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あいさつの壁 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 いやあ、今年もいよいよ終わるわね、つぶらやくん。大変お疲れ様でした。


 ――え? 今から新年のあいさつのことを考えると、気が重い?


 ふーん、そんなもんかしら。男子を見ていると、ときどき見かけるのよね、気安さ重視の考え方。

「よっ」とか「ちいーす」で始まって、そのまま本題に入っていくこと。最悪、いきなり会話を始めることさえいとわない。そんな不精というか砕けたというか、許されるなら靴を脱ぐ手間さえ惜しく、家の中へ上がり込んでいきたがるって感じ?

 時間の亡者かと思うほどの、横着さえ感じるわ。この、気でも触れたかと思う情熱が垣間見えるの、男子の恐ろしいところよね。

 

 ――は? 女子の怪人二十面相の怖さに比べたら、可愛いもの?

 

 まあ、それはウエポンだし。いろいろな意味で、全身最終兵器なもいるわよ。友達に。

 少なくとも私のグループじゃ、あいさつは絶対条件。忘れたらハブじゃ済まないかも。だって人間関係って大事な砦だしね。

 ……ああ、そうそうつぶらやくんの言葉で、前に聞いた話を思い出したわ。あいさつをめぐる不思議な体験の話をね。良かったら聞いてみない?

 

 その子もお正月になると、君のようにあいさつまわりにうんざりしていたみたい。

 親のつながりで、両親の家以外にもいろいろな家を回らなきゃいけなかった。三が日をかけるこのお出かけ詰めと、「あけましておめでとう」のあいさつの応酬。

 彼女にとって不快の極みだったとか。正直、興味があるのは、もらえるお年玉の額だけであって、親戚との話も並べられるおせち料理の類も好きじゃなかった。なぜお正月になると、近況とか新年の抱負とかを尋ねられ、黒豆や田作たづくりを相手取らなきゃいけないのか。もう、拷問としか思えなかった。

 家族が乗る車で来ていて、財布の類も持っていない。ひとりで抜け出してこっそり帰ることができなかった。


 何もかもが面倒になった彼女は、狸寝入りでやり過ごすことにしたの。

 母親の実家。親戚たちが集うその場所に着くや、彼女は体調が悪い旨を訴えて、休ませてもらえるようお願いしたの。二階の一室に布団が敷かれ、そこへ横になる彼女。

 一階からはお酒が入ったであろう、おじさんたちの与太話が響いてくる。あの場にいたなら、多かれ少なかれ自分にも話題が振られるはず。

 誰であろうと、答えるのが面倒でしかたない。小さいいとこたちに構うのも、疲れて仕方ない。さっさとお金とおもちだけいただいて退散したかった。

 ときどき様子を見に来る親へ、横になりながら生返事を返し、時間が過ぎるのをひたすら待つ。午前はやがて午後になり、夕方になり、障子越しに差し込む陽の光が西に傾きながら、赤くなっていくのが見えた。

 何度もうとうとしながら、彼女は早く帰る時間にならないかと、ひたすらに待ち望んでいたわ。いや、うっとおしい親戚たちさえ、帰ってしまえばあいさつの手間が省ける。その間、ずっと横になっていたいんだ。お年玉なら、きっと親が受け取ってくれているはず。

 階下からの話し声は、ある程度静かになってきているけど、気配は消えたわけじゃない。いとこ同士がじゃれあっている声がした。

 すでに家を訪れて6時間が過ぎている。早く、早くいなくなってほしい。そう願いながら、彼女は布団から出ようとしなかった。


 ふと階下から誰かがあがってくる足音がする。てっきりまた両親がやってきたかと思い、彼女はぎゅっと目をつむって、少し半身になりながら待ち受けた。

 自分が寝ているところは、四方を障子に囲まれている。親は今まで、障子を叩くこともなく顔をのぞかせては「大丈夫?」と声を掛けてきた。それに寝たままの自分が適当に答え続けてきたの。

 それが今回はそうじゃない。「とんとん、とんとん」と小さく障子を叩いてくる音がする。


 ――まずい! 親戚の誰かかな?


 この時の彼女、下手に返事をすると新年のあいさつや、今年の抱負発表に持ち込まれるんじゃないかと、気が気じゃなかったみたい。普通、寝ているかもしれない人に長話を持ちかける人はいないだろうけど、彼女は自分に降りかかるだろう、面倒ごとに関しては敏感なセンサーを持っていたわ。


「ともこちゃん、いるの?」


 誰だかとっさに分からない。お母さんの兄の奥さんの声が近かったけれど、気を許すつもりはない彼女。黙秘権を行使したわ。布団が擦れる音さえ出さず、じっとしている。


「大丈夫なの? ずっと降りてきてないけど、なんともないの?」


 

 ――しつこいなあ。というか、さっさと帰ってよね。またこれから一年で、何度も顔を合わせることになるんだし。

 

 彼女はいらつきながら、でも小さく身体を震わせていたわ。

 障子が叩かれた時から、不意に催してきてしまっていたから。今すぐにでも起き上がってトイレへ行きたかったけど、そのためには声を掛けてきている相手のいる、この障子を抜けなくてはいけない。

 今、相手は北側の障子越しにいる。後ろと東側の障子は窓に面しているし、西側の障子を開けても、結局は北側の障子の脇を通る形になる。絶対に相手と顔を合わせなくてはいけない。

 尿意はますます強くなる。先ほどまで何ともなかったのに、どうしてこんな勢いで? 彼女はダンゴムシのように体を丸めながら、足の先だけでもじもじする。下手にお腹や股を押さえたりしたら、その瞬間に我慢が解けて、大惨事になりそうだった。


「大丈夫? ねえ、大丈夫?」


 心配する声は、やむことなく続く。これほど自分を思ってくれているのに、なぜか障子をこそりとも開けようとしない。そのくせして、戻る気配もない。どれほど時間が経ったか分からないけど、親戚の誰かならもうあきらめていてもおかしくない。

 もうそろそろ限界、というところで障子ががらりと開いたわ。



「もう帰るよ」


 入ってきたのは、自分の父親。もう日は暮れてしまって、明かりをつけない廊下の先は真っ暗闇だったんですって。

 彼女はがばりととび起きると、とっさに父親の胸をぽかぽかと殴り出したわ。「どうして女の人の声色まで使って、自分を脅かしたの?」と。

 父親はきょとんとしている。自分が階段を上がってきたのはつい先ほどのことで、障子の前で何分も粘るなどしていない。ましてや女の声色を使うなど。

 彼女はすぐに信じることができず、やがて階段を上がってきた自分の母親にも、同じ質問を浴びせる。ひょっとして両親でグルになり、自分を怖がらせたんじゃないかと。


 お母さんも意外そうな顔をしたけど、耳にした声の主について、少し目を見開いたわ。

 お母さんの兄の奥さんの声は、お母さんのおばあちゃん。彼女にとってのひいおばあちゃんに、そっくりなのだとか。彼女が生まれる直前に亡くなられてしまい、直接の面識はなく、写真の中でしか見たことがなかったのだけど。


「ひいおばあちゃんが心配して出てきてくれたんじゃないか? お前がずっと起きないからだぞ」


 つんと、軽くおでこを指でつついているお父さん。けれどお母さんの方は、心なしか険しい表情だった。


「――あなた、今もトイレ行きたい?」


 言われてみれば、と彼女は我に返る。先ほどのような切迫感はないけど、帰り着くまで持ちそうかといわれると、微妙な感じだった。


「もし用を足すなら、ゆっくり出しなさい。急いで出さないこと。あとトイレのカギは開けといて。すぐにお母さんが入れるようにね」


 妙なことを言うな、と思いながらも彼女は便座に座り込む。とたん、我慢していたものが一気に下へ溜まって、温かいものが流れ落ちていったの。


 それと同時に。彼女は自分の身体が一気に冷えていくのを感じたわ。氷を浮かべたお風呂に、頭までつかってしまったよう。歯の根はあっという間に合わなくなり、ぶるぶる震えだしても、身体は一向に暖かくならない。


「止めなさい! ぎゅっと我慢して、ゆっくりゆっくり出すのよ」


 水音を聞きつけたか、トイレの外から響く母親の声。彼女はぎゅっと口を結び、股の下にも力を入れた。おしっこを無理やり引っ込めると、その股下から、奪われた時とは逆で、熱がいっぺんに身体へ戻ってきたの。

 それから彼女は、小刻みにおしっこを出し続け、すっかり終わるまで10分以上の時間を要したわ。


 彼女一家の帰りを、親戚一同が見送ってくれる。最低限の新年のあいさつだけで済んだのは、彼女の当初の目論見通りだったけど、その帰りの車の中で彼女は聞かされる。

 お母さんも新年のあいさつが嫌いな子で、どうしてあいさつをしなきゃいけないのか尋ねたことがあったみたい。するとおばあちゃんは、あいさつによって人間関係を確かめると共に、「壁」を作らねばいけないのだとか。

 あいさつは、相手と自分を結びつける手軽な方法。一日における、その人との関係の始まり。けれど簡単にできる分、怠ると大変なことになる。いつもつながるはずのその人と、つながっていないことになるのだから。

 握手をするための手が、開いているかのごとき状態。するとよからぬものが、そちらから手をつなごうとしてくる。そして縁を結んだ結果、そちらの「友達」になってしまう恐れがあるのだとか。

 だからしっかりあいさつし、いつもの相手とつながって、「手」をぶらぶらさせない。今年もいつも通りに過ごせるようにと。


「あんたのそれも、おばあちゃんから教わったんだよ。あいさつを怠ってよからぬ誰かと結ぶ時、相手は尿意と共に、『あんた』を追い出そうとする。我慢するのが一番だけど、できそうになかったら、ゆっくりゆっくり出すんだ。

 一気にやると、『あんた』もすっかり流れ出て、あちらの友達になってしまうのさ。それが顔を知らないひいおばあちゃんなのか、もっと別の何かかは分からないけどね」



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