おもてなしの樹
その樹が生えていたのは、山の深い深い場所の森の中でした。
その頃の樹はまだそんなに大きくなく、周りの木々に圧倒されるような存在でした。枝は細く、幹も頼りなく、その上幹の真ん中にはポッカリと小さなうろが空いているのでした。
樹はいつでも他の木にあこがれていました。もっときれいな花を咲かせたい、もっと美味しい実をならせたい、もっともっと大きくて丈夫な木になりたい。
その為には、一体どうすればいいんだろう。樹は毎日そんなことを考えていました。
ある夏の終わりの日のことです。
森に、激しい嵐がやって来ました。強い風がびゅうびゅうと吹き荒れ、雨も横殴りにざんさか降って来ます。樹はその中で踏ん張って、必死で立っていました。
そこへ、一羽の小鳥が吹き飛ばされるようにしてやって来ました。
「嵐のせいで帰れません、嵐が去るまでここに居させてください」
「いいとも、ここに入るといいよ」
樹は、自分のうろに小鳥を入れました。うろの中は、狭いけれども激しい風雨をしのげる場所に思えました。
そのまま樹は、一晩中嵐の風雨を耐え続けたのでした。
次の年の春。
樹の細い枝の先に、きれいな花が一つだけ咲きました。心なしか、樹自体も少しだけ大きくなっているようにも思います。
これはきっと、あの嵐の時に小鳥をうろの中に入れてあげたのが良かったのだろう。樹はそう思いました。
お客様をお迎えして、おもてなししたら、もっと大きく立派になれるかも知れない。樹は、なんだかわくわくして来ました。
まず初めに、うろの中にふかふかの苔を敷き詰めました。こうしたら、この中にいても気持ちよく過ごせるだろう。
それからの日々、樹はお客様が来てくれるのをひたすら待っていました。
秋になって、花の咲いていた枝には実がなりました。ぷくりと丸い、美味しそうな実です。
「おや、こんな所に美味しそうな実のなっている樹があるぞ」
そこにやって来たのは、一匹のリスでした。リスはちょろちょろと枝の先まで行って、実をもぎました。樹はリスに思い切って声をかけました。
「やあリスくん、ようこそ。ぼくのうろの中で休んで行かないか?」
「え? いいのかい?」
「もちろんだよ。その実を食べて、ゆっくりして行きなよ」
「じゃ、お言葉に甘えようかな」
リスはちょろちょろとうろに入って行きました。中は苔の絨毯が敷きつめられていて、ふかふかです。
「うわあ、すてきな場所だなあ」
リスはさっそく、実を食べ始めました。
「美味しい! とっても美味しいよ」
あまりの美味しさにリスは夢中になって、あっという間に実を全部食べてしまいました。お腹いっぱいです。
「……なんだか眠くなっちゃった」
さやさやと、優しい葉ずれの音が聞こえて来ます。リスクはこてんと横になると、そのままくるりと丸くなって眠ってしまいました。くうくうと、小さな寝息が聞こえます。
樹はリスがゆっくり眠れるように、子守唄のような葉ずれの音をずっと奏でていました。
冬を越して次の春が来ると、樹はもっと大きくなっていました。花も、三つに増えていました。
「やっぱり、お客様をおもてなししたからだな」
樹は嬉しくなりました。これからもどんどんおもてなししなきゃ。樹が大きくなったのと同時に、うろも少し大きくなっていました。これなら、リスや小鳥よりも大きな動物ももてなせそうです。
それからも、樹の元には様々なお客様が来ました。リスやモモンガ、ウサギやタヌキ、キツネと言った小さな動物達が樹の元を訪れました。
樹はみんなをもてなす為に、色々な工夫をしました。春にはきれいな花をたくさん咲かせ、夏には日差しをさえぎる葉を繁らせ、秋には美味しい実をならせ、冬には寒さをしのぐ為にうろ穴をなるべく深くしました。
それだけではなく、葉っぱからはさわやかないい匂いがするようにしたり、喉を潤せる甘い樹液を出したりもしました。そして、葉ずれの音は、常に子守唄を唄うように優しくさやさやと鳴っているのでした。
そんな日々を送っているうちに、樹はどんどん大きくなって行きました。背も高く、幹も太く、うろも大きくなり、樹はいつの間にか森の王様のようになっていました。
しかし、時が経つに連れ、動物達の姿はだんだん森から見えなくなって行きました。その代わりに、人間が森に現れるようになりました。
人間達は森の近くに村を作って住み、時々森に入って来ました。もちろん樹は、人間がやって来た時も同じようにもてなしました。
村の人間達は、樹を森の神様のように思っていたのか、他の木を切ることはあってもこの樹だけには手をつけませんでした。時にはこの樹の前で祭をすることもありました。
村が大きくなって町になる頃にはそんな風習もすたれて来ましたが、やはり樹は切られることもなく、そこに立ち続けていました。
樹は相変わらず、迷子になったらしい人間や動物がやって来た時に、彼らをもてなしていました。
どれだけの月日が経ったことでしょう。
ある日、遠い遠い国で戦争が起こりました。戦争はあっという間に世界中を巻き込み、世界のどこにも平穏な場所はなくなってしまいました。毎日世界のどこかで爆弾が爆発し、街が焼かれていました。
樹の生えている森にも、たくさんの爆弾が落とされました。森も、近くの町も、全てが炎に包まれました。
炎から逃れようと、何人かの人や何匹かの動物が樹の所にやって来ました。樹は、その全てをうろの中に迎え入れました。
しかし、樹自体にも炎の手は伸びていました。葉は燃え上がり、枝は焼け、幹は焦げて行きました。
それでも、樹は倒れることはありませんでした。樹はひたすら、その場に立ちつくしていました。
それから──
また、何年も時間が経ちました。
世界は全て焼き付くされ、樹の周りには何もなくなっていました。樹を訪れる者は、人間も動物も、もう誰もいなくなってしまいました。
(でも、寂しくはないよ)
樹は思っていました。
(ここでぼくがまだ立っていられるのは、今までもてなしたみんなのおかげだから)
樹は、今までもてなしたみんなのことを思い返していました。そして、いつかまた、誰かをもてなす時を夢見て、日々変わらずそこに立っていました。
その時。
空から、ピカピカと光る船がやって来ました。船は樹の近くに降り立ち、中から銀色に光る人が出て来ました。
この人は、他の星から来た旅人でした。戦争で滅びた星を見つけ、調べてみようとやって来たのでした。
『おや、驚いたな。滅びてしまった星なのに、こんな大きな樹が生き残っているなんて』
旅人が近づいて来るのを見て、樹は自分の体を確かめました。久しぶりのお客様です、ちゃんとおもてなししてあげないと。
焼けてしまった葉や幹は、ほとんど元のように治っています。いい香りはまだ出せるし、樹液も出せそうです。
(さあ、いらっしゃい、お客様)
樹はさやさやと葉ずれの音を奏で始めました。
(小鳥さんや、リスさんや、ウサギさんや、たくさんの動物達や人間達が、みーんなぼくの中で君を待っているよ)
子守唄を思わせる葉ずれの音に、何となく旅人は眠気を感じました。旅の疲れが出たのかも知れない、と旅人は思いました。そのまま誘われるようにうろの中に入って行く旅人を、樹は喜んで受け入れたのでした。
意味がわかると怖い童話でした。