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1 2012/10/11


 飽きっぽい人間ほど、日々のルーチンを大切にするものだ。

 呉田梅人くれた ばいとは、まさにその典型だった。

 彼は派遣社員で、とあるシステム会社にオペレータとして派遣されていた。

 オペレータというのは、一言でいえば、ルーチンの塊のような仕事だ。決まったことを、決まったようにやりさえすればいい。

 仕事に独創性はいらないし、また、あってはならない。彼にはそれが、他のどの職種よりも魅力だった。だからこそ、これまで続けてこられたのだろう。

「お先に失礼します」

 今日も定時きっかりに職場をあとにする。ここからが、ある意味、本番だともいえる。

 彼は空腹だった。まる一日働いたのだから、当然だろう。なんとしても『月下』のナックル味噌ラーメンが食べたかった。

「よし、いくか」

 彼は一人ごちた。『月下』へ行くことは、もう決まっている。が、そのまえに、三〇分ほど歩かなくてはいけない。これはそのウォーキング宣言だ。

 彼は通勤に便利な路線を選ぶため、あえて職場から遠いほうの最寄り駅をつかっていた。

 同僚に、そこから毎日歩いてきていると話すと、たいてい驚かれる。

「いやあ、健康のために」と梅人は照れ笑いする。

 運動不足解消のため、たしかにそれもある。だが、本当の理由は別にある。彼はドMだったのだ。

 たいして忙しくない仕事とはいえ、まる一日働いてそこそこ疲れているし、腹も減っている。そこにウォーキングというプチ拷問を足してやる。ご褒美として、おいしい味噌ラーメンをいただくことができる。やらない手は、ない。

 真夏のクソ暑い夕刻に、熱くて濃厚なラーメンをすするというのも、ある種の拷問かもしれない。だが、店は厳選していた。

『月下』はわりと有名なチェーン店で、値段もそこそこ、味も安定していた。そしてなにより、エアコンが効いていて涼しく、店内もすいていた。

 いくら梅人でも、三〇分歩いたあとに人気店にならび、すし詰めの店内で急かされてラーメンをすするほどにはドMではない。

 要はアメとムチのバランスだ。

『月下』のナックル味噌ラーメンに、彼は嵌まっていた。シンプルなのに、どうしてこんなに、おいしいのだろう。値段も六二〇円と財布にも優しかった。

 隠し味のニンニクが効いているのだ、と彼は分析する。味もそうだが、夜が愉しみだった。

 腹を満たすと、彼は作家に変身する。

 ここから自宅の最寄り駅まで、小一時間ほど電車に揺られるのだが、それは彼には貴重な執筆タイムだった。

 ツールは携帯のメールだ。これといって不便はない。最終的にはパソコンへ転送してそっちで編集するので、携帯での作業はいわば叩き台だった。

 彼は最近、ネットの小説投稿サイトに、自分の作品を発表しはじめた。

 その動機については、追って触れるとしよう。動機がわかれば、彼がどんなものを書いているかも必然的に明かされるだろう。

 自宅の最寄り駅に着くと彼は、

「身も心も軽くなっちゃったー」と一人ごつ。

 帰りの車内は、そんなには空いていない。けっして悠々と執筆できるわけではない環境下で、携帯を必死になって操るのも、彼一流のドM行為といっていいだろう。

 さて、ここで一時、作家の貌は鳴りをひそめる。ホームへ降り立ったそのときから、梅人はふつうの三一歳に戻る。さあて、どんな浮いた話が飛びだすやら。

 おおかたの予想どおり、そんな話はひとつもない。

 彼は真っすぐ家に帰る。そこには愛すべきワイフが待っている……はずもなく、つまり、彼は独り身だった。

 だが、なんだろう、彼の表情の明るさは。恋人でも呼ぶつもりか。または即席のそれでも。

 違う、どれも正解ではない。しかし、それでも、彼の頭はいやらしい妄想でいっぱいだった。焦ってはいけない。

 九月に入ってから猛暑日が一〇日連続していた。狂気じみている。彼が自宅マンションに着くと、部屋の中に一日分の熱気が充満していた。

 速攻でエアコンのドライを入れる。彼は素っ裸になると、バス・ルームへ移動した。どぶん、とバスタブに身を沈める。水風呂だ。この猛暑で水は生ぬるい。


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