを作る獣人の、命を蝕む…ほどに強力な力。

始まりは1000万€─」


最後はただ、機械的に読み上げていた。

分かってしまった、いやわざと分からされてしまったから。


私が、母の死の真相を探っていることを知っていて素知らぬ顔で、こんな場で答えを提供する。


─彼らは私を獣と蔑むが、獣にもちゃんと

心はあるし、生きている。

一体、どちらが、化け物なのか?


それを教えてあげないとねと、私は噛み締めて切れてしまった唇の血を拭い、仮面の下から睨み付けた。


この復讐の炎は、男爵家を討ち滅ぼせたとして、果たしておさまるのだろうか。

一抹の不安を抱えるも、歩みだした足は止まらない。


これが、運命だというなら、くそくらえだ…。


一年に満たない間だが、準備はしてきた。

死ぬより恐ろしいことなど、この世にいくらでもある。


見ていてね?母さん。

私がきっと、(あだ)を討つから。





アオイは近頃、社交界の噂の的だ。

─第一王子の気に入りとして…。


「ご覧になって?ほら…あそこ」


「まぁほんと…」


令嬢たちも表だって意見を言えないものの、眉を潜めてひそひそと話し出す。


「身の程知らずが…!」


中には、吐き捨てるように口に出す者もいた。

それもそのはず。アオイは貴族の末席に身を連ねているとはいえ、とてもではないが第一王子と釣り合う身分ではない。


ただの男爵令嬢に過ぎないのだから。


加えて、王子には正式な婚約者が存在する。この国を古くから支える公爵家─その血筋をひく令嬢シャーロットという…。


しかし、彼女と王子との仲は冷えきっていると(もっぱ)らの噂だった。


シャーロットの革新的で、はっきりとした物言いを王子は嫌っているらしく、公の場でも口論している姿をあちこちで目撃されていた。


とはいえ、その二人の間に泥棒猫が割って入るのを許せるわけがない。シャーロットだからこそ、王子の相手として許せるのだ。


年頃の令嬢たちも夫人も皆が、ひらひらとしたレースの扇で顔を隠しながら、鋭く睨み付けている。だというのに、アオイはどこ吹く風だ。


「ギルフォード様、ここは騒がしいですし、裏庭に行きません?」


しなだれかかったアオイの腰を支えながら、ギルフォードは頷いた。


ギルフォード王子の瞳は、熱に浮かされたように甘く細められていて、それほどあの娘にご執心なのかと皆を落胆させたが、いずれ目を覚ましてくださるだろうと、周りはそれだけを思っていた。


─だから気がつかなかった。

それが、恐ろしい媚薬の効果であるなど。


あの夜会に参加した者は、もしかしたら気づいたかもしれないが、口に出すことなどできはしない。


違法の品々を扱う集まりに参加していたと、自ら暴露してしまう行為に、他ならなかったから。



「ねぇ?ギルフォード様、私に口づけて?」


裏庭の花々も今の時間は闇に埋もれ、月明かりだけが照らす中、アオイはだらしなく、ねだる。


「アオイ…アオイ」


「……ん」


(これで、王子は私のもの。媚薬の原液は、効き目が強すぎるから適度に薄めて使って正解。

まあ、そんなもの無くても、私の溢れる魅力から王子は抜け出せないでしょうけど…)


オークションで売り払ったのは、原液をかなり薄めたもの。


(お父様には、たとえお金になるとしても、売るべきではないと言いましたのに…聞いてはいただけなかった。薬の調合については、我が家の、ウェルズリー男爵家のお家芸。

秘宝とも言うべきものですのに…。)


それで、祖先は貴族に成り上がった。秘められた薬の製造方法を知るのは我が家だけ。


それでも尚、自分は無敵だと、アオイは愉しげに微笑んだ。




この一年、薬の知識を地道に蓄えてきた。

使用人としての仕事もあるため、ただでさえ少ない睡眠時間が、更に削られていったが構わなかった。


復讐だけが、私の生きる意味だった。


それにも、もしかしたら無理があったのかもしれない。体は私の想いとは裏腹に限界を迎えた。


使いに出された店先で、私は無様にも(うずくま)ってしまったのだ。


「おい、大丈夫か?」


「…はい。お気に、なさらず…。すぐに(おさ)まります」


声を掛けてくれた男には悪いが、私には時間がない。すぐに立ち去ろうとすると、


「そんな蒼い顔して、何、言ってんだ?」


力強い腕に捕まった。

私は、溜め息をついて親切な男に向かって言った。


「本当に有難いのですが、そんなに親切にして、あなたきっと後悔しますよ?


だって私…獣の血をひいてますから…」


きっとこの男も逃げ出すだろうと思った。

汚らわしいと腕を振り払うかもしれない。


しかし、すぐにこの場を離れようと身を(ひね)るも、どういうわけか上手くいかない。


男と目が合った。


「それが?見たところ耳も人と同じだし、

獣人とのハーフってところか?」


「…分かってるなら早く─」


「だから、それがどうしたと言ってる。

具合が悪い者を助けるのに種族が何か関係あるのか?」


男の言葉に唖然とした。

そして、気づく。


「…あなた、この国の人じゃないでしょう?」


「ああそうだ。だが今は、自己紹介は後だ。無理矢理にでも休ませる」


男はそう言って、私を横抱きにする。


「な、なにを!?」


「いいから黙ってろ」


有無を言わさず連れていかれたのは、どこかの安宿だった。


初めは暴れたものの、びくともしない腕に諦めた。噛みつこうとも思ったが、さすがにはしたない。


徐々に冷静になり始めた私は宿のベッドに優しく下ろされたタイミングで、口を開いた。


「宿に連れ込んで一体どうするつもり?

まさか…」


自身の体を守るようにぎゅっと身構える。


男は慣れた様子で、宿の主人に金を出し、

私を連れ込んだ。後ろから、『お熱いね』と声をかけられ、どれだけ恥ずかしかったことか…。


まだ、男の性格を掴めないが、女を連れ込み慣れているのだろうか。

私が、じっとりと見つめると


「おいおい誤解しないでくれよ。何もする気はねぇよ。」


害意が無いと示すためか、両の手の平を私に向ける。


「宿にはよく泊まるんだ。その国のことが、よく分かるしな」


男の無邪気な笑みに不覚にも毒気を抜かれた。

はぁぁと深い溜め息一つ。


「すぐ、戻らなきゃ。まだ、仕事が残ってるから…」



「急ぎなのか…?」


男の問いに私は頷いた。

しばらく考えこんでいたようだったが、男が言った。


「分かった。

お前にもお前の事情があるよな。

だが、このまま帰すのは心配だ。薬を持ってるから飲んでくれ」


そう言って手渡された薬を見て、私は驚く。


「こんな高価なもの、もらえないわ!」


一目で分かった。万国共通の体力回復薬だ。安いものでもそれなりの値段がする。


「いいから、受けとれ。

ここで会ったのも何かの縁だ」


「でも…」


「あんまりにも言うこと聞かねぇと、キスしちまうぞ?」


「なっ最低!」


私は、渋々受け取った。


男と別れ、私は、帰りが遅かったことに対して体罰を受けたが、心は別のところにあった。


─あの人の名前、聞かなかったな


そんなことを、ちらとでも考えた自分に驚いた。

緩みそうになっていた気持ちを慌てて立て直し、復讐に目を向ける。


─今日のことは忘れないと


**


そんな私の決意を嘲笑うかのように、外に使いに出る度、鉢合わせるようになった。男がどこかから嗅ぎ付けているのだろうか。


「また、あなたなの?」


「おう!一週間ぶりだな!」


いつも元気な彼らしく、快活な笑顔を浮かべているが、今日は何かが違った。


息を吸い込むと微かに血の匂いがする。


「…あなた、もしかして怪我してる?」


「よく分かったな!確かにさっき喧嘩を止めた時に、腕を切っちまって。

ま、こんなのかすり傷だが」


男が腕をまくって、傷口を見せる。確かに少し切れただけといった感じだ。


しかし、見た瞬間、私は動きを止めた。

甘い甘い匂い。

なんだか、とってもいい香り…。

引き寄せられる。


「おい!どうした?」


気づけば男の腕に顔を近づけていた。


「な、なんでもないの!ごめんなさい!」


私は、今、なにを?


あまりの事態に頭が(ゆだ)ったように沸騰する。恥ずかしくて男の顔が見られなかった。


人生で一番という速度で走り去り、私は男から大分離れたところで一息ついた。


先程の自分は、おかしかった。

次にどんな顔して会えば?


うぅと唸るも解決策はない。私はトボトボと屋敷への道を歩いた。



─深夜


身体が(うず)いて、目が覚めた。

こんなことは、今まで一度もなかったことだ。


「はぁ…」


頭に浮かぶのは昼間の光景。甘い香り。男の顔。

身体が自然、熱くなる。


まさか、発情しているのかと考え首を振る。私はそんな女ではないはずだ。

目を(つむ)って、身体を小さくし、衝動がおさまるのをひたすら待つ。


窓から見える月の位置は、まだ高い。

夜は、長そうだった。




その日、ウェルズリー男爵邸は邸全体が活気づいていた。

第一王子が、屋敷を訪れることと相成ったからだ。


「でかしたぞ、アオイ。さすが我が娘だ」


一国の王子が、下級貴族の私邸を訪ねるなどめったにないことだ。男爵は喜色満面の笑みを浮かべて、娘を誉める。


「私の力をもってすれば、このようなこと

造作(ぞうさ)もないことですわ」


「ふふふ。本当にあなたは、すごいわ」


夫人も誇らしそうに娘を見つめる。


使用人は早朝から、掃除や料理の最終チェックに追われ、息をつく暇もないぐらいの忙しさだ。

加えて男爵夫人とアオイの身体を磨きあげる必要もあった。


全てを終わらせ、後は王子を待つだけという段階になっても、気は抜けない。


アデリナも当然、朝から駆け回っていた。


一大イベントとばかりに、浮かれている周りを冷ややかに見つめる。それからすぐに王子がやって来るという時間になった。


ポケットの中身を握りしめる。

()()が確かにそこにあることを確認して、アデリナは持ち場に戻った。


アデリナの嗅覚は、獣人の血が混ざっているためか、常人より鋭敏だ。食すまでもなく、かぎ分けられることもあり命に別状はないが、貴人の(おとな)いの際には、毒味役を命じられることも多かった。


アデリナが問題ないことを伝えると、給仕する使用人が食事を運んでいく。


彼女は近づけない。食事の席に近寄れるのは、下僕と言われる使用人の男だけだったから。


彼らの誰かを買収することも考えた。

しかし、望みは薄く、どうしようかと悩んでいると、敵方から歩み寄ってきてくれた。


自分が幸せな姿を見せつけたいのか、メイドとして王子が寛ぐ客室への入室を許可されたのだ。


食事後の、しばしの休息。ギルフォード王子は用意された客室に既に案内されている。


アデリナは盆に紅茶を入れるためのティーポットとカップを2つ乗せて、ノックした。


返事があり、入室するとアオイが王子の膝の上に乗っていた。

気にせず、カップに湯気のたつ紅茶を注ぎ込む。


トポトポと茶色い液体が、カップを満たしていく様を、じっと見つめた。


二人はまるで、アデリナのことなど見えていないかのように話し続けている。


使用人に気を遣う必要などないので当然だが、まるで見せつけるかのようにベタベタと王子の身体を触る様は醜悪だった。


二人の前にそれぞれカップを置く。王子は礼も言わずに一口含んだ。それを見て退室するまで、アオイの瞳がずっと追いかけてきている気がした。


私とあなたとでは、天と地ほどの差があるのよ?


その目からは、嘲りの感情が多分(たぶん)に見てとれた。


廊下にてアデリナは考える。


─幕は切って落とされた。さあ、復讐の始まりだ。



母が死に、屋敷にいる獣人が減ったことで、すぐに新たな獣人─クラリッサが雇われた。


税の優遇かなんだか知らないが、恐ろしい媚薬を作らされ、いずれ弱って死ぬだろう獣人をまるでモノのように扱い、補充する。


母のことは、男爵夫人の悪意があっただろうが、今後は決して殺し過ぎないように獣人を管理するだろう。


あまりにも立て続けに獣人を失えば、外聞が悪いというのもある。


そうして利用し尽くすのだろう。


それが、許される世の中への嫌悪は日に日に高まっていく。


クラリッサが来てすぐには、母を失った悲しみから立ち直れず、声を掛けられなかったが、今は無二の親友と言ってもいい仲だ。


お互いに悩みを打ち明け、励ましあってきた。あのオークションの日、真相を知って私はすぐさまクラリッサの元に赴いた。


蒼褪めながら聞いていた彼女は、言った。


「─私にできることはある?」


以来、二人で協力してこの屋敷の闇に踏み込んできた。


媚薬の原液の場所もつかんでいる。

自分の側が一番安全だと思っているのか、男爵の書斎に隠されていたのだ。


クラリッサが、ここに来る前身につけたという見事な鍵開けの技術を披露し、取り出してくれた。


一滴で我を忘れ、相手のことを常に考え続けるようになる禁忌の薬。


この薬を私は利用することにした。


「王子に使ったらどうかな?」


私が提案するもクラリッサは渋い顔をする。


「バレたら殺されるより酷い目に遭うよ。

それに、王子に近づく機会がないし…」


「確かに一国の王子にそう易々と接触できないよね…。でも、なんとかなるって思うんだ!

この頃アオイにも媚を売って、釣り合うのは王子ぐらいですね…とかなんとか言ってきたから。あの馬鹿なら薬を使ってでも自身の(とりこ)にしようって考えるんじゃないかな?」


「そんなこと、してたのね…」


クラリッサは私がアオイと呼び捨てても悪し様に言っても眉を潜めることはない。

彼女の前では上手く息ができる気がするのだ。


「でも、そんなに上手くいくかしら?」


彼女の懸念は、(もっと)もだったが、天は私に味方した。


無事に紅茶に混入させ、口に含んだ姿を確認したのだから。


いずれ毒殺しようと勉強した薬の知識が役に立つ。クラリッサに与えられた、媚薬の調合方法について書かれた紙を読み込んだ。


それを少しアレンジして、より使い勝手のいい薬に変える。


─効果はもう出ているだろうか?


私は、高揚していた。

これから起こる展開を想像して。


今から、とても愉しみ。




きらびやかな会場。

心を沸き立たせる音楽も、豪華な料理もただこの日の夜会のためだけに。


王家の者までもが参加するこの日、アオイは第一王子にエスコートされていた。


本来の婚約者である公爵令嬢は、我関せずといった態度だ。現に興味などないのだろう。

むしろ、周りの取り巻きたちの方が、いきり立っている。


「よくも…まぁ」


「シャーロット様に失礼だとは思わないのかしら」


「下品な…」


そんな声に構わず、第一王子は突如として自身に注目を集めさせた。


何が始まるのかと、視線が一斉に集まる。


傍らにアオイを侍らせ、王子は言った。


「この場を借りて、皆に伝えたい。

重要なことだ。─その前に皆に感謝の気持ちを込めて、葡萄酒(ぶどうしゅ)を振る舞おう」


ギルフォード王子が合図すると、段取りになかったことだとは微塵も感じさせない動きで、使用人が出席者の貴族たちにグラスを渡していく。


酒が飲めない者には、葡萄ジュースが用意されており、すぐに全員に行き渡った。


それを確認して王子は再び口を開いた。


「では、この素晴らしい日に乾杯!」


「「乾杯!!」」


グラスを高らかに掲げ、皆、一気に飲み干す。量もそんなに無く、また飲みやすいものだったのですぐにグラスが空になった。


「皆が憂慮しているだろう、婚約者について今日、はっきりさせたいと思う…!」


傍らにいる、アオイの目が期待で輝き出す。


「私は、ウェルズリー男爵家の娘を妻に迎える。紹介しよう─




我が愛しのアデリナを。」


王子が言うと同時に、アデリナが顔を出した。髪を高く結い上げ、形のいい耳にはシャラリと揺れる真珠のイヤリング。


真っ赤なドレスに身を包み、進み出る。

全て、王子が用意した一級品。

アデリナは、堂々と王子に近づいていく。


王子はそこで初めて、アオイの背を乱暴に押した。


「きゃっ…!!ど、うして?」


困惑しているのが、ありありと分かる瞳で、すがるように王子を見るが、彼は一瞥(いちべつ)すらしない。


「そこは、アデリナの場所だ。彼女が言わなければ、お前のような女など側には寄らせなかったものを…。」


そして、しっしっと虫を払うように追い払った。


「アデリナ…」


王子が愛しげにアデリナを見つめる。


どうして、その場所にいるのは、私…だったはずなのに?


まだ思考が追いつかない中、王子がアデリナを抱き寄せようとする。


その手からするりと抜け出して、彼女は言った。


「ご紹介にあずかりましたアデリナと申します。私は、皆様が蔑む獣人とウェルズリー男爵との間に生まれた娘でして…。おそれ多いことではごさいますが、殿下から寵愛を受けています」


獣人という言葉に周りから悲鳴が上がる。


「そして、ここにいるアオイは王子の情婦です。ふふ。我が家の恥を(さら)すようで、こんなこと、本当は言いたくないのですけれど…」


「なっっ!」


アオイが私を止めようとするより早く、私は言った。



「私、実は…全く殿下に興味がないのです。一方的に言い寄られて迷惑していたのですわ。ですから、皆様ご安心なさいませ。

私が、未来の王妃などになることは、決してありませんから」


そう言って、くすりと笑った。


周りは、ほっとすればいいのか、獣人ごときに馬鹿にされて怒ればいいのか、悩んでいるようだった。


あちこちで顔を見合わせている。


「な、何を言うんだ!?アデリナ!

私を捨てるのか?」


無様にも私の足にすがり付く王子を足で蹴りつつ私は思う。


さすが、媚薬の原液。王子にとって私は運命の相手で、一生、私に囚われるのだろう。


いい気味だとは思うが、好きでもない男に言い寄られても、気色悪いだけだ。


その気持ちを隠さずに私は言う。


「汚い手で私に触らないでくださいます?

ほら、周りの方も手伝ってくださいませ」


いくら罵倒しても離れない王子に業を煮やした私は、王子をただのミノムシだと思うことにして、そのまま最後のショーを始めることにした。


時折、王子の顔を蹴りながら。


動けない周りの貴族どもを睥睨(へいげい)して私は、話し出す。


「そういえば、皆様、先程の葡萄酒はお気に召しました?私が腕によりを掛けてつくった薬が入っていますのよ…


効果が出るまで一日と少し。お愉しみくださいませ。私たちは同類になるのです」


「…どういう意味だ?」


勇気ある貴族が私に問う。


「どういう意味も何も。ただ獣人になるだけですわ」


「獣人に!?どういうことだ!?説明しろ!」


「あらあら、私にそんな態度をとってもいいと思って?つくったのも私なら元に戻せるのも私だけですのよ?」


「そ、そんな…」


周りの貴族が皆、蒼褪める。そこには、既に傀儡(かいらい)としての役割しか果たせぬ王もいた。


「その娘を捕らえろ…!」


誰かが、命じた。


こうなることは、分かっていた。


獣人になる薬というのは全て嘘だ。

もちろん効果が表れるまでの時間についても。

そんなもの、つくれはしない。


今まで蔑んでいた者になってしまったという恐怖を一瞬でも味わわせたかった。

それは、今いる場所がガラガラと崩れだす程の凄まじい恐怖だろう。


嘘とは言え、全てのグラスに媚薬の原液が入っている。彼らは程なくして私を愛すだろう。


皆、私の操り人形。

奴隷にするも、モノとして売り飛ばすも私の思いがまま。


でも、なぜだろう?思ったより愉しくはない。


ほら。私を捕らえようとする者たちの前に貴族どもが立ちはだかる。もう薬が効き始めたのか。


アオイが私をうっとりと見つめる視線には笑ってしまう。

私はにっこり笑って彼女に告げる。


「みっともないわね。でも、安心して…。

私があなたを導いてあげる。

獣人専門の娼婦…それもいいと思わない?」


困惑する警備の者たち。

命令を取り下げる貴族。

ふと、その場で一人異質な者がいることに私は気がついた。


目が合う。


「─あなたは…」


「よお!久しぶりだな!」


男の場違いに明るい声が私の胸にそっと染み渡る。


「どうして、ここに?」


私の醜い姿をずっと見ていたのだろう。軽蔑してもおかしくはないのに、男の瞳にそんな感情は見えなかった。


「言ってなかったか?俺は、こんなでも他国の王族なんだわ。ま、第五王子だけどな。

国では、放浪王子って呼ばれてる」


男の身分を知って、私の手には届かない存在だと強く認識する。


「…それはそれは…。今までのご無礼お許しください」


私が頭を下げようとすると、男が慌てて止めた。


「やめろよ。いきなり畏まるな。お前にそんな態度とられても気持ち悪ぃだけだ」


変わった王子だとぼんやり見つめる。


「葡萄酒、飲んだのでしょう?」


「ああ!さっきのあれな!旨かったぜ!」


「─そうではなくて…獣人になるって言ったの聞いてなかったんですか?」


「あれ、嘘だろ」


男が間髪入れずにそう言った。


「俺は、別に獣人になっても困らねぇし、むしろもっと強くなれんなら歓迎だ。

だが、お前の目、見てて思った。あれは試してる目だってな」


「……」


よく、見ている。

私は男の意外な観察力に驚いた。


「…確かに嘘よ。でも、薬を入れたのは本当。今後、あなたは私に逆らえなくなるって言ったら、どうする?」


「?なんともないぜ」


「そんなはずないわ。私を運命の相手だと誤認させる薬が入っていたのよ。

私のことを好ましく…思ってるんじゃない?」


なぜだか、恥ずかしくなりながらそう言うと男は言った。


「元から好きだから、変わんねぇぜ」


「は?」


思わず真顔になった。


「?何かおかしなこと、言ったか」


「全部おかしいわよ!私がどれだけ醜い心根をさらけ出して、復讐したのか、その目で見ていたでしょう?」


「それがどうした?」


いつかのときと同じように男は、首を傾げる。


「あれだけのことをしたんだ。いろんな苦しみがあったんだって、見ていて伝わってきた。

復讐することが悪いことだと、俺は思わねぇ。必要悪だろ?」


私は、それでもまだ納得できない。


「で、でも性格が悪い女は見苦しいでしょう?」


「別にいいんじゃねぇか?俺は、好きだぜ」


「人じゃない血が混ざってるし…」


「それは、前言った。別に気になんねぇ。

茶色い髪もルビーのような瞳も全部綺麗だ」


男の真っ直ぐな視線に射竦められる。

もう、抗えなかった。

先程から漂う甘い香りも、優しい笑顔も、声も愛しくてたまらない。


「もう…!」


「おわっ!」


私は、男の手を引き、無理やり休憩部屋に連れ込んだ。


「いきなり、どうした!?」


男が困惑した瞳で私を見つめる。余裕がない私は、男をベッドに押し倒していた。


「…今さらだけど、あなたの名前は?」


「あ?バルトロだけど」


「そう…。ねぇ、バルトロ。私、やっぱり獣の血をひいているみたい。だって本能に抗えそうにないんだもの…」


「そりゃどういう…?」


男が何か言う前に、私は口づけていた。


男の口内に無理やり舌をねじ込み、蹂躙する。


「ちょっ…待て」


男も初めは戸惑っていたが、徐々に興奮してきたのか私の身体をなぞり出す。


それから暫く引きこもった。

しかし、まだ熱はおさまらない。


(くすぶ)る身体を持て余し、男が泊まる部屋にまで連れて行かせた。


─まだ日が昇る前の、朝とも夜とも言えない時間


私は、口を開いていた。


「…もう、離さないから」


「望むところだ」


くすくすと二人笑い合う。


「それで、仕返しは終わったのか?」


私は、男に母のことを話していた。


「まだよ。薬の原液を入れたとはいえ、瓶に入って大分薄まっていたわ。いずれ、一月もしない内に、皆、夢から覚めるかもしれない。

でも、その後で、男爵一家にはお仕置きするつもり」


「くく…悪ぃ顔」


「でも、そんな私も好きなんでしょう?」


「まあ、そうだけどよ」


私は、最後に、バルトロにずうずうしいお願いをすることにした。


「ねぇ──」




薬の効果が切れたとき、アオイと男爵夫妻は縄で縛られ、薄暗い場所に寝転がらされていた。


そこに、ズンズンと重い足音が近づいてくる。


男爵が言った。


「一体、これはどんな状況だ?」


「わ、分かりませんわ。ただ、ここはひどく寒い…」


そう言って夫人は、自身の身体を抱き締める。


「お父様、お母様、私、ずっと悪い夢を見ていたのでしょうか?

ギルフォード様がアデリナなんかを─」


アオイは最後まで口にすることができなかった。いきなり大柄な豚や熊や馬の獣人たちがぞろぞろとやって来たから。


「お!こいつらか!好きにしていい奴らっていうのは…」


「ああ、だが殺すなよ?」


そう言って、拷問器具を手に、にやりと笑う。

その歪んだ顔は、恐怖を引き出すには十分だった。


震えながら『ぶ、無礼者。私たちを誰だと…』と話しかけるが、彼らは可笑しそうに笑うばかり。


「誰からやる?」


「じゃあ、俺たちから!」


そう言って、豚の獣人3人が前に進み出た。


「お前たち、運、いいな。俺たちは優しいぜ?」


そう言って、その有り余る腕力で、虜囚となった彼らの衣服を引きちぎる。ボタンがパァーンと弾け飛んだ。


「いやぁぁぁぁぁーーーーー!!!」


「誰か!!!」


「ここから出してくれーーー!!!」



彼らの叫び声は地上の誰にも届かなかった。




「なぁ?そろそろ俺が上になってもいいんじゃねぇ?」


「い、や!」


「ちっ!強情だな」


アデリナとバルトロは、ベッドの上での主導権争いをしていた。


「言うこと、聞いてやっただろ?」


「…それは、そう、だけど」


アデリナは男に頼んで、この国─シェラードを征服してもらっていた。


男の祖国は、あまりに簡単に事が運んだことに驚いただろうが、もう既に公的な書類は取り交わしてある。


シェラードは地図の上でも、国として消滅した。これからは男の祖国の一部になる。


「でも…」


「往生際が悪いぞ?たまには好きにさせろ!」


そう言って笑う男も、仕方ないわねと苦笑するアデリナも、どちらも幸福に包まれていた。


彼女の中から完全に悲しみが癒えることはないかもしれない。が、側には支える男がいる。


復讐は何も生まないなどと誰が言ったのか。少なくとも彼女が今、笑えているのは仇討ち(しかえし)したからに他ならなかった。







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