私の旦那様
トントンと扉を叩く音がして、部屋の中にメイドが入る。
「フローラ姫様、お早うございます。本日は、心からお祝い申し上ます」
「……ええ、ありがとう。そうね、今日私は結婚するのよね」
まるで結婚を他人事のように話しながらフローラは、結婚相手の顔を思い浮かべていた。
(シュバイン様は隣国リーズベルト国の第二王子。
この結婚が決まったときから、これが政略結婚であることは分かってたはず。そこにお互いの想いなど、関係ないことも……)
幸いなことに彼はフローラに対し、少なからず好意を抱いてくれている。
(でも私は彼を、本当の意味で好きになれていない。二人きりの時だって────私は知ってる。自分が誰といるときに、一番ドキドキするのかを。あの胸の高鳴りが恋だというなら、それを実感するのはいつも……)
そう、“好き”という特別な感情が彼女を支配するのは……“彼”といるときだけなのだと、先日彼女は気付いてしまった。
「あら?そういえばクラインは、今朝はどうしたの?いつもならもう、来ていてもおかしくない時間よね?」
「え、えーっと……その……」
彼の事を尋ねた途端、目の前のメイドの顔が曇った。
その表情が、何か聞きたくない事実の存在をフローラに連想させる。
「どうしたの?黙っていたら分からないわ。またクラインが、勝手にお城抜け出しちゃった……とか?」
「……私の一存では申し上げられません。クライン様のことは、国王様にお尋ね下さい」
(何だろう、何かとてつもなく嫌な予感がするわ)
バタンと扉を開けて、フローラは父の元へと急いだ。
事情を知っているらしき衛兵やメイドの姿が目の端に写る。
でも誰もが彼女を見る度に顔を背け、質問されることを拒否していた。
「早く……早くお父様に会わないと!」
国王の寝室の扉を叩き、フローラは返事も待たずに部屋に入った。
隣で衛兵が何か言っているが、彼女には聞こえていない。
「お父様!!」
「……おやフローラ、どうした?今日は大切な日だろう。もう少し静かに────」
「クラインは、どうしたのです?」
挨拶も何もかも省略し、フローラは本題を切り出した。すると国王は、納得したような顔をした。
「ああ、なるほど。そのことが知りたくてここまで急いで来たんだね」
「えぇそうよ。お父様に聞くように、みんなが言うものだから……」
「ならばフローラ、一つ約束をしなさい」
「約束、ですか?」
父の瞳が急に真剣になり、彼女を見つめる。
「何を聞いても決して取り乱したりせずに、結婚式に出席すると、父に約束しなさい。そうすれば、話してやろう」
「────分かったわ、その約束は守ります。だから教えて、お父様!」
覚悟を決めたフローラの表情に満足して、国王は口を開いた。
「クライン・アルベルトは昨日をもって、お前の専属騎士を辞職した」
ドクンッと心臓が高鳴って、鼓動が速くなる。
「……え、ど、どういうこと?私そんな────辞職なんて……聞いてないわ!」
「わしも言われるまで何も知らなかったよ。彼がすべて一人で決め、昨日の夜に辞職を受け取った」
「じゃあどうして、止めてくれなかったの?!」
「止める理由など、無かったからだ。彼の辞職理由を聞いて、止める者など誰もいまいよ」
「……何なのです?彼が辞めた理由とは」
フローラの質問に、国王はただ首を横に振るばかり。
「そのときが来るまでは、教えないと約束をしていてね。なぁに、いずれお前にも分かることだ……そう遠くないうちに、ね?」
「はぐらかさないでお父様!!私は……私はっ!」
「約束は守りなさい、フローラ。その流れる涙は、この良き日には相応しくない」
国王に言われるまでフローラは、自分が泣いていることさえ気が付かなかった。
あまりにも、クラインの辞職に動揺しすぎて……
どうしてと、フローラの心は疑問でいっぱい。
どこに行ってしまったの?と、フローラは今すぐにでも探しに飛び出して行きたい衝動に駆られていた。
でも約束は守らなければと、頭は冷静になろうとする。
「……結婚式の、準備をしますわ」
ぐちゃぐちゃになりそうな心を抑えて、フローラはそれだけ言うと、自分の部屋に戻って行った。
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「お綺麗ですわ、姫様」
「この扉の先で、旦那様が待っておられます」
「先日お伝えしたとおり、二回目のファンファーレが鳴って、扉が開かれたら前のカーペットをまっすぐお進み下さい」
「本日は、本当におめでとうございます」
ここは教会。まもなく結婚式が始まろうとしていた。
口々に語られる自分への賛辞。
それらすべてに笑顔で答えて、フローラは扉の先を想像する。
(お化粧があって良かった。おかげで泣いた目元も隠すことが出来たから。今はクラインのことを考えてはいけない。悲しげな表情をしていたら、シュバイン様に迷惑がかかる)
外から鐘の音が聞こえ、それを合図にファンファーレが盛大に鳴らされる。
新郎の登場合図だ。
途端、扉の向こうが騒がしくなった。
ざわざわとざわめきが聞こえる。
何があったというのだろうか?
二回目のファンファーレ。目の前の扉が開かれた。
フローラが歩く床には赤いカーペットが敷かれ、前方を見ると、カーペットの最後に新郎の背中が見える。
遠いからだろうか、はたまた教会内に差し込む光の加減のせいか。
彼の白いはずの髪の毛は、フローラには金色に輝いてみえた。
カーペットを進む度に高鳴る、この胸の鼓動。
今までは感じなかったシュバインへの胸の高鳴りに、フローラは自分でも驚く。
その背中が近づけば近づくほどにそれは高鳴り、早く彼の顔が見たいとさえ感じた。
緊張で、シュバインの隣に着いても顔が見れない。
しかし何故だか不思議とフローラの心に、クラインを想い出させた。
(あぁ、やっぱり私はクラインが好き。もう、この想いは叶わないけれど……)
今は集中しなければと、気を引き締める。
「汝、この新婦を愛し共に永遠に添い遂げることを誓うか」
「……フローラ。こっちを向け」
神父の言葉を無視して、隣の“彼”はフローラに話しかける。
その思いがけない親しみのある声が、彼女を即座に振り向かせた。
「────っ!!な、何で……どうして……クラインがここに!!」
想いが胸から溢れて、涙が流れそうになる。
化粧をしていると思い出していなければ、確実に泣いてしまっていた。
なぜなら自分の横に立っているのは、新郎の服を着て立っているのは────彼女の恋するあの人だ。
(嘘、これは夢だわきっと。望んで諦めた未来が、今目の前で実現してる!あぁもう、これが夢でも構わない。夢ならばいっそ、覚めないで欲しいとさえ思うわ)
何も言えないフローラに向かって、クラインは膝を付く。
「昨日をもって私────クライン・アルベルトは、姫様の専属騎士を辞職致しました。ですから今ここにいるのは、ただのクライン・アルベルトです。あなたの隣に立つためならば────私は専属騎士の位を退くことなど容易い」
まるで告白のようにも聞こえるその言葉に、フローラの胸はドキリとする。
いつの間にか周りのざわめきは収まり、今はただクラインの言葉に耳を傾けている。
「フローラ・エメラルド様────いや、フローラ。好きだ、ずっと前からお前を!お前だけを愛している────どうか、この俺と結婚してくれないか?」
(きっと一生聞けないと、彼が私を好きになることなどないと……ずっと思ってた。あぁ、でも!今、それが叶ったのね!私とクラインは────両想いだったんだわ)
それを実感した途端、嬉しさがこみ上げる。
「はい、喜んで。私の……私の旦那様!」
フローラの言葉と共に、ワアッと湧いた歓声が幸せな二人を包み込む。
大勢の貴族に祝福されてここに今、新しい未来の国王と王妃が誕生したのであった。
第二章、無事完結です!読んで下さりありがとうございます♪
第三章は番外編の後にスタートです!