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snow drop  作者: ふぁーむ
15/15

2/2-2 美しい祈り

 目が覚めた時、最初に憶えたのは、漠然とした違和感だった。いや、語弊が無いように言うなら、その違和感のおかげで目が覚めた、だろう。それから体感時間にしてほんの数秒で、その違和感が体の痛みであると認識できた。半分霞んだ世界で痛みの方向を意識すると、なるほど合点がいった。

 なんのことはない、半回転ひねられた左手の甲から腕にかけて、上に私のお尻が乗っているだけのようだ。腕に意識を集中した。良かった、腕は痺れてはいるが、ゆっくりとなら動かすことができる。このまま引き抜こう。

 どのくらいの時間そうしていただろうか。長い格闘の末、体の下から引き抜いたそれをまじまじと見つめた。圧迫されて血が止まっていたせいか白く、それでいて斑模様に真っ赤になっている。

 ……それにしても、こんなに硬い床に挟まれた腕は……硬い床……硬い床?体の違和感は世界への違和感に変わった。即座に身を翻した。



「眼が醒めたみたいだね」

 憂の頭に響いたのは、聞き覚えのある声だが、もやが掛ったかのように働かない頭。冷え込んだ空気が体を包む。明かりの無い薄暗いその部屋。それが逆に窓の外に浮かぶ見事な満月を鮮やかに浮きあがらせた。

 ……夜なの……?

「よく眠れたでしょう」

 声は、嬉しそうにそう続けた。

 状況が飲み込めず、出来る限りの事を思い出そうとする。春樹さんと会って……。それで去り際に春樹さんが後ろから抱き締めてきて……それから?

「注射したんだ。ケタミンをちょっとね。憶えてるかな? 後ろから抱き締めた時に」

 何の冗談だろう。

「今日は偶々多くのゼミが飲み会だったからね。酔い潰れたけど行く当てもないから仕方無くここに連れて来た、とでも言えば守衛さんをどうにかできないことも無い」

 言っている事が理解できない。

「尤も幸運にも、いやあなたにとっては不運にも……かな? とにかく誰にも見られずここまであなたを運べたから、言い訳は不要だったけどね」

 抑揚のないその声。声の主は解かっている。だがいつもの、今までの春樹では無い。理解できたのはそれだけだった。

「そうだ、小説が完成したんだ。見てよ」

 一方的に話を進める春樹。そうだ、とさも思い出したかのような文言だったが、そこに感情は無く、明らかに元々言うつもりだったのだと悟った。あの……春樹さん……と言いかけるが、いいから読めと言う怒声に憂はただ従うしかなかった。

 月明かりを探し、震える手でページを捲る。いつか見た、あの話。ループする世界で、男の子が謎を解きながら進んでいく話……何これ……。

 わくわくするような、楽しい謎解き物だったはずなのに……。男の子は少女に変更され、どれもこれも目を覆いたくなるような悲惨な死に方を繰り返す。そしてその少女は……YU。……私だ。そして物語は唐突に『やはり本物でなければ満たされるはずがない。』と締められている。

「……どういう……こと? 」

「面白い話でしょ。何回読んでも興奮するね」

 何も言えないでいる憂を一瞥する。鼻から一度ふうと息を吹き出し、呆れたように首を振った。

「興奮はするんだけどね、何回殺しても晴れないんだ。当然だね。作り話なんだから。……解かるだろう。人を散々弄んで……塵屑の様な女が」

 あぁ、そう言う事か。私は確かに酷い事をした。……これは報いなのか……。

「で、気が付いたんだ。ここに本物がいるじゃないかって」

 何も言う事が出来ない。命乞いの悲鳴も、悲嘆の絶叫も……何も……。

「まぁいいよ。理解も、怒りも期待していないからね。……ただ」

 春樹がのそりと立ち上がる。先程までは見えなかったが、手袋をはめたその手には、洗濯ロープの様な物が握られていた。

「ただ、その小説のように、物語が理不尽に奪われて、何の前触れもなく突然終わるのを前にして、どんな気分なのか、それを想像するだけで…」

 

 ……違うよ、春樹さん。あなたは知らないかもしれないが、理不尽では無い。理由ならある。

 

 刹那、春樹が憂を突き飛ばし、そのまま馬乗りになる。

「その美しい顔がどういうふうに歪んでいくかを見せて欲しい」

荒々しい呼吸と共に、ロープをぴぴんと伸ばす。ああ、私は今からあれで……。

 滲んだ視線をそっと逸らす、一雫の涙が零れた。ああ、驚くほど静かだ。


「どうして……」

 絞り出すようなその声は震えていた。すぐには信じられなかった。それが先程まで狂気の丈を蛮勇していた春樹の口から出た言葉だとは。

 春樹はそれしか言わなかったが、憂にはその先が理解できた。優しいあなたの事だから……。

「あなたに酷い事をしたから……」

「酷いのは僕だ……」

 とても静かな夜だった。二人以外この世界に存在しないのではと錯覚するほどに。二人の荒々しくも、生命力にあふれる呼吸音だけがこの世界を包み込んだ。

「ほら、いつか行った美術館で言いましたよね。人の心は別の視点から見たら、ちぐはぐだったりするって。……あれは私自身に言ったんです」

 月が雲に隠れる。部屋を暗闇が包み込む。憂からは春樹がどんな顔をしているかは見えなかった。

「私はあなたが思うほど、綺麗な人間でもない……。ただの汚れた人間です……」

 日向は何も言わない。いや、言えなかったのかもしれない。しゃくるような音だけが部屋に響いていた。

 ……春樹さん、やっぱりあなたは……。優しい人だ。憂はすうと息を吸い込み、乱れた呼吸を整えた。それは、今までずっと呑みこんでいた言葉。呪いのように纏わりつき、憎しみさえ覚えた言葉。私を苦しませ続けた言葉。


「私は、春樹さんの事が好きです」

 初めて、人生で初めて言えたその言葉。ああ、初めて堂々と胸を張れる恋ができたと、憂は誇らしく思った。

「……僕も憂さんが好きです」

 それはこの祈りが結ばれた事を意味していた。この際にあって、憂の心はこれまで感じたことが無いほど穏やかで、満ち満ちていた。

「私たち……やり直せないでしょうか」

 大きな祈りのあとに訪れた小さな祈り。憂は解っていた。

 大きなその手が、憂の髪を優しく撫でた。それは一瞬だった。だが確かに憂は、あの優しかった春樹の面影をそこに見た。

「もう、戻れないんだよ。……憂さん、ごめん」

 それもそうだと憂は想った。……ああ、次はどうか薔薇か何かに生まれ変われますように……。

最期の祈りを胸に、憂は静かに目を閉じた。もう二度と、その瞳があなたを映すことがないと知りながら。


 歯の軋む音と共に、その手に力が込められた。柔らかな白い肌に食い込むロープ。本能的に、そのか細い指がロープを緩めようと、喉を掻き毟る。普段の淑やかな振る舞いからは想像できないほど、下品に、美しく股を開いてばたばたともがく。生涯誰一人受け入れなかったその秘部からは、さめざめと体液が漏れる。

 やがて、タイツが伝線し所々が露わになった脚が、一瞬ピンと跳ねた後、脱力したきり動かなくなった。意志を亡くしたその腕が、コトリと床に落ちる。光無く見開いたその瞳は、何も言わずに春樹を見つめた。薄く開けた口から少し零れる小さな舌。時が止まったようなその表情に、春樹は思わず息を呑む。……美しい。その髪を慈しむように撫で、頬に優しく口付けをした。


 

 本当は知っていたよ。あなたが隠したあの花言葉を。

 今ならわかる、あの花言葉は……。ゴジアオイの花言葉は、僕が贈るべき言葉だ。そして憂さん、あなたは美しく咲くスノードロップ。出会った時から、僕はあなたの死を望んでいた。





……どこで間違えたのかな。

……さよなら。






 物音一つしないその部屋。ただ窓から差し込む月明かりだけが、少女と青年の骸、そして寄り添うように咲く二つの白い花を照らしていた。青年は悲しげな顔をして眠るように事切れていたという。








 僕は恋をした。いつも俯きがちなあなたに。儚げでありながら、何ものにも染まらぬその純潔さに。

 だから僕は、あなたに似た純白の花を二つ捧げた。一つはあなたに。もう一つは自分自身に……。


ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。拙い文章ですが、初めての作品ですのでご容赦ください。

 もし、批評、感想等頂けましたら今後の創作活動の励みになりますので、よろしくお願いいたします。

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