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snow drop  作者: ふぁーむ
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ある少女-2

 『痛い。体がそう訴えたのは目覚めと同時だった。もしかしたら、目覚める前からそうだったのかもしれないが今となってはどうでもいい。まどろみというほど安らかではないが、寝惚けた頭とふやけた視界で、悲鳴を上げている部位を見た。どうやら左腕のようだ。

 眼だけで追いかけると、不自然にねじれた左腕が、私のお尻の下にあるようだ。ああ、そういうことか。金縛りにあっていないことを祈りながら、腕に意識を集中した。動く。痺れの感覚が大部分を占めてはいるが、その下に僅かに、だが確かに指が動いている感覚がある。このまま引き抜こう。

 バランス崩しで最初の倍の高さにまで積み上がった時の慎重さと速度、と言えば少しは想像できるだろうか。とにかくそれくらいのペースを維持し、なんとか腕のねじれを解消し、救出に成功した。そこで初めて気付いた、腕だけでなくお尻も痛いということに。

 それもそのはず、今まで件のお尻は硬い腕時計の上に鎮座していたのだから。最近少し体重が増えたから、腕と痛み分けといったところかと、自嘲気味に鼻息を漏らした。

 しばらく腕を伸ばし、血の巡りを待った後、左腕を静かに脱力した。聞こえたのはコツンという乾いた音。その違和感に、即座に身を翻しうつ伏せになった。

 一瞬、頭が真っ白になったのかと思った。が、そうではないことに気付かせたのは、眼前に広がる白。


 大理石、とでも言うのだろうか。硬くて光沢があり、滑らかな手触りの材質である。その床が見える範囲一面に広がっている。いや、少なくとも、を付け足すべきかもしれない。今立っている場所が高地とは思えないので、あそこまで見渡せるということは、ずっと平地なのだろう。恐らくその向こうも。

 東京ドーム何個分という言葉はこういう時に使うべきなのだろうと思いながらふと、視線を足もとにうつした時、異物が飛び込んできた。

 言葉にするなら塊。そうとしか形容できない赤茶けた塊が落ちている。十センチ四方くらいのサイコロ状で、硬いのかそれとも柔らかいのかも見た目からは判別が付かない。今までの人生で見たことが無い物である。さすがに私にはこんな得体の知れないものを素手で触る度胸は無い。靴の先でそっと突いてみた。意外と硬い、という感触は一瞬。それ以降はただただこの塊の重量に圧倒された。高々大きめのサイコロ程度の物体である。たとえコンクリートでできていたとしても、転がせないまでも、横に滑らすことはできるであろう。しかし、この塊はピクリともしない。

 考えられることは二つ。この塊が床に固定されているか、さもなくば、非常識なほど高密度なのか……。どちらにせよ、これがなんであるにせよ、何故だかこの塊を見ていると内側から、陰鬱な気持ちが沸いてくる。この塊が恐ろしい物であるような気がする。何故だかわからないが、その時、確かにそう感じた。

 私は塊から少し距離を置き、今の状況を落ち着いて考えようと試みた。出来る限り明るく楽しく。目覚めたら知らない場所、というのは映画や小説で良くある展開だが、まさか自分の身に起こるとは思ってもみなかった。

 小説……ああ思い出した。昨晩読んでいた推理小説が丁度こんな展開だった。とするなら、これは夢で、今の私は探偵少女ということか。探偵少女の響きにふっと吐息を漏らした。少女と言える歳だろうか。私の脳が、どうしてこんな何も無い空間を創造したのかはわからないが、とりあえず方向を決めて、地平線の向こうまで行ってみよう。


 人は思い込みの生き物だ。そんな話を現実世界でよく聞いた。目隠しをした状態で血管を切ったふりをして水滴を垂らすと、脳は出血していると思い込みやがて死亡する。そんな物騒な話を私は尻をさすりながら思い出していた。

 釈明をするが、これは決して私がドジっ子だからではない。平地だと思い込んでいた空間にぽかりと穴が空いていれば、誰だってこうなる。ましてや一面白の背景に溶け込むようにならなおさらだ。この空間を百人に散策させたら、七十人は最後までこの穴の存在に気が付かないだろう。私が悪いわけではない。

 幸いそれほどの深さは無いようで、尻餅をついた程度で済んだが、今日は尻の厄日だとつくづく思う。激痛というほどではないが、カッと芯から熱くなるようなこの痛み、恐らく現実世界でもベッドから落ちているのだろう。それでもこの夢から覚めない自分の鈍感さが少し嫌になる。

 重い尻、もとい腰を上げ、ぎこちない足取りでよじ登れる場所を探した。五歩ほどで、つま先が壁を蹴ったのがわかった。どうやらここが穴の向こう側の縁のようだ。そこから辿るように、眼を皿のようにしてみれば、なんとかその凹凸が見える。ここに『穴がある』ことと、『ここが縁である』ことが事前にわかっていれば、なるほど見えないこともない。

 段差の高さは私の腿くらい、およそ六十センチ程度といったところか。これなら運動神経に自信のない私でもよじ登れるだろう。

 段差をひょいと上った私は、今一度その憎らしいトリックアートの輪郭を目で追った。見立てでは広さ二メートル四方の直方体、充分にこの空間で横になることもできそうだ。風くらいなら凌げるだろう、ここに風雨があるかは知らないが。最悪の場合の今日の寝床にはなりそうだ。尤も夢の中だから睡眠などいらないのだろうが……。私は再びトリックアートに騙されることのないように、縁に腕時計を置き、先へと進んだ。

 先ほどの穴のこともあり、地面を舐めるように見渡しながら慎重に進む。この空間には何も無いと思い込むのは辞めだと決意を新たにした時、突如として、体の芯から揺さぶられるような轟音が響き渡った。

 「ひっ」と情けない悲鳴を聞いた。それを取り消すかのように、震える声で「お次はなんだ」と呟いた。大好きな映画のセリフである。だが、その声もこの轟音の前では、本当に発声できたのかも怪しい。

 速くなる鼓動の中、必死に音の出所を探すが、前には何も見えない。そして振り返っても穴と腕時計、そして件の塊しか映らない。どうしても塊が脳裏に浮かぶが、いや違う。音は四方から、そして正面から最も大きく響いているのだから。

 とにかく此処から離れなければ。震える脚をぴしゃりと叩いたまでは良かったが、そのまま後退りをしてしまった。数歩のところで、パキッという乾いた音、そして体が不意にふわっと浮くのが解った。しまった……穴だ。背中と腰を打ち付けるが急いで起き上がる。一目散に縁へと向かう。

 音はすでに、耳元ではないかと言うほど、大きさも距離感も麻痺している。縁の壁に膝をぶつけながら、穴の縁に手をつき、勢いをつけようと身を屈めた時、腰に硬い物が触れた。

 

 漏れたのはただ一言、いや、言葉ですら無い。「かひゅ……。」という肺から空気が漏れる音。』


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