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四味:トムヤンクン


 家の最寄駅を降りた未来は、早足で自宅に戻る。


「ただいま」

「お帰りー、未来ちゃん。ごはんはあと二時間待ってねー。お母さん韓流ドラマ見てるから」

「ああ」


 手を石鹸で綺麗に洗ったのち、自分の部屋がある二階へ赴く。

 扉を開け中に入り、リュックサックをベッドの側に置いた後。


 デスクトップパソコンの電源ボタンを押し、世界的企業の提供するシンプルな検索ページを開いた。

 本当にシンプルで、「味覚」に優しい。


艶川弘(あでかわひろし)・・・」


 いつの間にか入れ替わる、その前の総理大臣の名前をカタカタと入力する。


「Enter」


 ・・・一件も、ヒットしない。

 「艶」「川」「弘」一つ一つの文字に関わりある事柄が、上から並べ立てられているだけ。

 探し始めてたった二分ほどで、未来は気持ち悪さを覚え始める。

 膨大な文字情報の「味」故に。


「・・・慣れない作業だ。次は、歴代総理大臣・・・」


 開いたページには、ズラァッと錚々たるメンバーの写真と名前が載っていた。

 「味」酔いしながら、頑張って吟味する未来。

 しかし。


「いない」


 内閣のボスを確かにやっていたはずの「艶川弘」は、いなかった。


「奇妙だ・・・」


 ここはやっぱり、登場人物の数人欠けた別世界なのではないかと疑いたくなる。


 でも、「九堂智文」が完全に欠けた世界で、完全に同一なる容貌の「九堂智音」が誕生する確率など、いったいどれほどあるだろうか。

 人の容姿の連続性よりゼロ、だと個人的には考える。


 ならば、ここは昨日までいた世界と同じはずなのだ。


 何度も確認した論理をもう一度確認した後、脳裡にぶり返す記憶でハッとなる。

 そういえば小さい頃、おじさんこと「九条智文」に描いてあげた彼の似顔絵があったはずだと。

 押入れに閉まってあった年長の時の「おもいでふうとう」を開封し、中身を床にばら撒けた。

 血眼になって探すものの、見つからず。

 否、見つからないのではない。


 すり替わっている!


「描いた覚えのない父さんの似顔絵と、涙の跡・・・」


 息子に似顔絵を貰えば、それは感激から涙を流すこともあるだろうが。

 描いた覚えは、ない。


「待てよ、朝・・・」


 「味覚」における日常との齟齬から、無意識に記憶を遡った時。

 幼稚園の図画工作の時間で自分が描いていたのは、「九条智文」でなく父さんだった。

 それは間違い、だったはず。


 「九条智文」を思い出した途端、すべての記憶は間違いから「正常」に戻った、はずなのに。


 厳として叩きつけられる現実は、まるで「九条智文」はいなかったと未来に言っているように感じられる。


 「九堂智音」の存在とは矛盾していながらも、在る現実は、目の前に。


「いかん、頭が混乱してきた」


 机の上からコーヒーシュガーを一本取って、包装をビリッと破った。

 砂糖をザァと、口に流し込む。


「『甘い』」


 「味」は情報として脳に広がる。

 これは好き。


 疲れた脳みそを元気付ける布石を打った未来は、「寝るか」と一言呟き。

 ベッドにゴロンと、ダイブした。




「おーい、未来ちゃん。ごはんよー」




「ん・・・?」


 耳元で呼びかけられたのに応じて、ふっと覚醒する未来の意識。

 それが捉えるは、自分の横で寝転がっている母親。


 付けっ放しにしていた腕時計を覗くと、もう部屋に入ってから二時間経っていた。


「どいてくれ。下りれないだろ」

「韓流ドラマ見て興奮したあと家事で疲れて・・・母さん眠い」

「そっか。なら寝とけばいい」


 ベッドの上で立ち上がる未来は、母親の上を飛び越えて床に着地する。

 「ふぁーぁ」と大あくびをかましながら、未来の母は寝返りを打って息子を見る。


「今日はトムヤンクンよ」

「また随分なチョイスだな」


 食卓へ行こうと扉に手を掛ける未来だったが。

 湧き上がる淡い希望のさせるままに、微睡む母の方へ振り返り。


「母さん。『九堂智文』って知ってるか?」

「・・・? 誰ぇ? 智音ちゃんの男バージョン?」

「知らないなら・・・いい」


 聞こえる反応から悲しげに、「辛げ」に背中を丸めて、ゆっくりと階段を下って行った。




×××××××××



 同日、朝。


「古館、お前は本当に凄まじいな」

「どうも」


 ガラスから日の降り注ぐ品の良い喫茶店には、ポツポツと仕事前のサラリーマンがコーヒーを嗜んでおり。


 そのうちの一席。

 スーツ姿の男が二人、対面している。


 一人は四十代中盤、顔に微笑みを貼り付けていて。

 もう一人は二十代前半の風貌、仏頂面で相手を見ている。


「お前に消された人間のことは、誰も覚えてなんかいない」

「だけどあんたは覚えてる」

「だからこうしてビジネスが成り立ってるんだろ?」


 「ったくったく、ビジネスねぇ・・・」と若い方、古館は失笑を漏らした。


「あんたは悪魔だよ」

「違いない」


 他人(ひと)は一番近くても五席は離れており、二人の会話を聞き咎めているようには見えない。黙々とブレンドコーヒーとハニートーストに集中していた。


「ところで、仕事はちゃんとこなしたろ? どうしてまた、俺を呼び出した?」

「別に追加で依頼が入ったとかいうのじゃないぜ? 偶にはこうしてただただ無為に話をしたくなるというものさ」


 ほうれん草とベーコンのキッシュを口に持っていく、壮年の男。

 「うまい」と満足そうに頷く。


「ったくったく、親子かよ」

「おいおい、しがない地方銀行員をショック死させようとしないでくれ。俺にはお前と違って無辜な妻子がいるんだからな」

「ぷっ、『しがない地方銀行員』とか」


 言って少し考えたのち、コーヒーを口に含んでいなかったのにもかかわらず、「吹き出しそうになるじゃないか」と古館は注意した。


「おいおい、地方銀行員は随分長いこと大変なんだぜ。中央がゼロ金利とか言い出してから」


 はぁ、と溜息。


「ついには去年、欧州でマイナス金利とか始まりやがった。日本もいつそれに追従するかと考えると気が気でない、テイラールールがどうのとか言ってさ」

「俺には経済の素養はねえから分かんねえよ」


 二十代前半の男は、ズズッとブラックコーヒーを啜った。

 小難しい話をされては敵わんと、視線をガラスの向こうの景色へと彷徨わせる。


「朝日は眩しい」

「地方銀行の夜明けはいつ来るんだろうな。このままじゃ同僚たちのおまんまは食い上げだよ。いつ不正に手を染めてもおかしくない、染めててもおかしくない」

「現にお前は俺を使って黒いサイドビジネスを展開しているしな・・・っ!?」



 ガタッ! と椅子の倒れる音。



「どうした? 急に立ち上がって」

「気付かれた」


 周囲から軽い注目を集めるなか、二人の男の顔には驚愕の色が滲み出でる。


「これで、三人目か・・・」

「一人は炙り出して消したが、もう一人は調査中だよ。ったくったく、こんな死神みたいな能力を持ってても、綻びってのは生まれてくるもんなんだな」


 壮年の男は舌打ちしながら、低く「古館」と呼びかける。

 俯く古館の目には、倒れて机を「黒く塗りつぶす」、ブラックコーヒーの入っていたカップが写った。


「・・・仕事を終えた矢先の話だ。正確にはどの仕事の関係者に察知されたか不明だが、タイミング的に今回のと無関係とは思えない」


 天井付近に注意を向けながら、古館は地方銀行員に背を向けて。


「昨日消した男の身辺を洗ってくる」


 宣言し、喫茶店を後にした。


テイラールール…通常の金融政策運営時における、典型的な政策の反応を表す関数に政策金利は従っているという主張。関数形は


(政策金利)=(定数項)+α(インフレ率ー目標インフレ率)+β(需給ギャップ)


と考えられる。これは、「金利は現在のインフレ率の目標とするインフレ率からの乖離と、需要と供給の差から線形的に説明される」という意味。

 この式に於いては、社会状況によってはマイナス金利も十分にあり得るのである(参照:『非伝統的金融政策 政策当事者としての視点』宮尾龍蔵著)。


2018/10/11

 古舘の風貌を三十代前半から二十代前半に。設定ミス。

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