第16話 世界の話(2)
話が始まって二時間半程だろうか。途中、話を脱線させつつも、区切りの良いところまで説明を終えたリオは、若干空腹を感じていた。
朝食を取ってから四時間程度が経過している。気がつけば昼食時であった。
「お店が騒がしくなってきましたね」
「もうお昼ですもんね。厨房から美味しそうな匂いがしますよ。リオ君お腹空きません?」
たしかに店の中には、この店で一押しのウィンブロードダックを使ったフライドチキンの匂いが充満しつつある。
なんとも食欲を誘う匂いで、口中に唾液が満ちるのを感じる。
リオは自分のお腹を抑えて、笑顔を作る。
「そうですね。お腹空きました」
「ふふっ、私もです」
「それじゃあ……ここで食べてしまいましょうか」
「はい。……あ! シャロンさんのご飯どうしましょう!?」
「先生は――……子供じゃないんですし、自分でなんとか出来るでしょう」
◆
「へ……ヘックショイ!! っと!おっとっとっと!」
シャロンはクシャミをした勢いで、持っていた”キレイな油”と”標準エーテル溶液”を溢しそうになっていた。
◆
リオとイクミの目の前には、白い大きな皿の上で緑や黄色、赤い野菜が彩りを与え、中央には威風堂々とした貫禄を持ってウィンブロードダックのフライドチキン(もも肉)が鎮座していた。
「これは……凄く美味しそうですよ!リオ君!」
「そういえば、イクミと外食は初めてですね。これはこの店で一番人気の料理なんですよ。早速頂きましょう!」
イクミは、こんなに本格的なもも肉のフライドチキンは初めてだった。イクミにとってフライドチキンというと、真っ白い髭に真っ白いスーツを着た『大佐』が真っ先に思いつく、その次がクリスマスにスーパーで売られているテリヤキチキンだった。
なんとなく子供の頃から憧れていたような、ようやく出逢えたような、そんな感動に震えながら、ゆっくりとナイフとフォークで一口サイズに切ると口に頬張った。
「美味しいです! すっごく美味しいです!」
「それは良かったです。そんなに喜んで貰えると、僕も嬉しいです!」
「このお肉は、オリーブオイルみたいな植物油で揚げてるんですね……あ!下味として、塩とハーブと……ショウガ!これ!ショウガ使ってますよ!?ショウガがあるんですか!?」
感動した様子のイクミに少し気押されるリオ。ショウガが八百屋に売っている旨を話すと、帰りに寄ることを確約させられた。
一通り料理を平らげると、イクミが『ショウガがあるなら……あとは醤油と味噌があれば……チーズがあるなら、どこかに……同じ発酵食品だし……ということは納豆も?……』と何やらブツブツ言っている。
リオが恐る恐る説明の続きをして良いか”お伺い”を立てると、ハッとした顔をして『失礼しました!』と頭を下げた。
苦笑いを浮かべつつイクミに尋ねる。
「やはり、元の世界の味が恋しいですか?」
「そうですね。特に私の国の人間は、独自の食文化を持っているんです。この世界の料理も美味しいですけど……やっぱり故郷の味というのは、恋しくなってしまう物ですね……」
そう言って、少し目線が下がるイクミ。リオは、メガネを掛け直すと少し笑顔を浮かべた。
「探しましょう」
「え?」
「イクミの故郷の味です」
「でも、今日は……」
「もちろん、色々話を聞かせて貰ってからになります。……でないと、イクミの故郷の味をどうやって探せば良いか分かりませんからね」
イクミは、薄らと涙を浮かべてコクンと頷いた。
少しだけ、リオの世界の話に補足を入れる。
その後からは、イクミの世界の話をリオが聞く番だった。
イクミは、まず学校の話から始めた。小・中学校などの学校制度の話、公民の授業で習った民主政治の話、娯楽の話、祖父から昔聞いた戦争の話、移動手段や運送手段の話、宗教の話など様々な話をした。
特にリオは話の中で、産業革命について大きく興味を引かれた。
「産業革命で作られるようになった蒸気機関というのは、どういう物ですか?」
「私も詳しいことは分からないのですけど、水を火で熱して水蒸気にし、それを密閉した容器に弁を付けて減圧と加圧を繰り返すことで動力を得るんだと思いました」
「風車などで小麦粉を引いていますけど、それを水蒸気の力で代替えするわけですか……面白いですね……あとで何か考えてみますか」
リオは、紙にメモを取ると産業革命と蒸気機関については二重丸をつけておく。
最後に、イクミは料理の話を始めた。
日本料理の基本である、醤油、味噌、みりん、お酢、日本酒などの調味料類。米、うどん、蕎麦などの主食類。干物、カマボコ、燻製などの加工食品。そして、西洋などのパンや焼き菓子、生菓子の話で締めくくる。
イクミの国の食文化の多様さに驚きを隠せないリオは、同時にこれだけの物の内、どれだけの物が現在存在し、又は再現が出来るのか不安になっていた。
「イクミは、この中の物で自分で再現出来る。または再現する方法を知っている物はありますか?」
リオの質問にイクミはしばらく考え込むと、リオの書いたメモに、丸と三角を書いていく。
「この丸がついている物、これについては完全に把握しています。三角の物は、不確かですが大まかに知識を持っている物です。無印については見当も付きません」
リオがメモに視線を落とし、印がついている物を確認していく。
うどん、干物、カマボコ、燻製、クッキー、ホットケーキに丸が付いてる。三角の物は、醤油、味噌、お酢、日本酒、みりん、先に上げた物以外でも印がついている物もあるが、評価が三角という時点で、実現性についてはかなり厳しい。無印については、何かの奇跡で同じような物でも見つからない限り、無理であろう。
「そうですね……。とりあえず、この丸がついている物から取りかかるとしますか」
「先ほども聞きましたけど、良いのですか? まだ話したいことも多いと思うんですが……」
「良いんですよ。聞くことは、ある意味いつでも出来ます。それに僕もイクミの故郷の味に興味があるんです。”フレンチトースト”みたいな物なら大歓迎ですし」
今昼を食べたばかりだと言うのに、リオの口中は既に唾液が溜まていた。
あぁいう物がもっと食べられるのであれば、発明品など二の次で十分なのである。
「そうですか。そしたら、あまり故郷の味という訳では無いですが、クッキーとホットケーキから始めますか?前に作ったフレンチトーストのような甘いお菓子です。たしか、シャロンさんも甘い物好きでしたよね」
イクミの言葉に生唾を飲み込むリオ。
前のフレンチトーストは朝食として出て来たのだ、ちゃんとしたお菓子など一体どれほど甘くて美味しいのだろうと、リオの豊富な演算能力は妄想の海に溺れているのであった。