第一章 もう一人の住人 PART3
「あ、ごめんなさい」
電車を降りる際、
進一は自分の右肩を
ぶつけてしまった女子学生に
小さく頭を下げた。
しかし、
その学生は一瞬いぶかしげな目線を
進一に返した後、
さっさと歩いて行ってしまった。
(うーわ!
キモいおっさんに肩触られちゃったよ(T_T)
ありえないんですけどw)
…て、思われてたら嫌だな。
しばらく電車を降りるずに
そんな妄想を駆り立てていたせいか、
進一は危うく駅に降りそびれそうになった。
そんなことで約束の時間に遅れては
久々に見つけたクライアントの心障を損ねかねないため、
進一は足早に駅の改札口へと向かった。
この冴えない中年男、進一の職業は探偵である。
彼は
さして目的も無く入った二流大学を中退した後、
アルバイトを転々と変えつつ
東京での生活を凌いでいたのだが、
とある探偵ドラマを見たことをきっかけに
探偵業を始めることにした。
と言っても
どこか事務所を借りる金なんて彼にあるわけもなく、
三十を過ぎた今になっても
自宅のアパートで依頼の電話をひたすら待つだけの
自称「私立探偵」でしかなかったのだが…。
このままではらちが明かない。
そう思った進一が始めたのが、
新聞の広告欄に自分の連絡先を載せる宣伝方法だった。
しかし、
全国紙だと「記事バサミ」と呼ばれる
わずか数行の記載でも
数十万円の費用が掛かってしまう場合もあるため、
進一が選んだのは
自分が今住んでいる場所から電車で行ける範囲に
発行されている地方新聞であった。
もちろん
その新聞でも一番最安値で掲載出来るスペースを選択し、
これを一ヶ月間の間で週一回試せる契約を進一は結んだ。
これでダメだったら田舎に帰って
父親の畑作業でも手伝おう。
そう思っていた進一の元に
ある電話が掛かってきたのは、
その新聞での最後の広告が掲載された直後であった。
約束の場所であるホテルに到着した進一は、
まずロビーにある受付カウンターへと足を運んだ。
最近のホテルでは、
宿泊や食事だけでなく
今回のような込み入った話をする際にも
部屋を提供してくれるのだ。
そのことを今回の件に関わるまで進一は知らず、
これはクライアント側から提示された場所であった。
進一が受付まで歩いていくと、
そこに立っていた
ホテルマンと思しき二人の男性のうち、
一人が彼に向かって頭を下げた。
「いらっしゃいませ。
当『プフェアードホテル』へようこそ」
「…どうも。
五時から予約を取っている島崎です」
こんな高級感漂うホテルに来たのは初めてだったため、
進一はやや緊張気味にクライアントの性を名乗った。
「ありがとうございます。
確認させて頂きますので、
少々お待ちいただけますでしょうか」
男は丁寧に断ってから、
素早い手つきでパソコンを操作し始めた。
そして、
さして時間をかけることもなく
再び進一へとその視線を戻した。
「お待たせ致しました。
六〇三号室にて部屋をご用意させて頂いております」
男は進一が返答する前に、
「お相手様はすでにご入室していらっしゃいます」と続けた。
それを聞いて
進一は表情を曇らせた。
出来れば、
彼よりも自分の方が先に到着出来るようにと
約束の時刻よりも二十分近く先に来たのだが、
それでは遅かったらしい。
男から部屋のカギを受け取った進一は、
エレベーターを使って部屋へと向かった。
クライアントが掛ける
今回の案件に対する時間や費用から、
その思いの強さを進一は感じ取っている。
今まで猫探しや不倫相手の動向など、
あまり気乗りしない仕事ばかりだったため、
進一自身も本案件へのモチベーションは高い。
そして
部屋の前まで辿りついた進一は、
一度大きく息を吐いてからドアをノックした。
「お待たせしました。
矢野進一です」
相手にこの声が聞こえているかは疑わしかったので、
進一は返事を待たずに
カギを開けてゆっくりドアを開いた。
自分のアパートよりも大きなこのホテルの一室で
椅子に腰を掛けていたのは、
進一に「娘探し」を依頼した
島崎泰平であった。