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第39話 イクミの焦り

 冒険者ギルドを飛び出したティルは、酒屋を営んでいる実家に急いでいた。今、親友のリオはストレスを抱えて昏睡してしまっている。それを癒せるのは、同じ家で短いながらも共に過ごしてきた同年代の少女が最適だと判断したからだ。何より、先日の王立魔術学園ダンスパーティー初日最後のイベント、『美女コンテスト』でイクミが披露したあの歌、あれは心に響く何かがあった。イクミならきっと……その期待を胸にティルは走る。イクミは今、ティルの自宅にいるはずだ。”ポイズンビフロッグ”の討伐に出る前、工房に一人置いておくわけにはいかないと、イクミにはティルの実家で待ってもらうことにしたからだ。見慣れた町の風景が、ティルの脇を通り過ぎては置き去りにされていく。何人かティルの慌てた様子に、驚いて声を掛けようとするが、それらを(ことごと)く無視して、ティルは実家を目指して猛然と駆け抜ける。

 ティルは『肩で息をする』を通り越して、少し青ざめた顔で、自分の酒屋を営む自宅に到着した。あまりの疲れに『ただいま』の一言も発せない。音が出るほどの息継ぎをしながら店の中に入っていくと、それに気付いたティルの母親が慌てて駆け寄ってきた。

 

「ティルッ! あんた、そんな息切らしてどうしたんだいッ!? 犬にでも追っかけられたのかいッ!?」

「ゼェ~……ハァ~……母ちゃん、それは違う……ゼェ~……ハァ……い、イクミ……は?」

「んッ? イクミちゃんかいッ!? イクミちゃんなら、ホラッ! 裏で洗い物手伝って貰ってるよッ!」

 

 イクミの居場所を聞くなり、ティルは重い身体を引きずって歩き出した。冒険者ギルドから、ここまで走っただけで、頭の中に心臓があるんじゃないかと思う程、心臓が送りだす血流が激しくなっているのが分かる。走ることを止めた途端に、体中から噴き出してきた汗と、一気に浮腫んだ顔の火照りもそのままに、ティルは親友の為、イクミの元へと急いだ。

 勝手口を開けると、汲み置きの水が入った樽から、小さな桶で洗い物が入った桶に、水を組み直しているイクミの姿が目に映った。扉が勝手口の扉が開いた音で気付いたイクミが、ティルの様子を見て驚いた表情を浮かべている。

 

「どうしたんですか!? こんなヘトヘトになって!! 何かあったんですか!?」

「お、俺は……大丈夫、だ、ぜ……疲れてる、だけ……むしろ、リオが――」

「リオ君が!? どうしたんですか!?」

 

 ティルの言葉に一瞬で顔面蒼白に変化させたイクミが声を荒げた。ティルは、少し面喰いつつも息を整えて続きを話した。

 

「ハァ、ハァ~……えっと、リオが冒険者ギルドの医務室で、昏睡状態になってて、早く目を覚まさないと、依頼主の侍女さんが魔物の毒で死んじまうんだ。だけど、医者じゃ取って来た材料で薬を作るのに時間が掛かり過ぎちまう……錬金術に頼るしか方法が無いんだ……だけど、シャロンさんはまだ戻って無いし、リオは昏睡状態だし……リオを目覚めさせる以外に、今出来る手がないんだ!」

「私は何をすれば良いんですか!?」

「リオに呼び掛けてくれ、それだけで良い」

「それだけですか!?」

「イクミが来てくれたと分かれば、リオは喜んで飛び起きるさ。きっとな」

「……わかりました。冒険者ギルドはどちらですか!?」

 

 イクミは、まだ身体を碌に動かせないティルを余所に、付けていた『あなたの隣、酒屋ガーラント』と描かれたエプロンを素早く取ると、手際よくキレイに畳みながら店の中に戻っていく。ティルは、そんなイクミを追いかけるべく今になって疲れが出たのか、震える脚をバシッと一つ叩き、渇を入れるとイクミを追いかけて店の中に入った。

 すでにイクミは、ティルの母親に話をしていた。『女将さん、少し店を開けます! リオ君のお見舞いです!』と、女将さんって何時の間にそんな呼び方するように教育したのかと思ったが、了承を取り付けたイクミに袖を掴まれて、引き摺られるように店先へと出された。『冒険者ギルドはどちらですか!?』と若干、鼻息荒く問いかけられると、『あちらです』なんて何故か敬語で受け答えをしていた。途中で袖を離して貰って、二人で冒険者ギルドまで走ると、すでに一度走った道で、体力を根こそぎ奪われていたティルは、こんな細い身体のどこにこんな体力があるのかと聞きたくなるほど、汗一つ掻かずに走り続けている。もはや、このままイクミに付いていくのは無理だと悟ったティルは、冒険者ギルドの場所と、見た目の特徴をイクミに伝えて先行させることにした。イクミに教えてあげると『分かった! 先に行ってる! ティルは後から来てね!』と言い残し、先ほどまでの速度とは比べ物にもならない程の走りで、すぐに見えなくなった。もちろん、ティルが歩いていたのも有ったが、なんとも驚異的な体力と運動神経である。そんなイクミの背中を見送るティルだった。

 

 ◆

 

 『リオ君が昏睡状態』その言葉を聞いた時から、イクミは形振り構っていられなかった。イクミが生活していた世界で『倒れた』や『昏睡状態』、『意識不明』『医者に運び込まれた』という言葉は、テレビや小説で見たり聞くことは有っても、実際に自分の周りで起こることなど滅多になかったからだ。それこそ、演技の練習の時にそういう『役』を演じることはあった。だけど、その時は、真剣に取り組みつつも、どこか気持ちの奥で乾いた物を感じていたのだ。自分の日常に無い物が、自分の目の間にいきなり現れた時、それは深層心理の奥深く、一番の奥底に眠る本能が、一種の恐怖を呼び起こす。イクミは、今心の奥底で生じている恐怖を感じていた。それは、何からくる恐怖なのかは分からない。自分の周囲で滅多に不幸が起きない世界で育った弊害なのか、リオに対する感情がもたらす物なのか、それはイクミ自身には判断の付かないことだった。今は、自分の心がしたいようにするだけ。イクミは一刻も早くリオの所に行きたい。ティルが、イクミが居れば何とかなるというのなら、それに全力で応えよう。ティルは『昏睡状態』と言っただけで、死に至る怪我や病とは言っていない。だから、今イクミが感じている不安は、ある意味突拍子もないことなのかもしれない。けれど、それでも、イクミ自信が不安に駆られているのだ。それは嫌な予感と言った類の物かもしれない。イクミ自身には霊感なんて物は無い。それでも、心の奥底で灯る恐怖の炎を消すには、『リオが無事である』という事実しかあり得ないのだ。

 元運動部での走り込みで鍛えた足腰をフルに使用して、冒険者ギルドまでの道を全力で走っていた。町服の少し長めのスカートが脚に纏わりついて走りにくい。クッション性が乏しい革靴は、踵に思っていた以上の負担をかけている。少し靴ずれも起きているのか、(くるぶし)の辺りが痛くなってきた。それでも、イクミは脚を止めたりはしない。そんな物に構っていられない程、心の奥では恐怖の炎が燻っているのだ。

 途中にいた巡回の騎士に冒険者ギルドまでの道を再確認すると、再度全力で走りだす。ティルから報告を受けて一○分程度の時間で、冒険者ギルドまで辿り着く。

 一回の軽食屋にいた冒険者たちが口笛を吹いたりしながらイクミの気を引こうとするが、その全て完全にスルーして掲示板に依頼書を貼っていたギルド職員に掴みかかる勢いで話かける。

 

「すいません! 今日、こちらの医務室に運ばれたリオ=アズトラーゼを探しているんですけど! 医務室ってどちらですか!?」

 

 勢い込みながらも、口調だけは丁寧に、でも背後から立ち上る異様なまでのプレッシャーを放ちつつ声を掛けてくるイクミに、ギルド職員は若干怯えながらも、ゆっくりと丁寧な言葉遣いで対応する。

 

「い、医務室ですか? えっと……少々お待ち下さい。これを貼ってしまえば、直接ご案内できますので」

 

 ギルド職員は、持っていた依頼書の残り数枚を手早く掲示板に貼り付けると、イクミを伴って医務室へと案内してくれた。

 イクミとしては、急いで欲しかったのだが、丁寧に対応してくれるギルド職員にそんなことを言えるような不躾では無かった。

 ギルド職員が医務室の前まで、案内してくれると、軽く会釈をして去っていく。イクミも『ありがとうございました』と返すと、徐に医務室の扉を開けた。


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