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3 2012/10/24
梅人の就寝は早い。たいてい夜の九時、一〇時には寝てしまう。
水風呂から上がったあたりから、彼の挙動は不審になる。
知らぬうちに缶ビール二本が空になっていたりする。知らぬうちに、コンドームに大量の精液を放っていたりする。
今夜誰とも性交渉をした記憶が、梅人にはない。するとこれは、いわゆる自慰行為の証跡か。
自慰行為にわざわざコンドームを使用するなど、不経済も甚だしい。
まあいいか、と梅人は呟く。そして枕元のボイス・レコーダー付き目覚まし時計のボタンを叩く。
『たくさん出したわね、テ〇ロー』と、たおやかな女性の声が流れる。
「うん、メー〇ル」と梅人は、使用したコンドームを片づけながら返答した。
なるほど、不経済はこの、心の贅沢のためだったのか、と妙に納得する梅人であった。
夢の中で、梅人は何度もユキを犯した。おばさんとなったユキを、だ。
彼女の中で果てるたびに、梅人は若返っていった。ユキも本来の年齢まで若返った。
夜が明けるころには、梅人は少年にまで還っていた……らいいと思う。こんなふうに、時間の観念や熱力学の通用しない世界があったら面白い。
ふつう、老人同士が抱き合っても若返ったりはしない。逆にうんと年上を相手にしても、必要以上に老けることはない。
必要な分だけ人は年をとる、というのが梅人の考えだ。必要な分だけ……。
いつしか梅人は深い眠りに堕ちていた。夢から醒めてようやく眠りに就くのが彼の流儀だった。
妄想か、幻覚か、それともただの二度寝なのか、彼にも今一つわからない。いずれ重要なことではないだろう。
朝がくるとまた、梅人は起きて会社へ行く。彼を含む大多数の社会人が一日の大半を割く、就業タイムのはじまりだ。
梅人はこの就業タイムを、人形タイムとこっそり呼んでいる。
社会の歯車って古くさい言い方だ。蒸気機関的な産業革命の匂いがぷんぷんする。
もっと、なんていうか、心ここにあらず感がほしい。梅人は人形になって手足を動かすが、頭の中はほぼスリープ・モードだ。
働くことが楽しいとか辛いとか、あまりそういったことを梅人は考えない。
働くことが辛ければ人生は地獄だろう。働くことが楽しければ、それに越したことはないが、ただし、ルーチンの範囲であってほしいと彼は願う。
ルーチンこそ人類最大の発明だと梅人は考える。決まったことを、決まったようにやる。繰り返す。
昨日と同じ明日がくると信じる。人間の営みそのものだ。
梅人は結婚していないし、いまのところする予定もないし、今後も生涯未婚である可能性はめちゃくちゃ高い。
だから、他人の夫婦生活というものに、並々ならぬ興味をもっている。
他人同士の男女が、いったい、どんな夢や財産を共有できるというのか。
『転職情報誌』というタイトルのネット小説を読み終えた梅人は、またその世界に侵入した。
小説の醍醐味は、読んだときに違和感を憶えること、これに尽きるといっていい。少なくとも梅人はそうだ。
間違っても共感したり、ましてや感動したりすることではない。
そういう梅人も、コロッと感動させられたりする。だが、そういうときこそ冷静になる必要がある。
ヒネた考えかもしれないが、感動というのは、あらかじめ用意された論理的帰結であることが多い。
迷路の中にあって、一本の道筋が見えたとき、人は感動する。それは迷路を作った、制作者側の意図なのだ。
迷路にもし、出口がなかったら、読者はドン引きするだろう。タイタニックがもし沈まなければ、同じように読者はドン引きするだろう。読者はいつだって冷静で、残酷だ。
なんの話だったっけ……と梅人は自戒する。そう違和感だ。
違和感は意外性への予感だったりする。意外な結末にも人は感動する。頼むから感動しないでくれ。
梅人は首を振る。彼がいいたいのは、そういうことではない。
例えばそう、異性の作者が書いた小説などは興味深い。男性の梅人にとっては、女性の作者が書いたものは、良い意味で違和感だらけだ。