第40話 目覚め
イクミが医務室の扉を開けると、一人の医者がリオの腕で脈を調べていた。
医者も開けられた扉から新たな患者か視線を上げた為、視線がぶつかる。医者が首を傾げながら声を掛けてきた。
「君は? 患者ですかな?」
イクミは頭を振って否定を示すと、医務室に入る。後ろ手に扉を閉めながら口を開いた。
「私はイクミと言います。そこで横になっているリオ=アストラーデの同居人です。彼の容体を聞いて急いでここまで来ました。彼は大丈夫ですか?」
医者は視線をリオの方に向けると、あまり大きくは無い声で話しだした。
「身体の方は、右手の怪我以外は大したことは無いですね。右手の方も見た目は凄いですが、しばらく包帯を巻いて怪我が開くようなことをせず、清潔にしていれば問題は無いでしょう。一番の問題は……聞いているかと思いますが、戻ってから一度も目を覚ましていないことですね。運び込まれてから、しばらく経ちますが、目を覚ます様子がありません。気絶する直前を見ていたという、ティル君でしたか、その彼から話を聞いたのですが、少し様子がおかしかった言っていましたので、極度のストレス過多による昏睡だと思われます。本当はしばらく安静にしてあげたい所なのですが、彼にも人命が掛かった要件が間近に迫っているということですし……良かったら彼の傍に付いていてあげて下さい。私の様な老い耄れより、貴女のようなお美しい女性の方が、彼も喜ぶでしょう」
医者はそう言い残すと、気を使ったのか部屋から出て行った。イクミは、先ほどまで医者が座っていた椅子に座ると、リオの左手を祈るように握った。
リオの左手は暖かく、出掛ける前まではキレイだった手は、冒険で作ったのか小さな傷が沢山出来ていた。一週間にも満たない冒険でこんなにも傷を作る。それは、近くのコンビニや少し出てもデパートにいけば何でも揃い、東京から大阪まで四○○キロという距離を三時間程度で行くことが出来る世界からきたイクミには、冒険という言葉を聞いても『小説』や『ゲーム』の中の話でしかなく、どこまで行っても現実味の沸かない話であった。
ビグルスが話を持ってきた時も、軽い考えで一緒に行くなどと言って付いていこうとしたり、自分の考えの甘さに吐き気すら込み上げて来た。
気付くと自分の目から零れた涙で、ベッドのシーツが濡れていた。よく、涙で目が覚めるなんて場面がドラマ等で見ることがあるけど、そんなのはドラマでしかない。現実にはイクミが流した涙で、リオの左手が濡れても目覚めてはいないのだ。
イクミは、気付くと歌を口ずさんでいた。その歌は、なんてことはないイクミが好きだったアニメソングの挿入歌だ。オープニングソングでもなく、エンディングソングでも無い。ただの挿入歌。なぜ、それが不意に出て来たのかイクミにも分からない。確かに好きな曲だったけど、意識した訳でもなく口から出て来たのだ。
だけど、イクミは自分で歌を歌うことを止めることは無かった。この歌が好きだったというのもある。それ以上に、今ここで、この歌を不意に口ずさんだことに意味を感じたからだ。自分の意思とは違う、何か大きな力が働いたようにイクミは感じていた。
歌はイクミの意思を乗せて、大きく、力強く響いた。それは、医務室を飛び出して、ギルドが一階で営む軽食屋にも届く程だった。
歌を歌い終えると、祈るように握ったリオの手に力が伝わる感覚を覚える。
イクミが、視線を上げた先ではリオが薄らと目を開けていた。イクミは思わず大きな声を上げていた。
「リオ君!」
リオはゆっくりと顔を起こすと、イクミの顔を見て二コリと笑顔を浮かべた。
「さっきのキレイな歌はイクミでしたか。不思議と力が湧いてくるような、心の奥に響く歌声に呼び起されてしまいました」
リオのいつも通りの反応に、嬉し涙が込み上げてくるのをイクミは感じた。それと同時に、どこか心の中で『歌で目が覚めるっていうのもある意味テンプレ展開かも?』なんてことを考えていた。
周囲を見回していたリオが、首を捻りながら何か考え事をし始める。
「リオ君? どうしたの」
「ここは? なんで僕は寝てたのでしょうか……!!! それよりも町に戻ったならすぐに”ポイズンビフロッグの解毒薬”を『合成』しなくちゃ!」
「ちょ、ちょっと待って下さい! いきなり起きたらダメですよ!」
起きようとするリオ。寝かせようとするイクミ。そんなやり取りをバタバタと続けていると、医務室の扉が開いて、ティルが二人の冒険者を伴って現れた。
「お! さすがイクミだぜ! リオ起きたのか!!! ってか二人とも何してんだ?」
「あれが噂のイクミ=タチバナか!! 噂通りの美人! っていうより可愛いって感じだな」
「二人とも、ここは空気を読んで出直すべきでは無いのか?」
「あいつ等は、”まだ”そういんじゃないって」
「ほう”まだ”か」
「なるほど”まだ”か」
何やらコソコソと話しをしていた三人が、微笑ましいと言った雰囲気を纏わせながら優しい笑みを浮かべてイクミ達を見ている。イクミは、なんとなく居心地の悪さを感じていた。
しかし、今は病み上がりのリオに仕事をさせないことが先決だ。リオを抑えつける手に更に力を加える。男と女というスペックの違いは、この二人の場合は参考にはならない。リオは基本的に学者肌の為、力仕事に向いていないのだ。対してイクミは、長年ダンスのレッスンや、学校の部活で身体は鍛えてある。本気を出せば、リオを抑えつけることは簡単だ。
「イ、イクミ! 離して下さい!! 僕には人の命が掛かってるんです!」
「そうかもしれませんけど! 無理したらリオ君が死んじゃいますよ!!」
「僕は大丈夫ですから! 今だってこうしてイクミと張り合ってるじゃないですか!」
「ダメです! それでもダメです!! 私、本当に心配したんですから!」
「それは謝りますから! コラ! そこで微笑んでる三人! こっち来て手伝って下さいよぉおおお!」
このバタバタと、さっきのイクミの歌声もあって医務室前には軽く人だかりが出来ているのだった。