7/4 ENDRESS
「……やっぱり土着信仰に結びついたものって読んでいて面白いよね」
「自分の知らない世界って感じがしますからね。解からない物や自分の理解が追いつかない物に、人は恐怖を感じるんじゃないでしょうか。ほら、妖怪とかも、当時の人が解明できていなかった自然現象とかに形を与えたものって言うじゃないですか」
新緑も落ち着き、青空の季節を迎えようとするある日の午後。心地良い風と土の臭い。ベンチに佇む二つの影。声の主は若い男女であろうか。
「やっぱり異形の怪物。これは譲れないね」
とやや興奮した様子で語る男性。横で聞いている女性は、本当に好きですねと微笑み、
「B級モンスター映画とかもそうですよね」
と付け加えた。どうやら二人は、好きな怪談談義に花を咲かせているようだ。
そんな時、憂があっ、と声を漏らす。視線の先には、ぴくぴくと瀕死でもだえる蝶を運ぶ蟻の群れ。さながら黒海の上をゆくヨットのようだ。
「食物連鎖だね」
春樹がぽつりと言う。そうですねと憂も頷く。
「可哀そうな事ですけれど、仕方がないですよね」
「こればっかりはね。いくら獣医でも、蝶は専門外だしね」
その目は、草の水平線に隠れて見えなくなるまで、その航海を見つめていた。
「で、本題に戻るけど……。どうかな、憂さん」
一通りの意見交流に満足したのだろう。春樹がそう促した。元々は、春樹が小説を書いてみたいから、何か良い題材が思いつかないか、と女性に持ちかけたのが事の発端だった。
「そういう声を掛けて頂いたのは嬉しいですけど、すぐには思いつかないですよ」
うーん、と憂は軽く唸り、目を閉じ首を横に振った。直後に吸い込まれるような瞳で春樹を見つめこう言った。
「でも、私は面白いと思いますけどね。さっき言っていた、いわくつきの部屋に住む一人暮らしの男と自縛霊のラブストーリー」
春樹は、はははとはにかみ、人差し指を鼻の下に添えた。それに合わせて、憂もくすりと笑った。
「ただ……」
すぐに彼の表情は曇りだし、力なく吐き出した。
「……ただね、何というか僕には、そういう経験が無いからね。藍にも言われたよ、お兄ちゃんに書けないでしょ?って」
「大丈夫ですよ。幽霊と同居した人間なんて殆どいないでしょうから。そこは独創性で」
憂はファイトです、と言わんばかりに、両の拳を春樹の前に突き出した。
「いや、そうじゃなくてね。なんというか……知ってると思うけど、僕は今まで女性とお付き合いしたことが無いんだ」
「あっ、そういうことですか。納得です」
そこまで言うと憂は、しまったという顔をした。
「あっ、違います。今の納得ですは、日向さんに彼女さんがいないことに対してじゃなくて、経験が無いの勘違いに対してですからね。すみません」
狼狽して取り繕う彼女。その様子を春樹は一瞥し、ふっと吹きだした。
「案外、憂さんの言う通りかもね」
「だから、違いますって。そんなつもりでは」
首を振るたびに、艶のある黒髪が風に靡く。
「あっ、いや、そこじゃなくてね、なまじ現実味がある話だと、どうしても自分の経験に依ってしまう。でも逆に、完全にフィクション、それこそ空想とかだったら、独創性で補えるんじゃないかなと思って」
「完全なフィクションですか」
俯き思案を巡らせた。
「例えばSF物とかでしょうか」
恐る恐る披露する憂に、春樹はいいねと相槌を打つ。
「でも、SFはいいとしても、宇宙とか地底とかが舞台だとある程度専門知識が欲しいから難しいですよね。すぐに突っ込まれちゃいます。それならオリジナルの世界観が創りやすいファンタジー物はどうでしょう。魔法やらマナやらで大抵は解決ですよ。そういえばこの前見たファンタジー系アニメもループ物で面白かったですよ」
憂という女性に対して、大抵の者はまず、同じ第一印象を持つ。淑やかで綺麗な子だと。そして、その次が意外とよく喋る子だな、である。こう言ったところが彼女をそう思わしめる所以なのかもしれない。
「ループ物か、話も広げやすそうだし、面白いかもね」
春樹は腕を組み考え込む。ループ、ループと呪文のように繰り返すのを横目に、憂はふっと思い出す。
「そうだ、日向さん。この前読んだ推理小説が面白かったって言ってたじゃないですか。だから、謎解き要素も入れて、ループ物の脱出物なんてどうでしょう」
「面白そうだ。でも脱出でループにするなら、制限時間を過ぎると戻るってことになるのかな」
「あとは、特定の行動をしなかったらでも良いかもですね」
「じゃあループした時の記憶の引き継ぎはどうしよう?謎解きなら、これが無いと話が進まないような気がするけど」
「それは設定次第じゃないでしょうか。例えば、記憶は残らないけど『行為や結果』はループ後も残るなら、断片的には話は進みますし、うまくやれば最後にそれが一つに繋がっていく爽快感も魅せられます」
「なるほど」
言い終わるや否や、春樹はばっと立ち上がる。
「見えてきた気がするよ。うん。ありがとう。やっぱり憂さんに相談して良かったよ」
「そう言ってもらえて光栄です」
春樹が手を伸ばし握手を求め、憂も笑顔でそれを受ける。二人の手が触れる。自然なやり取りであったが、想像していたよりもずっと柔らかく、ずっと小ささな掌が、女の子のそれであることを春樹に強く意識させた。
「もうタイトルも浮かんできた」
言いつつ再びベンチに座る。男として座らざるを得なかった。
「えっ、もうですか?さすがですね。それで、そのタイトルは? 」
「これだよ」
そう言うとノートを取り出し、さらさらとタイトルとなるであろう英語を書きだした。
「えらく、そのまんまですね」
「シンプルイズベスト、ということもある」
小気味よく笑う春樹の横で、憂は小さくため息をつく。どうしようかと悩んだが、ひと思いに言った。
「日向さん、エンドレスのレスは、RじゃなくてLです」