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5 2012/10/31
ヒダリーどんについて話さなくてはなるまい、と梅人は覚悟した。ヒラリー・クリントンではない。ヒダリーどん、だ。
「ヒダリー」とは奥豊後地方の方言で、腹がへった、みたいな意味らしい。ひだるし、ひだりい? カタカナで表記したほうが、その後ろの「どん」との兼ね合いがいいので、外国語みたいだけど我慢してほしい。
「どん」は、おいどんとか西郷どんの「どん」だ。殿、の崩れた感じ?
残念ながら、ヒダリーどんの話はネット小説ではない。ソースは『まんが日本むかし話』だ。
当時小学生だった梅人にとって、ヒダリーどんの話は、その後トラウマになるほど衝撃的だった。
ほのぼの系で夢があって、それでいてミステリアスで、おそるべきカタストロフィーへと向かって行く、江戸川乱歩賞でもあげたくなるような大傑作だ。
あらすじを語るような野暮なことはしたくないが、便宜上、仕方がない。さもないと梅人が入っていけないし。
ヒダリーどんは、彼の本名ではなくニック・ネームだ。
まだ農民に苗字がなかった時代だから、田吾作とか権兵衛とかいう名を晒すより、よほどインパクトがあっただろう。
彼はいつも腹を空かせていて、そのことをボヤいていたので、そういう名で呼ばれるようになった。
農民は貧しく、年貢が重かった時代の話だ。腹を空かせていたのは彼だけではなかったはずだ。
つまり、ヒダリーどんという男は、堪え性がなかったといえる。そのことが彼を、あるプランへと導く。
彼のプランは、米の飯を腹いっぱい食べることだった。当時の時代背景からすれば、叶わぬ夢といっていい。
いくら作物をこさえても、ほとんど年貢としてお役人に獲られてしまう。ならば、お役人の目が届かぬ場所で米を作ろう。
そんな場所が実際にあったかどうか、そこのリアリティを追求するのはやめよう。
ヒダリーどんは山の中で、秘密の米づくりを開始する。山の中って、水田のイメージとかけ離れているけど、まあ、そこのリアリティを追求するのはやめよう。
いよいよ彼の米は収穫期を迎える。彼だけの米だ。
なにぶん小学生のときに見たアニメ番組なので、梅人の記憶もあいまいだ。
ヒダリーどんは、たぶん、山の中に「米づくり計画」専用の小屋を建てていたのではないか。
そこで彼は収獲した米を脱穀・精米し、釜で炊いて食べたのだ。それは夢にまで見た晩餐だった。
そして最後の晩餐だった。
ヒダリーどんが何故死んだのか、梅人には、まったく意味がわからない。物語中でもその説明はなかったと記憶している。
小学生だった梅人は、当然、一緒に番組を観ていた親に説明を求めた。
「ヒダリーどんは、なんで死んじゃったの?」
今にして思えば、この質問は残酷だった。親にも答えられない問いは、世の中に多数存在する。
「うーん、ショック死……かもね」
親はそう答えた。
ショック死って……エグイなあ。大人になった梅人は、今でもその返答を思い出すたび、可笑しいような物悲しいような気分になる。
努力して望みを叶えた者が、なぜショック死しなければならないのか。人は心から満足すると、死んでしまうのか。
一方で、ヒダリーどんの所業は、お上に対する重大なルール違反だったともいえる。
いくら飢えていても、無断で作物をこさえ、独占するようなおこないは許されない、という教訓が見え隠れする。
ようするに彼は、バチが当たったのだ。
ちょっと待て、そんなものは、体制側の体のいいプロパガンダに過ぎない。
じゃあアレか、女性の膣内ではなくコンドームに射精する梅人は、無産主義の重罪人か。
妄想は膨らむ。ヒダリーどんの死は、ダブル・ワークによる過労が原因だったかもしれない。彼は昼間は真面目な農民をやり、夜は自分のプランのために奔走した。結果、身体をこわした。
妄想は膨らむ。彼の死は、自殺だったかもしれない。彼にも罪悪感はあった。けれど、己の欲望を制御できなかった。腹いっぱい食べて、そのあと、死ぬ計画だった。
*
まあいいか、と梅人は呟く。そして枕元のボイス・レコーダー付き目覚まし時計のボタンを叩く。
『たくさん出したわね、テ〇ロー』と、たおやかな女性の声が流れる。
「うん、メー〇ル」
梅人は幸福だった。彼がヒダリーどんなら、死んでいただろう。
本編はこれにて終了。次回、番外編です。