十五味:炭酸飲料
ガタ、ボトン!
一時的にソファより立った未来は、自販機に160円入れ、爽快さをもたらしてくれる有名炭酸飲料を購入する。
パリ、と硬めのキャップを掌の皮膚に痒みを感じながら開けたのち、グイッと煽る少年。喉の渇きを潤してから、まだ自分の体温残るフカフカの座面に、ボスンと舞い戻った。
一連の行為がもたらすは、落ち着きのある温かな苦「味」で、彼の背筋をゆったりさせる。
そんな自分の姿をぼんやり眺める蔀美に気づいた未来は、「いるか?」とペットボトルを差し向けた。
「い、いえ、結構です・・・」
下を向き、焦るように返される。
ペットボトルを床に置きながら、少年は「そうか」、と特に断られた感想を抱くこともない。そのまま言葉を続ける。
「じゃ、斎藤さんは毒殺された、としてだ」
人差し指をピン、と立てながら、未来は蔀美にズイッと迫る。至近、というほどでもなかったが、少女はピクッと反射的に後ろへ下がった。
「誰が、どうやって彼に毒を含ませたか。これが問題だ」
芝居掛かった風に言ったのち、未来は顎に手を当てる。
「あのとき近くにいたのは、明らかに俺だけだった」
斎藤の体から、生きて、呼吸して、動く者なら誰しもするはずの「味」が空に消えて無くなった、あの瞬間。周りには自分以外誰もいなかった。それどころでない、斎藤の体が濡れた石床に叩きつけられる五分前ほどから、悠上に福西はサウナで汗を流しに行っていたのだ。
「つまり、あなたがやったってことでいいですか?」
「違うとさっきも言っただろ」
蔀美のジトッとした目を、未来もジトッとした目で睨み返す。
「あの人とは初対面だ。殺す理由もない。毒だって持ち込んでないし、信じられないなら隅々まで調べてくれたっていい」
「隅々までって・・・私に何をやらせる気ですか? エッチ」
持ち込んだ荷物などについて隅々まで、という意味で言ったはずなのに。
さっと、慎ましい胸をガードするように身をよじる女子高生。
「やばい、めっちゃ傷ついた。心が痛い」
思わぬ変態容疑をかけられ、その苦しみに苛まれる未来。とてつもない「辛味」。いつも変態呼ばわりされながらも終始笑顔な友人、横田の心の強さについ感服しそうになる。
床に置くペットボトルをガッとひったくり、ゴクゴク中身を飲んだ。
しゅわしゅわが、男子高校生のガラスのハートを癒してくれる。
「ま、いいです。一旦あなたを容疑者から除外しましょう。となると、やっぱり悠上さん、福西さん、三子さんのうちの誰かがやったということになりますね」
「そうだなぁ・・・でもどうやって・・・」
二人して頭を悩ますものの、悠上の「毒を盛るタイミングはなかった」発言が邪魔をして、全く有益な考えが浮かんで来ない。どうやって、何をして、・・・・・・Oh, how did the criminal murder Mr.Saito? と未来は頭の中で英作文してしまったが、それ以外の進歩はない。
やり場なく、炭酸水の半分ほど入ったペットボトルをポコポコいじる。
「・・・一番怪しいのは、福西さんですね」
「! 何か分かったのか!?」
顔をバッと上げ、声を高くする未来。
「私のことを『探偵ごっこ』呼ばわりして解散の流れを作ったの。あれはきっと、自分の犯した罪について毒殺以上の追究をされたくなかったからですよ!!」
鼻息荒く「ええ、そうに違いありません!!!」と叫ぶ蔀美に対し、「ただの私怨じゃねえか・・・」と落胆する彼は、ドロォとソファに体を倒れこませた。全身を包み込む柔らかい感触に身を任せながら、体を動かした衝撃でシュワワと上がる炭酸水の泡を、無為に見つめる。
「なんか、風呂に入った時の、全身に張り付く空気の泡みたい」
気が抜けたせいか油断して、ふと自分の取り止めのない思考をボソッと漏らしてしまう少年。
「え、急にどうしたんですか?」
「ああ、炭酸のペットボトル見ててさ。結構な勢いで二酸化炭素の泡が浮き上がってくるの。これってさ、風呂に入ってる時に何気なく意識を向けたら体を覆っている、あの小さな泡あわを連想させないか?」
「! めっちゃ分かります!!」
前のめりになる蔀美。
すごい食いつきだ。話を振ったのは未来だが、「お、おう」とたじろいだ。
「あれって面白いですよね!! 体から、プツプツ空気が浮かんでくるの! 特に、手で足をスベーッてやった時にシュワアアアアッてなるの、すっごいテンション上がりません!??」
瞳を輝かせて、純粋に自らのちょっとした楽しみについて語る蔀美の横では、風呂での彼女の様子を想像してしまった男子高校生が悶々としていた。破廉恥な、と未来は自分を戒める。
「あ、でも。温泉地だと、手首にかけるロッカーの鍵が邪魔になっちゃうんですよねぇ、『シュワアアアアッ』に。だからよく外してるんですが、一回それで鍵を紛失してしまったことがあります」
こほんと咳払いし、「あれは失敗でした」と蔀美は姿勢を正す。「シュワアアアアッ」って固有名詞なのかよと呆れながら、「へえさよか」と短く相槌を打って、「どのようにして斎藤さんを毒殺したのか、に話を戻そう」と軌道修正を図る未来。
「すみません、興奮しました。・・・その、喉が渇いたので、えと、それ、ちょっとください」
努めて真顔を意識しているような、取り繕われた無表情で、少女は炭酸飲料を欲しがった。あれだけハイテンションで喋ればさもありなんと、彼はペットボトルを渡す。
遠慮がちにペットボトルへと口づけする彼女を見ながら、議論を進めるために話し出す未来。
「ただただ徒に、殺害方法を考えても埒が空かなさそうだから、一度斎藤さんについて知ってる情報を整理してみないか? ほら、一応彼の奥さんが、女将さんの簡単な事情聴取に応じていただろ」
「・・・」
大きく、ゆったりした放物線状のカーブを描いて蔀美に到達した会話のボールを、彼女は投げ返してこない。両手で、ちょっと飲んだペットボトルをくるくるとロールさせながら、心ここに在らずといった感じ、だ。
「おい、聴いてるのか?」
「・・・はひ!? なんでしょう!??」
「眠いのか? もう一度言うぞ。斎藤さんの情報を整理しようぜ。三子さんが女将さんにしていた証言を基に」
「は、はい。その方が建設的かも」
慌てて未来にペットボトルを返す少女の様子に「甘酸っぱさ」を感じながら、「だよな」と頷き。斎藤三子の言葉を頭に思い浮かべながら、一つ一つの情報をゆっくりと述べていく。
「斎藤和彦、45歳。商社勤めで、化学品に関するトレーディング事業の部署において、部長クラスの地位についていた。また彼の同僚によると、数字に強く、中間マージン・・・製品の流通における儲けに対して敏感だった」
「失神に悩まされていたとも言ってましたよね」
「ああ。だから急に環境が変わるのを嫌がっていたらしい。血圧や心拍数に不具合でも生じるのだろうか? まぁ、俺が斎藤さんと二人きりになった理由がそれだろうな。悠上さんと福西さんがサウナに赴いたとき、一人だけ同行を断っていたんだ」
自分で出したサウナ、という言葉に無意識に反応し、喉が渇いた錯覚に一瞬だけ囚われた未来は、ペットボトルにまた手を付ける。
「ひゃっ!?」
ゴクゴク、炭酸飲料を最後まで飲み干す未来を見て、甲高い声をあげる蔀美に対し、「ん?」と訝しがる少年。
「ああ・・・そういうことか。間接キスなら、俺は気にしない」
淡々と伝える、自らの主義。
常日頃から、道々ですれ違う人にすら、直接に「味」を感じてしまう味覚少年は、この「間接キス」とやらで男女が恥ずかしがる文化を心底不思議に思っていた。
が、文化というのは人それぞれで、受け取り方は千差万別、十人十色。
「言いますか!? 本人に言っちゃいますか!?? 『お前なんかとの間接キスなんざ気にしない』って!?」
間接キスという事象そのものを気にしていないと伝えたはずの未来の言葉は、蔀美によって大きく曲解されてしまっていた。「酷いです酷いです!」と高校生の乙女はプリプリ怒る。
「別に君のことを蔑ろにした訳じゃないんだがな」
それだけ言ったのち、特に言い訳をすることもなく、未来はペットボトルを捨てに立つ。ラベルをビーッと外し、白いキャップを透明なボトルから分離して、探すのは燃えないゴミを入れる箱。
「あれ? ここでは分けないのか?」
「・・・どうしました?」
「ペットボトルって、普通キャップとラベルは燃えないゴミの箱、ボトル本体はそれ専用の箱って相場が決まっているだろ。だから燃えないゴミの箱も見つけなければ」
「ああ・・・私は分けたことないです」
しれっと「分別しない人」宣言をかました蔀美に呆れた視線を送りながら、「俺は気にするんだよ」と返す。
「私との間接キスは気にしないくせに?」
「だから、別に君だけのことを蔑ろにしたんじゃない」
漸く、ボトル本体を入れるゴミ箱から離れた部屋の隅に、燃えないゴミ用の箱を見つけた未来。
「あれ? リングは外さないんですか?」
「え?」
「ほら、キャップを外した時にボトルに残る、賞味期限が書かれてるやつですよ。キャップと同じ材質じゃないですか」
「分別しない人」の、素朴な疑問。「ああこれはな、リサイクル工場の方で処理されるらし・・・」と言いかけ、ふと頭の中で何かが引っかかる。
「リング? ・・・まさか!??」
ダッと、男湯に向かって走り出す未来。
置いてけぼりにされた蔀美は、数秒だけポカンとしたのち。
「・・・ま、待ってくださいよ〜・・・」と情けない声を出しながら、彼の後を追いかけた。
「辛味」は本来的に「味覚」ではないですが、未来が周囲から感じ取れる「味」には含めるとします。
作者的にイメージしやすいので。