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五味:邂逅

 二日後。

 五月の四日目、みどりの日、午前八時。


「おはよう・・・」


 眠そうに目をこすりながら、未来はリビングの扉を開けるものの。

 誰もいない。


「もう八時なのに、まだ起きてないのか」


 独り言ののち、嘆息する。

 彼の父母には、休日前夜は「ハーフ・オールナイトフィーバー」を称しながら各々好き勝手に遊びまくるという伝統がある。大学時代からの名残。

 オールナイトと言っておきながら、午前四時頃にはいつも沈没していた。


 情けない。だからこその「half」なのだろうが、意味が違う気がする。


「起きているわけないか」


 期待した自分が間違っていた。

 昼飯もセルフで用意しなければならないかもしれない。


 冷蔵庫から取り出した牛乳をチョコ味のシリアルにぶっかけて、もさもさと食べ始める未来。

 食器、テーブル。ミニ観葉植物。

 目に見えるものすべてを「舐め」尽くし、包括的かつ統合的に「味」わう。


「ああクソ。手首、痛いな」


 スプーン持つ右手をピシリと止め、目尻を歪めた。

 ピチャリと机上に溢れる、チョコ色の粉末混じる牛乳。

 机の真ん中に常備している布巾で拭き取った。


「数学、宿題出過ぎだろ」


 かの教師は生徒たちの連休にかこつけ、問題集二十ページ分をやってこいと突然言い放つ巨悪である。

 貴重な時間は、僅か四日しかないというに。

 昨日の時間のおおよそ半分も数学に分配されてしまった未来は、腱鞘炎一歩手前の怨念を数学教師にガンガンぶつけていた。


 果たして自分の他に、宿題を真面目にやる奴などいるだろうか。

 いやいまい。


「俺で半日かかる宿題だぞ。少なくとも横田のパフォーマンスじゃ四日で終わらないだろう」


 連休最後の一時間で慌ててやり始め、最初の三十分でシャーペンと俗世(・・)を投げ捨てる彼の姿が目に浮かぶようだ。


 未来はほくそ笑む。

 連休明けの横田の頭には、髪の毛一本ないに違いない。

 そして、悟りでも開いた顔で言うのだ。



 「出家しました」と。



 「現世(うつしよ)なぞ下らぬ」と主張して、宿題も数学も必要ない「虚無の世界」論を展開し、「やってこなかったこと」を正当化する。


「よし、『彼女もいらないのか?』論で対抗してやろう」


 食器を携え立ち上がり、キッチンの洗い場へ赴いた。

 泡立てたスポンジを皿の表面に滑らせ、汚れを濯ぎ落とす。


 ザーッ・・・・・・トトトト・・・・・・。


 流れる水がステンレスを打つ、「鉄酸っぱい」音。

 未来は昔、この「味」が大の苦手だった。


「・・・・・・待てよ」


 水を止め、食器の水気を拭き取り。

 母の趣味溢れるアンティークな棚に戻す。


あの(・・)九堂は、宿題をちゃんとやるのか?」


 確信を持って宣言出来ることには。

 三日前までの九堂なら、絶対にやっていた。


 むしろ未来より先に終わらせ、「未来くん、宿題やってる?」とメールで聞いてくるタイプであった。


 彼が宿題に早めに手を付けるのは、なんとなくそれがカンに触るからだったのだ。


「だが、五月二日の『九堂智音(ともね)』なら・・・」


 世界から、「九堂智文」が唐突に消えてしまった二日前。

 併せて、性格が180°転換したかのように見えるその娘。


 腕を組みながら、彼女のゴールデンウィークの動向を「味覚予想(・・・・)」してみる。

 行き着く先は。


「おにぃぃぃぃちゃああぁぁぁんとか叫びながら俺に縋り付いてきそうだ」


 それもどうしようもない、締め切りの瀬戸際に。

 今のあいつは、そんなことをやりかねん「味」をしている、と。


 未来は冷や汗を流しだす。


 自分の部屋に戻った彼は、つい最近買ったばかりのスマホより、電源タグを引き抜いて。


/宿題やってるか? 今から見てやるよ/


 慣れないタッチパネル操作。


「特に『味』が慣れないな。携帯会社さんはガラケーからスマホ乗り換えの際の『味覚講習』とかしてくれないのだろうか」


 益体のないことを呟きつつ、なんとかメールを打ち終えた未来は。

 数学の問題集とノートをバッグに入れ、二駅先の九堂家へと向かった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「家は、変わってないんだな」


 九堂、と書かれた表札のある家は、三ヶ月前に訪れた時と同じもの。


「・・・俺のバカ親父は、どれだけ九堂家のために頑張ったことになっているんだろうか」


 インターフォンを押す。


/はい?/

北海(きたみ)未来です。娘さんの宿題を見に来ました」

/あら。いつも(・・・)ありがとね/


 ・・・いつも?

 首を捻る。

 トモネちゃーん、お兄ちゃん来たわよぉとインターフォンの向こう側からくぐもって聞こえてきて。

 ドタドタドタッと「甘辛い」音が大きくなり、ガチャリ! と開放される玄関。


「遅いお兄ちゃん!」

「は?」


 不機嫌そうな少女は、両腰に両手を当ててふんぞり返り、鼻息を荒くして。


「いっつもだったら宿題出たその日の夜までには、私のこと助けてくれるじゃない! なのになんで!? どうして昨日は私を放置したの!??」


 ぷんすかぷんすか。

 ギャーギャー自分を責め立てる九堂の剣幕は、朝にしては刺激の強すぎる「味」。なるべく五感を遮ろうと目を閉じ、耳を塞ぎ、呼吸を止める未来だったが。


「とってもとっても不安だったんだから! お兄ちゃんに見捨てられたら、私は宿題も自分で出来ないただの可愛いダメッ()なんだからね!!」


 彼の肩を引っ掴んでグラグラ揺らす九堂。

 衝撃や触覚から、「味覚」は自動で発動する。


 なんだこのダメな少女は。

 いろいろダメ過ぎる。


 未来の頭は、たった一つの大いなる疑問で埋め尽くされていた。

 今までの彼女との乖離が、グレートリフトヴァレーのように凄まじい。

 分かってはいたが、これは酷い。


「元に戻す手段はないのか」

「なにブツブツ言ってるの!? 『妹の役に立つのは普遍かつ不変なる兄ポリシーだ』ってカッコよく決めてたのはお兄ちゃんでしょ!! ほら早く、中に入って」

「そんなの俺じゃない・・・」


 ズルズルと玄関、そして九堂の部屋まで引き摺り込まれる未来。

 どっしりと回転椅子にお尻を乗っける彼女は、問題集をバッと開帳し、一番はじめの問題をビシィッと指差す。


「教えて! 一から全部!」

「おいおいそりゃあねえだろ」

「一は全、全は一!!」

「一ヶ月くらい無人島に放り込むぞ」


 半目になる「お兄ちゃん」に対し、九堂はぶっくう! と頬を膨らます。


「酷い酷い! いつものお兄ちゃんなら、嫌な顔一つせずスマートに教えてくれるもん! お兄ちゃんやっぱり一昨日(おととい)から変!! はっ、さては偽物だなぁ!?」


 九堂少女、フシューッ! と唸る。


 どうリアクションをとればいい?


 掌から複数のものが漏出しているかの如くの現状へ、うまく対応出来ない。

 溜息()きながら、(くう)を仰ぎ見る「味覚少年」は。


「『味覚』以外でこんなに疲労を感じるのは、今世初めてだ・・・」


 諦めたように呟き、バッグから自分の解答を記す黒ずんだノートを、取り出したのだった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 すべての問題を片付け終えれば、時刻はもう夕方だった。

 場所は、九堂家の食卓。


「お疲れ様ね。気分はどう、未来くん」

「休日返上で出勤したサラリーマンの気分です」

「面白い回答ね」


 ふわり、ミントの香りが未来の鼻に届く。

 爽快な「味」、唯一脳に負担にならず逆に疲れを取り去ってくれると、彼の心は安らいだ。

 差し出されたミントティーを、口に運ぶ。


「ねーお母さん。今日のお兄ちゃんの教え方、いつもより荒々しかったー」

「ついにお兄ちゃんもあなたを甘やかし過ぎたってことに気づいたんじゃないの? 未来くん、これからはビシバシお願いねー」

「もちろんです」


 九堂智音の睨みつけるは、自分に不利な会談を執り行う二人。


「まぁ、未来くんとトモネちゃんがくっついてくれるというなら、別にどんな教え方でも安心なんだけどねぇ」

「! ・・・」


 顔を一気に赤らめる九堂は、胸の下に腕を組んですぐ、机に突っ伏した。

 それを見て、未来の目頭は熱くなる。



 親に揶揄われてのこの反応は、今の彼女でもするのだな、と。



「あ、未来くん。夕飯食べてく?」

「ええ、ぜひ。お相伴に預かりま・・・」


 疲労の極致で腹を空かせた彼は、喜び勇んで好意を受けようとした。

 その途中。


 ピンポーン。


 インターフォンの音が、家宅内部の空間を這い伝う。


「何かしら? トモネちゃん、見てきてくれない?」

「えー分かったー」

「こいつだけじゃ心配なので、俺も行きます」


 「過保護ねぇ」という呟きを置いていき、未来は「義妹」とともに玄関を出る。


「はい」


 戸の前にいたのは、二十代前半に見える、グレーのスーツ姿の男。

 襟や裾などが少々くたびれているよう未来の「味覚」には映ったが、気にするほどでもないと考える。


「こんにちは、お嬢さんたち。こちら、行政の者ですが」


 行政。

 未来の眉が、ピクリと上がる。


「この度、『次代を担う子どもの健全な育成を図るための次世代育成支援対策推進法』等の見直しが進められる運びとなり、その説明人として派遣された者なのですが・・・失礼ですが、ここは母子家庭、という認識で・・・」

「うん、そうだよ。ずっとお母さんと二人」


 あっけらかんとした九堂の応答に、未来の胸は締め付けられる。


「・・・そうですか。お母様は今家にいらっしゃいますか?」

「いるよ。ちょっと待ってて」


 母親を呼びに行く少女。

 残される、未来とスーツ姿の男。


 ドクンドクン、と未来の心臓が早鐘を打つ。


 行政の職員。

 彼らでも、一つ一つの世帯の家族形態を正確に把握しているとは思えない。


 でも。

 もしかしたら。



 未来は期待、してしまう。



「あの、すみません」

「なんですか? えっと、あなたは・・・?」

「さっきの子・・・ここの家族の娘の友人です。変なことを尋ねるかもしれませんが・・・」


 俯き、言いにくそうにする彼を、スーツの男はじっと見つめる。

 その瞳は、陰を帯びていた。


「ここは本当に、母子家庭ですか?」


 黄金色に染まる、五月初めの夕方の下。


「世帯主として、『九堂智文』が登録されていませんでしたか!??」



 男の顔が、歪んだ。



 夕方特有のはっきりとした陰影で、その凹凸はすぐに見て取れた。


「・・・ったくったく、運がいい」

「え・・・?」


 体裁という仮面を剥がし。

 猟奇的な笑みと視線で、未来を射竦めて。



「見つけた」



 理不尽と「味覚少年」との、最初の対決。

 ここに成る。


グレートリフトヴァレー…アフリカ大地溝帯。

次代を担う子どもの健全な育成を図るための次世代育成支援対策推進法…読んで字の如く。その目的の中にはシングルファザー・シングルマザーへの支援拡充がある。尤も、わざわざ行政が一家庭にその説明をしに来ることはないだろうが。


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 感想も、特に「気になった点」を書いてもらえれば本当に助かります。


2018/10/11

 行政職員(?)の風貌を三十代前半から二十代前半に修正。設定ミス。

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