6.和解
以降、学校では、俺は鳥居さんを無視し続けた。
いや、無視とは少し違うか。
彼女は時折、俺に話掛けようという素振りを見せたが、俺はそれを冷たい目で見返す。彼女はそれに気後れした様子で、悲しげに目を逸らすのだった。
隣の柏さんは、俺に咎めるような目を向けるのだが、それでも何も言わなかった。
そして、武井さんとも、あれからもリアルでは会話することは無かった。
ただ、彼女を見ていて、変化はあった。彼女が文芸部に入ったのだ。部活動なんて、リアルではコミュ障の彼女だから、そうとう無理をしているのだろうと思う。だけど、それでも彼女は変わろうとしているのだ。俺には、それが嬉しかった。
毎週ではなかったが、日曜には時々彼女と遊んで。まだトップには立てないが、色んなモードでランキングに顔を出して行った。
「鳥居さん。例のやつ、出来たから」
今の席順は、二学期頭の席替えで決まったモノだったから、当分座席は変わらない。俺は今も鳥居さんの真後ろにいる。相変わらず、東は昼休みに彼女のところへ足しげく通って来ていた。
最近は、俺と鳥居さんが会話をすることもなかったから、東はもう俺のことなど気にもしていない様だった。
俺は自分の席で小説を読んでいたのだが、東が何かやっている気配がして、顔を上げた。
東が彼女に、メモリーカードか何かを渡すのが見えた。
「あっ、ありがとうね」
彼女はそれを受け取ると、携帯電話に挿した。
「何なにそれ~」
隣から、柏さんが覗き込む。そして、
「何だ、ゲームかぁ」
画面を見て、直ぐに興味を無くした様子。
「それ、ランキング上位者のリプレイなんだ。それを、PCに落として変換したんだよ」
東は律儀に説明していた。
そして、忌々しげに、
「俺の嫌いなやつのリプレイなんだけどな」
愚痴を零した。
「最近、他のことやってて、あんまりゲーム出来てないのよね。だから、学校でリプレイ見れたらなぁ、って東君にお願いしてたのよ。瑞穂も、面白いと思うから一緒に見ててよ。東君も、絶対参考になるから、ちゃんと見てよね」
「ああ。落としながら、一応見たよ。個人のスキルは大差無い様に見えるのに、どうしてここまで差が出るのか。未だによく判らん」
東は肩を竦めた。
話を聞く限り、バトルバディの話か。そして、東の口ぶりからすると、それは俺たちのリプレイなのだろう。
隣の柏さんにも見えるようにしていたから、画面や彼女の様子がよく見えたのだが。俺は興味をなくして読書を再会した。
鳥居さんたちは静かにそのリプレイを見ていて。
暫くして、
「……えっ……?」
鳥居さんが小さく呟いた。
「どうした?」
東がその彼女の変化に気付いた様子で、覗き込んでいるのが目に入った。
顔を上げると、彼女は口元に拳を当てて、暫く考え込んでいて。携帯を操作して、動画を少し逆再生させていた。気になるシーンでもあったのだろう。
そして、そのシーンをまた見て。
「嘘……そんな……」
彼女は唐突に立ち上がって。そして、項垂れて、右手で胸を掻き毟るような仕草をして。震える肩越しに、彼女は俺の方を振り返った。
「あなたが……」
実際には、それは声に出てはいなかったのだが、彼女はそう呟いた様に見えた。
以前、プールで俺が見せたモーションをゲーム中で使用していたところでも見て、俺の正体に気付いたのか。
俺は、その彼女に対して──何も言う事は無かった。俺が何者であるかなど、彼女の行動には関係ない。
いや、関係があって欲しくはなかった。だから、いつもの様に、冷たい目で彼女を見据えていた。
彼女は、携帯を机に落として。そして、両手で顔を覆った。
「お前っ! 彼女に何をした!?」
東に俺の胸倉を掴まれ、引っ張り上げられた。
だが俺は、頭は妙に冷めていた。
「今俺が、何かした様に見えたのか?」
逆に問われ、東は黙り込む。
「水鳥君、奈那子のことをすごい目で睨んでた。最近、ずっとそうだったじゃない」
柏さんが横から突っ込む。
「すごい目? ああ。最近、機嫌が悪いんだ俺……。だから、目付きも悪くなってると思う。だけど、俺なんかに睨まれて、鳥居さんが何を気にするって言うんだ?」
思わず嫌味を言ってしまう。普段なら、こんな風にさらっと嫌味なんて出てこない。
俺の言葉に、前にあったやり取りのことを思い出したのだろう。東は気まずそうに俺から手を離した。
そして鳥居さんは、力なく椅子に腰を下ろして。顔を隠したまま、静かに肩を震わせていた。
午後からは、鳥居さんはどこかに姿を隠してしまっていた。保健室にでも行ったのか、鞄はまだ置いてあるから、帰宅した訳では無さそうだが。結局、彼女は放課後まで戻っては来なかった。
気にはなったが、俺にはどうしようもなくて。暫く待っていたが、俺が居たら戻り辛いかと思い直して、帰ろうと教室を出た。
そこへ、柏さんが来て。
「ちょっと、いいかしら」
鳥居さんのことで、文句の一つでも言おうとしているのかと思ったのだが、彼女は俺の手を掴んで、無言でどこかへ引っ張って行った。
どこに行くのかと思ったら、そこは美術室の隣にある、準備室だった。そういえば、鳥居さんも柏さんも、美術部に所属していたっけ。
「今日は、美術部は休みで誰も来ないの。だから、私たちとここで話をして欲しい」
私たち。つまり、ここに鳥居さんも居るのだろう。
俺は、大人しく中に入った。柏さんも入って来て、彼女は後ろ手でドアに鍵を掛けた。
部屋の中は、油絵具が酸化したような、独特の臭気が漂っていた。
半ば塞ぐように積み上がったダンボールやらを避けて奥に進むと、鳥居さんは呆然とした様子で、部屋の隅で体を壁に預けて床に座っていた。
「あたしは部外者だけど、見ていられなかったから、勝手に割り込ませて貰うわ。奈那子がもう自分ではどうしようもないみたいだったし」
柏さんの方を見る。彼女は、怒っている様子では無かった。
「あたしはその場に居なかったけれど。少しだけど、事情は聞かせて貰ったわ。……でも、それでどうして、あなたがここまで奈那子を追い詰めているのか、判らないのよ。だから、教えて欲しい」
「俺が追い詰めている、だって?」
意外な発言に、思わず声が上擦った。俺が、彼女に対してそんなに影響力があるとは思っていない。
「逆に、俺が聞きたいよ。確かに俺は、鳥居さんに腹を立てているよ。だけど、それだけだよ?」
「それだけじゃ無いでしょ? あなた、ゲーム中でもずっと、奈那子のことを無視してるって聞いたわ」
ゲーム中で、か。俺は、それを聞いて──心が冷めるのを感じた。
「ふーん……」
ただ、一言。冷たく漏らした俺の言葉に、鳥居さんが顔を上げた。
柏さんは、俺の変化に気付かず、尚も続けた。
「あなたは、奈那子がずっと追い求めていたプレイヤーなんでしょ? だから──」
「──違う!」
鳥居さんが、掠れた声で短く叫んだ。
柏さんは、ビクッと身を竦ませて、口を噤んだ。
「ゲーム中のことは関係ない! 私は……水鳥君を、あんな風に怒らせてしまった……そのことが、ショックだったの」
彼女は消沈して、俯いた。
その様子を見て、柏さんが慌てた。
「水鳥君……奈那子から、あんな風に罵られてショックだったかも知れないけど。多分それは、勢いというか、照れ隠しというか。とにかく本心じゃ無いと思うのよ。だから──」
「俺が腹を立てているのは、そこじゃ無いんだよ!」
思いがけず、俺まで声を荒げてしまう。柏さんは、またビクッとして口を噤んだ。
「そこじゃ……無いんだ。俺自身が、鳥居さんからどう思われていても、気にするほどのことじゃ無いさ。だけどあの時、どうして無関係な武井さんの話を持ち出した!?」
「……えっ?」
柏さんは、武井さんのことは聞いていなかったのだろう。唐突に出てきた第三者の名前に驚いていた。
「俺は……学校では、武井さんとは殆ど口を利いたことも無かったんだ。彼女は人と話しをすることが苦手で……だからいつも大人しくひっそりとしていた。しかも俺は、彼女が何者であるかすら、直前まで知らなかったんだよ。それなのに……どうして彼女を晒し者にする? 彼女は君とも無関係だったじゃないか!?」
「無関係なんかじゃ無い!」
鳥居さんは、涙目になりながらも、俺をじっと見つめた。
「私は……自分のことを見て貰えないことが……辛かったの。ゲーム中……ミトミトはNTのことしか目に入らない……そして、リアルでは……あなたは私ではなく……武井さんと意思を通わせていたじゃない!」
「あの時点では、俺が何者かなんて知らなかっただろう!? やっぱり君は……」
俺がミトミトだったから、俺との関係を気にしているのか?
「違う! そうじゃないの!」
俺の考えを読んだのか、彼女がそれを遮る。
「あなたは私のことを……浅ましい女だと思っているんでしょうね。だけど、これだけは言わせて欲しいの。確かに私は、ミトミトに相手をして貰えないことがショックだった……。そして、リアルでも、あなたは私ではない人を見ていて……。それは、別々の事象だと思っていたから……尚更ショックだったのよ。あなたがミトミトだとは知らなかったから、私は同時期に二人の人から袖にされたと思っていたのよ」
「だけどそれは……ゲーム中の、リィナとミトミトの関係に……現実を重ねただけじゃないのか?」
現実での俺が、彼女にとり特別な何かであるとは到底思えない。
「そう……なのかも知れない……。だけど、私はそう感じてしまったから……。だから、ずっと……あなたに謝りたかった。だけどあなたが……私を拒絶している様子を見て……何も出来なかったの。そしてあなたが……ミトミトだと気付いて……もうどうしようも無いことに気付いて……」
彼女は両手で顔を覆って、泣き出してしまった。
それを呆然と見ている俺の肩に、柏さんが手を置いた。
「水鳥君……あたしは、奈那子がどうありたいのか、判っていないのかも知れない。だけど、あなたに謝罪を受け入れて欲しいのは判る。別に、ゲーム中のあなたにどうこうして欲しいとは言わないけれど、学校では、以前の様に接してあげて欲しい」
「それなら……俺ではなく、武井さんに謝罪して欲しい。リアルでは謝罪を受けてはくれないかも知れないけど……」
鳥居さんは、まだ泣いていたが、俺の方を見て。力強く頷いて見せた。
その日、俺はログインしなかったのだが、明け方になって、携帯にメールが転送されてきた。NTからだった。
『私は、彼女の謝罪を受け入れました。だから、私のことで彼女を拒絶するのは止めて欲しい』
返信しようかとも思ったが、それより教室で行動を見せたほうがいいかと思いなおした。
朝のHRが終わって。担任が出て行った後、鳥居さんは席を立って、俺の方を向いた。
真剣な表情の彼女に、俺は、微笑んで、頷いて見せる。
彼女はホッと息を漏らす。そして、俺の手を取って、祈るように頭を下げた。
「ありがとう……そして、ごめんなさい」
「もう、いいから……普通に接してよ。皆見てるからさ」
「ううん……彼女には……事情も心情も説明して、謝罪出来たけれど。あなたには……まだちゃんと謝罪出来ていないから。あの時私は……照れ隠しと、関係が壊れるのを恐れたこともあって……酷いことを言ってしまった。だからもう……あなたと仲良くしたいことを、隠す心算はないの」
そんな風にストレートに言われると、受け流すことも出来なくて。俺の方が照れてしまう。
「判ったから……そろそろ手を離して欲しい。俺、恥ずかしくて死んじゃうよ」
周囲から注目されているこの状況。自分でも、赤面しているのが判る。
「ぷっ」
そんな俺を見て、鳥居さんと柏さんが噴出した。