第30話 ビグルスの思惑
ダンスパーティーからの帰り道、途中でティルと別れると、リオ達三人はまっすぐ工房へと戻った。何度か、ダンスパーティーの出席者らしき人から、イクミに対して『おめでとう』等の声が掛けられることがあったが、懸念していたような大きなことは発生せずに帰宅することが出来た。帰宅後も特に何も変わったことが無く。風呂に入って、慣れない服を着て疲れた体を癒し、その日は早めの就寝となった。
翌日は、王立魔術学園のダンスパーティー二日目。ダンスパーティーに参加する訳でもないのに、リオ達三人は錬金工房を早めに閉店させていた。商店街では毎年、王立魔術学園のダンスパーティーに乗じて、商店街でもお祭りを行っていて、それを見に行くことにしたからだ。
学園周辺や商店街に出ている露天を巡って、川魚の串焼きや、ホーンブル肉のミートサンドなど、食べ歩きに適した物を購入しては、お祭り騒ぎを楽しんでいた。
リオは、ふと『こういう時の露天の食べ物というのは、値段も高めで味的にも大して美味しくは無い。だが、周りの雰囲気というスパイスが、その味を何倍にも美味しく感じさせている。味も重要だが、周りの雰囲気という物も重要なのだ。それは、錬金術にも何か応用できそうだ』と考えていた。
このような楽しい時でも、頭の片隅では錬金術のことを考えてしまう。一四歳にして、良く言えば研究熱心、悪く言えば職業病に掛かっている。
こういうお祭り騒ぎの時というのは、気分が大きくなる物である。男性複数人グループから『女の子だけで遊んでるの? 一緒に遊ばない?』などと軟派をされる事が何度もあった、リオとしては『僕は男です!』と少し文句を言ってやろうかと思ったほどだ。
そうやって絡まれる度に『私達二人は、この人の連れなの。ゴメンなさいね』と、外向き用の言葉遣いで、シャロンは告げると、イクミと一緒にリオの腕を取って抱きしめるというのを繰り返していた。それを見せられた男性達は、一様にリオを羨ましそうな妬ましそうな顔で睨みつけては、舌打ちをしていなくなっていた。
その様子を遠くから、歯ぎしりをしながら睨みつける男がいた。ビグルスである。
「ボクの妖精に抱きしめられるなんて! 羨ましい……妬ましい……! ……この恨み払さでおくべきか! リオ=アストラーデ……」
イクミへの思いが巡り巡って、リオへの恨みに変えたビグルスは、リオへの復讐を誓うのだった。
そして、翌日。連日の王立魔術学園ダンスパーティーの片づけを午前中で終わらせ、午後は帰ってよいことになったティルが、工房に訪れて二日目のダンスパーティーについて、リオに愚痴を言っていた。
「それでよ! 聞いてくれよ! 二日目は美男美女コンテストじゃなくて、参加者の有志による一芸大会だったんだけどさ! それが凄かったんだよ! なんで俺、二日目にならなかったんだろうな! 美男コンテストじゃなくて、一芸だったら観客を”ワッ”と沸かせるネタあったのによぉ~……やっぱり一日目と二日目に生徒を分けるやり方に問題があるよな! なんていうかさ! せめて希望を聞いて分けて欲しいぜ! クラスの席順で、前から交互に”一日目、二日目、一日目、二日目……”って割り振ってくんだぜ!? ありえねぇぜ!」
ティルの愚痴話を聞かされていたリオとイクミは、手に持った果実ジュースを一口含むと、苦笑いを浮かべながら相槌を打っていた。
「それで、ティルが参加していたら、一芸って何を披露したんですか?」
リオの質問に、”ふふん”と腕を組んで胸を張ると、ティルが高々と告げた。
「何も使わずに耳を動かせる!」
「…………微妙だね」
「…………微妙ですね」
二人の反応に『なんで!? 凄いだろ!? 普通出来ないだろ!?』と、意義を申し立てるティルに対して、『それをステージ上でやっても失笑の嵐ですよ』とリオ、『何をやってるのか、後ろの人は全くわかりません』とイクミが告げると、ティルは酷く落ち込んで、しばらく静かになった。
「落ち込みましたね」
「落ち込んじゃいましたね」
テーブルに塞ぎ込むほど落ち込んだティルに声を掛けようと、リオが席を立った瞬間。工房の扉が勢いよく開いて、一人の男性が入ってきた。ビグルスである。
ビグルスはリオを見つけると、リオに向かって勢いよく頭を下げた。
「失礼する! 錬金術師のリオ=アストラーデ氏とお見受けした! 私はビグルス=カンピオレ。私の家に仕えている侍女が、私の失態により魔物のを毒を受けてしました。それを直す為の薬を用意して欲しいのです!」
リオもイクミも、何もを声を挟む暇を与えないほど、ビグルスは一気に捲し立てた。
困った顔のリオを見て、内心で思いっきり笑っていた。
リオは、とりあえず話を聞かないと依頼も受けられないので、工房で一番上等な椅子である猫足のソファにビグルスを座らせると、イクミに飲み物を頼んで、ソファの反対側へテーブルの椅子を持ってきて腰かけた。
真剣な顔を浮かべて、リオが話を促す。
「それでは、詳しい話をお聞かせ下さい」
ビグルスは内心でほくそ笑みながらも、顔には不安と後悔の念を感じさせる顔を浮かべつつ、話し始めた。
「先ほどお話した通り、私の家で仕えている侍女が、魔物の攻撃によって毒を受けてしまったのです。昨日、私は侍女を連れて郊外にある森で、愛犬と侍女を連れて兎狩りに興じていたました。すると、いきなり魔物が現れて、私に襲いかかり、侍女が私を庇って……」
涙まで流して見せるビグルス。内心は大笑いである。
「町の医者には見せなかったのですか?」
リオが当然のような質問を敢えてする。
「町医者に見せたところ、現在治療に必要な解毒薬が全く無く、すぐには用意出来ないということで、色々伝手を辿ってやっと、こちらに辿り着いたのです」
「その襲ってきた魔物というのは?」
ビグルスが涙を拭いて、神妙な顔になると、呟くように告げた。
「……ポイズンビフロッグ」
リオは、目を見開くいて驚くと、席を立って本棚から魔物事典を取り出し『ポイズンビフロッグ』を探す。
「ポイズンビフロッグ……体長一メートルの大型カエル、その皮膚には神経性の毒があり、その毒を受けた者は、徐々に身体を蝕まれ七日目に苦しみ悶えて息を引き取る。解毒方法は、ポイズンビフロックが持つ肝臓から作られる解毒薬のみである……」
「……私は、その解毒薬の作成を依頼に来ました。侍女を救ってください! お願いします!」
リオは真剣に頭を下げるビグルスを見て、悩んでいた。これまで、依頼を持ち込まれたことはあっても、こんなに問題が大きく、猶予が無い依頼は初めてだったからだ。シャロンに聞けば代替えの方法による解毒薬の精製方法も知っているかもしれない。しかし、シャロンは午前中に訪れた冒険者の依頼で、七日間の遠征に出掛けたばかりであった。
リオにも『合成』は簡単な物なら出来る。しかし、それには必要な正しい材料が揃っている必要がある。代わりの材料で作れる程、リオの『合成』技能は成熟していないのだ。
しかし、ビグルスの侍女は、毒を受けてから一日経過してしまっている。誤差も考えると、残りの時間は五日程しかない。一刻の猶予も無いのである。
リオが悩んで頭を抱えていると、先ほどまでテーブルで塞ぎ込んでいたティルが身体を起こした。
「やろうぜ、リオ。その依頼受けよう」
「ティル?」
「だってよ、その侍女さんの命は残り六日も残ってないんだろ? ここで見捨てることなんて、どうせ”お人好し”のリオには無理だぜ? もちろん、俺も手伝う。それに、依頼主のビグルスさんからは、たんまりと報酬は貰うし、念の為保険として、医者の方にも依頼をだしてもらうんだ。俺達が間に合わなかったら、侍女さんの命が無くなっちまうんだからな」
「僕達も命懸けになるよ? それにティル、学校は?」
「俺とリオなら大丈夫さ。そんで学校は、未来の冒険者を育てることも目的なんだぜ? こういう依頼への参加には、特別単位が出るようになってるんだ。だから問題無いぜ」
「でも、僕まで家を空けてしまったら……イクミが工房で一人になってしまいます……」
「あれ? 私、置いてかれちゃうんですか?」
イクミが放った言葉に驚愕の表情を浮かべて、リオ、ティル、ビグルスはイクミの方に勢いよく振り返った。
当のイクミはと言うと、頭の上に『?』を浮かべながら首を傾げて三人を見ている。
「イクミ、魔物はとても危険なんです。 それに道中は目的のポイズンビフロッグ以外の魔物も出るし、盗賊だって出るかもしれないんです」
「確かになぁ~……今回ばかりは、イクミを連れて行くのは危ないと思うぜ、俺も」
「イクミ譲、僭越ながら私も危険だと思います。女性の長旅は色々と不便も多いかと思いますし……」
ビグルスは気が気では無かった。シャロンのことは冒険者を使って町から離れてもらい、リオにも町から出てもらう、あわよくば魔物との戦闘で怪我なり死ぬなりして貰えればと思っての依頼なのだ。その危険な旅に、目的のイクミまで付いて行かれては、本末転倒もよいところだった。
さすがに三人一緒に大反対されては、イクミも大人しく従うしかない。
「分かりました。でも、絶対に無事帰ってきて下さいよ? 二人に何かあったら、私……泣いてしまいますからね……」
「大丈夫だって! リオには俺が付いてるしな!」
「ティル、泥船に乗ったつもりで居れば良いということですか?」
「泥って……酷いぜ……」
「でも、僕が居ない間、イクミはどうしましょうか」
リオの問いかけに、これ幸いとビグルスがいきり立つ。
「それなら私が――」
「俺の家に居れば良いぜ! 部屋なら余ってるし、母ちゃんも父ちゃんもイクミは知ってるしな」
「――……」
ティルの提案によって、ビグルスの最初の作戦は失敗に終わるのだった。
報奨金についての打合せを終えると、ビグルスは工房を出て行った。ビグルスとしては、最初の目的である『リオとシャロンを町から出す』作戦については、成功した。しかし、『一人になった不安で寂しいイクミを口説き落とす』作戦については、ティルによって阻まれる形となってしまった。
しかし、ビグルスは内心で高笑いをしていた。
(旅は怖いよなぁ……リオ=アストラーデ……魔物だけじゃなくて、盗賊だって出るもんな……そう……人だって怖いんだよね……特に外は……)
心から洩れでた笑顔を薄らと浮かべながら、ビグルスは暗い路地裏へと姿を消すのだった。